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結婚して、海外に住んで、世界を放浪して、やりたいこと全部やってみても意外と現実に満足できていないアラサーの話

こんにちは。

社会人になりたてのころに書いたやりたいことリスト、夢中に追いかけてもうすぐ10年、今や立派にアラサーになっています。

☑︎海外に3年以上、住んでみる
☑︎行き先も終わりも決めずに海外旅行してみる
☑︎英語を喋れるようになる
☑︎アメリカ横断旅をしてみる
☑︎海外に友達を作る
☑︎フルマラソン完走する
☑︎ディズニーワールド全部のパークにいく
☑︎大好きな人と結婚する
☑︎米国公認会計士試験に合格する
☑︎ヨーロッパを周遊してみる
・・・

最近の10年間でチェックしたやりたいことリストです。

愚直にやりたいことをやっていたら、気づいたらどんどんとやりたいことリストのチェックが増えてきて、客観的に見ればどんどんどんどんと幸せになっていくのかと思いきや、なんだか最近は常にこれからどうしようみたいな悩みを抱えてしまうようになってしまいました。

これってもしかして、必死で登ってきた山の頂点に近づいてきて、山の上からみた景色が思ったよりも綺麗じゃないのでは、と感じ始めた心境なのではという気がしてきたのですが、思えばこの山を登った後の景色、常に見てみたいと思い焦がれてきたような気もしています。

ここに登ったときにどう思うのって知りたい人も結構いるような気がしたので、山を8合目くらいまで登ってきてなんだか頂上が見えてきた気がする、だけど、現実に満足できていない男が幸せの形について考察してみたいと思います。

自己紹介

まずは私の自己紹介をさせていただければと思います。


経歴:新卒で日本のIT企業に入社。東京で5年間勤務して、海外への興味とアメリカ留学経験のある妻に唆されて、アメリカに現地転職。アメリカの都市で累計4年ほど現地の会社で就業し、日本に帰国。
日本からアメリカの引っ越し時にヨーロッパを1ヶ月間周遊、アメリカ国内で引っ越しするタイミングで車で1ヶ月かけてアメリカを横断。NYから日本に帰るタイミングにて、2ヶ月半ほどディズニーワールドと中南米を周遊。現在はIT系のフリーランスとして活動しています。

いやほんとに書けば書くほど、恵まれた人生を過ごしているんだろうとは思うんですが、、、心の底から満足しているとはどうしても言えないのです。何に不満を感じているのか、書いていってみたいと思います。

不満の理由

1, 目標がなくなった

ほんとにシンプルにこれです。目標がなくなってしまいました。
学生の頃は、もっとモテたい、もっと野球が上手くなりたい、友達のあいつよりもテストでいい点数が取りたい。社会人になってからは、あの先輩に認めてもらいたい、仕事で成果を出したい、もっともっと稼ぎたい、英語が話せるようになりたい、海外のいろんな世界を観てみたい、海外に住んでみたい...
常に何かを追いかけてきたました。そしてやりたいことは永遠にやりたいままにならないように、やれることは絶対にやると心に決めて今まで過ごしてきました。その結果、冒頭に書いた通り、やりたいことリストを作って片っ端から計画して、行動に移して実際に経験することができました。その中で、自分が想像もしていなかったいろんな景色を見ることができたと思っています。

 でも、やりたいことをやり切ることを行動指針としていたら、やりたいことをやり切った瞬間に行動指針がなくなってしまいました。目の前にぶら下げられたパンを食べるが如く、パクパクパクパクやりたいことを食べた結果、食べるパンがなくなってしまいました。。。パンがなくなってからというものも常にお腹が空いている状態になっています。

 もう一つ、目標がなくなった理由に目標にする人もいなくなったこともあると思います。私はアメリカに転職を覚悟したその時から、完全にレールから外れた人生を送っている自覚を持っています。先述の学生や新卒入社の社会人の時はなんやかんや上を見れば自分の一歩先を行く人がいて、その人のレールを見ながら、同じ道を過ごしたらどうなるのかを考えながら、自分の今後の行動の指針としていました。

