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🇫🇮 等身大のフィンランド vol.11 アヌさんと辿る冬戦争の記録(4)

アヌ・カーリナさんの祖父アルヴィさんは、ソ連が宣戦布告なしでフィンランドを国境を越えて攻撃し、1939年11月30日に始まった「冬戦争」の時代を生きました。等身大のフィンランド第11回は、アヌさんが追いかけたアルヴィさんの足跡を一緒に辿りたいと思います。

今回は第4話を紹介します。


前回までのお話

1939年9月に第二次世界大戦がはじまったとき、フィンランドはソ連から領土割譲とハンコ岬を海上基地として貸与することを要求されました。これを拒否し、話し合いを重ねましたが、交渉は決裂。同年11月30日にソ連がフィンランド領土を攻撃し始まったのが「冬戦争」です。

そのひと月ほど前、フィンランドは臨時の軍事再教育訓練のために全軍を招集しました。アヌさんの祖父アルヴィさんは、国境近くの小さな村、ウウクニエミで暮らしていましたが、同郷の男たちで結成された部隊(第2軍団の第34連隊第5中隊)に入隊し、部隊は南東に250km離れたミュッリュヤルヴィを目指します。

11月30日の昼過ぎに戦争が始まり、12月1日の深夜(日付は変わって2日)、アルヴィさんたちの部隊はミュッリュヤルヴィから東へ80kmほど離れた、ラドガ湖の北にあるスヴィラハティにある拠点を守り抜くよう指令を受けます。太陽が昇って沈むまで、戦闘は夜7時まで続きました。翌日の3日は日曜日で、部隊は休暇でした。

前回(1939年12月3日)のお話はこちら


アヌさんの記録から
1939.12.4



12月4日は、状況を確認して過ぎました。部隊には第34連隊第6中隊からの編入隊員も合流していました。彼らは月曜日に日当を受け取るようです。

スオヤルヴィ湖の南東にあるピーツヨキ村の方から、とある部隊がやってきました。どうやら彼らは戦車が自分たちの後ろを追いかけていると考えてパニックになっているようです。真実を確認するために、2つの部隊が出発しました。その夜は穏やかに過ぎました。

当時の戦時記録から、シモ・ヘイヘとアアルネ・ユーティライネン(モロッコの恐怖)以外の情報を見つけ出すのに苦戦しています。

Anu KaarinaさんのInstagramを翻訳

シモ・ヘイヘの名前は、フィンランド語で、Simo Häyhä と表記されるので、実際には「シモ・ハウュハ」と発音するのが正しいかもしれませんが、日本国内でも馴染みのあるヘイヘとして記載します。


白い死神 シモ・ヘイヘ


シモ・ヘイヘは、現在はロシア領土で当時はフィンランド東部カレリア地方にあったヤウトヤルヴィという小さな町で生まれました。同じくカレリア地方のヴィープリ出身のアアルネ・ユーティライネンとは1歳違いです。派手な振る舞いが印象的なユーティンライネンとは対照的に、ヘイヘは引っ込み思案の性格だったようです。

入隊するまでは農業をしたり、狩猟をして生活していました。兵役後は予備役となり、民間の防衛隊に所属していましたが、冬戦争では予備役兵長として召集され、ユーティライネンが指揮を務める第4軍団の第12師団第6中隊第34連隊に配属されました。冬戦争での彼の活躍は、ソ連軍に「白い死神」という呼称で恐れられるほど、狙撃兵として目を見張るものがありました。

仲間に慕われるリーダー



祖父アルヴィの部隊のリーダーは、最初から最後まで、ウィリアム・トイヴィアイネンが務めました。

彼の姿は、例えば「最前線のサハラの恐怖の男たち」というタイトルで戦争博物館が保管する写真から確認することができます。しかしながら、その数は膨大で、いくつもの部隊の写真が混在しているので、見つけ出すのは至難の業です。

最も有名な写真を紹介しましょう。1939年12月3日に撮影されました。

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Res.ltn.Toiviainen 5/JR.34 Artohuhdan metsätaistelusta.
Suvilahti 1939.12.03
【SA-kuva-arkisto】


まわりに映っている隊員たちは微笑んでいるように見えますが、カメラ目線のトイヴィアイネンの表情は、いかにも不安に満ちています。右側に立っているのは、おそらくポーランド人の中尉でしょう。

そして、トイヴィアイネンの後ろで、顔の左半分が映っていたり、マグカップで顔が隠れていたりするのが、わたしの祖父アルヴィなのかな。
本当のところは、本人に確認してみないとわかりません。

トイヴィアイネン大尉と、アアルネ・ユーティライネン(モロッコの恐怖)は正反対の性格だったにもかかわらず、特に親しい友人だったようです。

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戦士の素顔



冬戦争に従軍した500名に、マンネルハイム自由十字勲章一等あるいは二等が授与されました。冬戦争に基づき、急いで設けられた勲章だったかどうかは分かりません。

エイノ・ヴィルッキ大佐はトイヴィアイネン大尉をマンネルハイム自由十字勲章一等に推薦しました。彼の内なる勇気と能力、臨機応変な姿勢が、フィンランド軍が粘り強く戦って勝利したコッラの戦いに貢献したと評価したのです。これには、スヴェンソン大佐も賛同しました。彼はトイヴィアイネン大尉の道徳と落ち着いた振る舞いを強調しました。

他にも、ヘイスカネン牧師の回想録によれば、アルヴィが所属した第34連隊第5中隊の兵士たちは、カードゲームをしたりお酒を飲んで暴れたりはせず、敵地を攻撃する前には、牧師と一緒になって祈りを捧げていたのだそうです。

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第1話を覚えているでしょうか?開戦直前に部隊がミュッリュヤルヴィまで進軍する最中に誕生日を迎え、仲間たちのお祝いの歌で目を覚ました人物こそが、ここで登場するトイヴィアイネン大尉だったのですね。

次回に続きます。

戦争博物館の記録から
1939.12.4

Alasammuttu vihollislentäjä Imatralla.
Imatra 1939.12.04
【SA-kuva-arkisto】

フィンランド東部イマトラで撮影されました。キャプションには、敵のパイロットを撃ち落とした、と書かれてあります。








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