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宮崎県と鹿児島県への旅行〜鹿児島編〜

宮崎編の続きです。

仙巌園

仙巌園は1658年に島津光久によって築かれた島津家別邸です。
迎賓館としての役割も果たしており、庭園は亀に見える石や鶴が羽を伸ばしたように見える灯籠「鶴灯籠」などが目を楽しませてくれます。訪問した日は天気がよく、雄大な桜島が青空に映えていました。

仙巌園から眺める桜島

庭園だけでも十分に楽しめますが、御殿の見学もぜひおすすめします(別料金)。11種類の釘頭を隠すための飾り「釘隠」が使われており、それを探すだけでも楽しかったです。ガイドの方の案内もあり、島津のお殿様の生活ぶりについて詳しく知ることができました。

御殿

併設の尚古集成館もぜひとも観てみたかったのですが、残念ながら2024年9月まで工事中で入ることができませんでした。残念・・・!

明治維新

鹿児島といえば、やはり明治維新ですよね。鹿児島中央駅の「若き薩摩の群像」をはじめ、大久保利通、西郷隆盛、小松帯刀など明治維新の立役者の銅像が鹿児島市内と至る所にあり、あらためて鹿児島がいかに多くの人材を輩出したかに驚かされます。明治維新に関連する資料館も黎明館維新ふるさと館西郷南洲顕彰館などたくさんあります。私は黎明館と維新ふるさと館に行ったのですが、黎明館では特別展「黎明館の至宝」がやっていて、この展示物がとても良かったです。
特に印象深いのが大久保利通から五代友厚宛ての手紙です。囲碁大好きの大久保利通が「(前略)碁馳走頂戴支度候」と書いており、「囲碁」と「ご馳走」を掛けた洒落っ気を見せています。怜悧で合理的な「政治家・大久保利通」ではない、「人間・大久保利通」の姿を見ることができて大変おもしろかったです。

宝暦治水

岐阜県出身の私にとって鹿児島県には忘れてはいけない人物がいます。平田靱負です。宮崎編で「石井十次は宮崎県の郷土の偉人枠」と述べましたが、それの岐阜県版の一人です。小学校で習うため、岐阜県での知名度はかなりのものだと思います。私の場合授業で習うだけでなく、社会科見学で千本松原の見学にも行きました。
平田靱負は江戸時代中期の人物で、薩摩藩の家老です。「宝暦治水」と呼ばれる木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の洪水を減らす工事の責任者でした。
工事は非常に困難であり、病気の流行も相まって、80名以上の犠牲者を出したそうです。動員が約1,000人とのことなので、10人に1人が命を落とした計算になります(平田靱負も工事完了直後に自害したので犠牲者のひとりです。病死の説もあるのを黎明館の展示で知りましたが、仮に病が死因だったとしても工事の苦難が平田靱負の健康に大きな影響を与えたことは間違いないと思います)。現在鹿児島(鶴丸)城近くに犠牲者の供養塔(薩摩義士碑)が建立されています。将棋の駒のような石碑ひとつひとつに犠牲者の名前が書かれています。一番上にして一番大きな石碑が平田靱負のものです。

薩摩義士碑

薩摩義士碑の横には根尾谷淡墨桜で有名な淡墨桜が植えられていました。岐阜の人の薩摩義士への想いに胸が熱くなりました。

淡墨桜

他にも宝暦治水に関する場所はあるのだろうか・・・と調べていると平田靱負の銅像があるのがわかったので行ってみると、あまりにも立派な像が建てられていて驚愕しました。平田靱負像がある一帯は公園となっていて、その名も「平田公園」です。もともとは平田靱負の屋敷だった場所が今は公園になっているそうです。
岐阜県での知名度は高い平田靱負や宝暦治水ですが、鹿児島ではあまり知られていないのではないかと思っていました。まさかこれほどまで功績を顕彰されているとは知らず感動しました。

平田靱負像

鹿児島に行って宝暦治水への興味が沸きました。杉本苑子さんの「孤愁の岸」を直木賞受賞作ということで読んでみようと思っています。他にも宝暦治水についておもしろい作品があれば教えていただきたいです。

鹿児島県での観光は充実したものになりました。
ただ、工事中で閉館していた尚古集成館や時間の都合で行けなかった西郷南洲顕彰館などまだまだ見どころはたくさんありそうです。ぜひまた訪問したいと思います。

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