🥇さま 35 サラエボ

178、1600年頃の神学校の多くの学生が定期的にゲットーに足を踏み入れて、ユダヤ人をいじめるために行くものもいれば、キリスト教を伝道して、ユダヤ人を回心させるという気持ちで行く者もいた、僅かだが危険を承知で違法な娯楽を求めてゲットーに行くものもいた。

179、ヴェネツィアに初めて移住してきたユダヤ人は1516年に来て、ドイツの金貸しだった。それに続いて多くのユダヤ人がやってきたが、ユダヤ人に許された仕事はたった三種類しかなかった。ヴェネツィアの貧民に僅かな金を貸す質屋、中古品を売買する古物商、そしてレヴァントヴェネツィア(東部地中海とその沿岸諸国)とのみっせな繋がりを利用して、ヴェネツィアを有数の交易の町に変えた貿易商である。

180、ユダヤ人の住む場所はごく狭い地域に限定された。壁に囲まれた灰の島で、かつて鋳造工場があったことからゲットーと呼ばれて、その島と外の世界を繋ぐのは2本の細い橋だけで門には毎晩鍵がかけられていた。

181、長い年月が経ちヴェネツィア人の中にもユダヤ人を歓迎する者が出てきて、そういった人々がユダヤ人を雇って印象深い音楽を演奏させて、医者や金融アドバイザーとして頼るようになった。

182、ユダヤ人にしてみれば財産権の所有権を与えられ、法が守ってくれるヴェネツィアが約束の地に見えた。故に1609年までにはユダヤ人の移民は増え続けていた。西からやってきた者。すなわちカトリックの国であるスペインや、その後はポルトガルから逃れてきた者たち、ドイツの多くの町での大虐殺を逃れてきた者。更には、エジプトやシリアといった移民が増えてきた。

183、移民により1609年時点でもゲットーの住人は2000人近くまで膨れ上がり、住居は上へ上へと積み重ねられて、1つの建物も最も高い地区になった。

184、ゴンドラの色は富をひけらかすことがないように、ゴンドラの色は法で定められていて真っ黒だった。(1609年時)

185、ユダヤ人は呪術を使い、体に触れるだけでキリスト教徒に悪辣な魂を宿らせるという迷信がはびこっていた。(1609年時)

186、オスマントルコのスルタンは昔からユダヤ人を歓迎しており、ユダヤ人の技術と富を評価していた、オスマントルコでは多くの町にユダヤ人医者がいて、ヘブライ語を操る詩人がいた。

187、ユダヤ人と日本、ユダヤ人と中国の逸話の歴史のまとめ

188、当時(1609年)のヘブライ語の禁書に書かれているキリスト教徒を示すヘブライ語は『割礼を受けていない者』『ユダヤ人を忌み嫌う者』『奇妙な儀式に立ち会う者』『邪悪な王国』『エドム』『ロマン』などがあった。

189、当時(1609年)のヘブライ語の禁書には、ユダヤ教が唯一の信仰であるという記述や、救い主はまだ現れてないという文も書かれていた。

190、トーラには613の戒律がある。牛乳と牛の肉を一緒に食べない。安息日に労働をしない。夫婦の関係において家族の清浄の戒律などがある。

191、ユダヤ教で律法に則って食肉を処理する者をショヘートと言う。

191、ゲットーの建物は縦に建物を積み上げていかざるを得なかったので、当然壁は軽く薄く隣に住む老人の空咳、階下からの赤ん坊の甲高い鳴き声、雄鶏の鳴き声も響いていた。

192、あまりにも貧しいユダヤ移民の中には娘や息子に客を取らせる者がいた。(1609年時)

193、カーニバルで浮かれた若者に違法で異質な快楽を得たりして地区のキリスト教徒は閉門後に門番に金を出して外に出てカーニバルに行っていた。

194、カーニバルの衣装は黒い外套で即興喜劇用の仮面を着けていた。

195、カーニバルの夜は地位も身分も消えていなくなるため、召使や荷物運び人や十人委員会の
メンバーでも不思議ではなかった。カーニバルでは『こんばんはミスター・マスク』が挨拶だった。

196、カーニバルの衣装で身分を隠しても胴元だけは隠しようがなく首の皺がやけに目にいついて女に囲まれていたり、チチズベオ(お伴の騎士という意味だが多くの場合は妻の愛人)と一緒の妻などは大体金持ちの身分と察しがついたらしい。
賭博場を仕切る男たちはヴェネツィアで唯一その役目を担うのを許された上流階級のバルナボット一門の者は仮面をつけていなく、そこに集う全ての人にその身分を知らしめていた。

197、

1506~39年: 十人委員会は、excepto schachi, arco, balestra et ballo(チェス、弓、弩弓、舞踊以外)全ての遊戯を禁止した。
1600年代初頭: 政府は賭け事の蔓延を黙過出来ず、カーニヴァル中に限り[10月末からMartedì grasso(カーニヴァル最終日)まで]許可することになった。

ヴェネツィアの賭博gioco d'azzardoのブログの方より、一部抜粋全文読みたい方は下記リンクを参照してください。

198、アダムとイヴ、族長たちの墓があるとされる洞窟を『マクペラの洞窟』という。

199、ユダヤ教の戒律には地を這う生き物はいっさい食べてはいけない戒律は虫も該当するから、野菜に虫が付いていないかどんなに小さな虫も見逃さないようにしなきゃいけない。

200、バビロン捕囚後に追放されたユダヤ人が植民した小アジアの地域でユダヤ伝説ではスペインのことを『セパラデ』という。

重要なネタバレになるので、下線以下に書いた、4つのネタバレ見たくない方は読まないでください(>人<;)


201、サラエボ・ハガダーに描かれている絵はキリスト教徒の画風でユダヤ教徒がそんな技術を習得しても意味をなさない物だった。

202、サラエボ・ハガダーには詩篇、祈禱、歌に禁書にしなければならない理由は1609年時にはなかったが、キリスト教からしたら細密画の中に紛れもない異端の思想が描かれている物である。

203、創世記の物語を描いた物、光と闇が分かれる様子、『神の霊が水の面を動いていた』という一節を聖なる神を金箔を使っている。そして全能の神が植物や動物を想像した大地、3ページ全てに描かれた大地は球体で、更に3ページ全ての上の方の右隅につまり地球の上空に金箔を貼った球体があり、それはどう見ても太陽だった。とはいえ、その配置は曖昧だった。

204、大地は平らではなく丸いというのは1609年時では大多数の神学者の意見であるが、1500年頃にその説を唱える者はキリスト教徒は火刑にしていた時代だった。

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