 野球部の先輩が勉強頑張って京大に入った、阪大に入った、かっこよくて、自分も続きたくて、勉強を頑張りました。新卒の会社の先輩が英語で打ち合わせガンガンしている、かっこよくて自分もそうなりたくて、グローバルで働くようになりました。

 そして、なりたい自分を目指して転職を繰り返して新しい環境に移って、いろんな経験をすればするほど、自分と重なるバックグラウンドを持つ人にはほとんど出会わなくなりました。

 今までは、一歩先を進む他人の背中を見ながら、少しずつ自分の色を加えながら進んできたつもりがいつからか、適切なロールモデルがなくなってしまいました。周りに見えているのは全く違う遠くの世界にいる人たちになってしまい、どの背中を追いかけるべきなのか、正直全くよくわかりません。

2, ちょっとお金を稼げても何も変わらないことに気づいてきた

 ぶっちゃけ年収が増えたとして、心理的なお金の使い方はあんまり変わらないもんだなと思いました。

 カフェでコーヒーに800円とか出すなら、セブンのコーヒーで良くない?とかいまだに思っちゃうし、ブランド物をばりばり買いたいとか、車とか家が欲しいとかは全然思いません。強いて言えば海外旅行とかは行きたいけども、お金がない時からいつでも行ってたし、時間的な制約でいつでもいけるわけでもなく。数億円レベルの貯金があるくらいお金が有り余り始めればいろいろ考え方はまた変わるんでしょうけど、今のところ金銭的感覚はあまり変わらないです。

 そして、これから先も年収を増やしていけそうな気がしてきたのですが、だから何だということに最近気づき始めました。稼いだ先にどう使いたいか、というところがいまいち定まっていないからです。どこかで聞いたことがありますが、お金は使い方にもっともその人が出ると言いますが、まさにそこで、お金を稼いだ先に何をしたいのか、そこが見えてこないので数字を増やすゲーム、というそれ以上の意味が見えていない気がしています。

3, 自分の大したことなさを感じてきた

 稼げるようになってきて社会的な立ち位置が上がっているような錯覚に陥ることがあるんですが、ふと我に帰ると自分で何も成し遂げていないことに気づいてしまうんです。

 フリーランスをやっていると言いつつ、やっていることは業務委託でいわゆる労働に対する対価をもらっているのに過ぎないです。価値を感じてもらえるからこそ、契約が続くという側面はあるとは思いますが、自分でなければ出来ないことをやれているという感覚はなく、あくまで顧客の期待値を上回る部分を探りながら、なんとかやり過ごしている感覚です。個人としては経験も積んでるし、スキル的な成長もどんどんしている気はしますが、だからといって、結局自分の活動というのは社会的にみたら大して価値のないことである と感じることが多くなってきました。

 そして、仕事に対してお金を稼ぐためという感覚が強くなってきて、1日の大半を占める仕事ということに対して向きあえば向き合うほど今のままで良いのだろうかという気持ちが沸々と湧いてきます。

まとめ

 要するに、やりたいことをやりきって、客観的には満足できるはずでしょ、という状況で、結局てめえは何がしたいんだ、ということに向き合わざるを得なくなったのかもしれません。

 なんとなく忙しくして、目の前にあるやりたいことをやり続けてれば、大事なことに向き合わなくて済んでいたんだと思います。ぱっと思いつくやりたいことをやったあとに残るもの、そこと向き合って何がやりたいのかを紡ぎ出していくことが必要なんだと思います。自分は何を人生で成し遂げたいのか、どんな生活をしたいのか、心の奥のディープなところと会話しながら、行動していかないといけない気がします。

 必死で生きている人も多い時代に、恵まれた不満だと自分でも思います。しっかり自分に向き合って、なんとか目標を見つけられるように行動して、考えて進んでいきたいと思いました。

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