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🇫🇮 等身倧のフィンランド vol.11 アヌさんず蟿る冬戊争の蚘録7

アヌ・カヌリナさんの祖父アルノィさんは、゜連が宣戊垃告なしでフィンランドを囜境を越えお攻撃し、1939幎11月30日に始たった「冬戊争」の時代を生きたした。

等身倧のフィンランド第11回は、アヌさんが远いかけたアルノィさんの足跡を䞀緒に蟿っおみたいず思いたす。

今回は第7話を玹介したす。

前回1939幎12月6日のお話はこちら


アヌさんの蚘録から
1939.12.7


月日は「ある意味では」静かな日でしたが、䞡軍から䜕床か発砲がありたした。

階兵マスタヌのカヌル・フォン・ハヌルトマンが、倧隊の指揮官になりたした。

Anu Kaarina さんのInstagramより翻蚳

階兵マスタヌは、階兵で䜿甚されおいる倧尉に盞圓する軍の階玚です。戊隊の叞什官ずしお、階兵隊を指揮するこずができたす。

隊員たちには申し分ない食事が提䟛されたした。『冬戊争の蚘録』1334ペヌゞより

今や各郚隊は、埌に、その日に赀軍の進行がコッラヌンペキで足止めされたず曞かれるほどに、コッラスダルノィ呚蟺の道路のあちらこちらでよく管理されおいたした。

祖父の郚隊にずっおは「ある意味で」静かな日でしたが、情報官のパロランミの蚘録には「コッラが持ち堪えおいる」ずありたした。第䞭隊のナヌティラむネン䞭䜐ず、野戊砲連隊のストルペン倧尉の偉業が功を奏し、敵の戊車を足止めしおいたのです。

この戊争がはじたっお、ヒヌロヌマントを身に纏うにふさわしい人物が既に䜕人か珟れたした。圌らは力匷く、魅力的で、予枬䞍可胜に振る舞うのでした。

その䞀人が、私たちの物語にも登堎する、カヌル・フォン・ハヌルトマンです。
元はハリりッド軍事専門家で、カりボヌむ、スペむンで内戊に出おフランシスコ・フランコの軍の倧隊の叞什官を務めたした。特にフランスの倖人郚隊では、モロッコの恐怖、アアルネ・ナヌティラむネンに仕えたした。

ナヌティラむネンのヒロむズムも、私たちの時間の旅には欠かせなくなりたしたね。のちほど圌の話にも觊れたしょう。

Anu Kaarina さんのInstagramより翻蚳


タむトルにもあるように、わたしたちは「アヌさんず蟿る冬戊争の蚘録」を远いかけおいたす。フィンランドの立堎で冬戊争を芋぀めおいたすが、ふず、冬戊争をはじめなければならなかった、゜連の事情が気になりたした。


声をあげた民衆ず
退けられた皇垝


幎、日露戊争に敗北したロシアでは、垝政ロシアのツァヌリ皇垝による専制的支配䜓制ツァヌリズム に䞍満を抱いた囜民たちが、皇垝の苊境に぀けこみれネラル・ストラむキを開始したした。隒乱を収拟すべく、皇垝ニコラむ䞖は無期限の独裁暩を断念。ロシアでのれネストが終わりに近づくず、今床はフィンランドでストが始たったのでした。皇垝はフィンランド人に察しおも譲歩せざるを埗ず、幎から始たったフィンランド人に察しおの明確なロシア化政策がこのずき廃止されたした。

フィンランドでは、幎月に最初の囜䌚遞挙が実斜され、すべおの歳以䞊の女性ず男性に遞挙暩が䞎えられたした。フィンランドの第回囜䌚には人の女性囜䌚議員が誕生し、その䞭にはメむドやお針子、女性工員などが含たれおいたため、䌝統的に男性の仕事ずみなされおいた囜䌚の議事に、教逊のない女性が加わるこずに぀いおは賛吊が分かれたようです。

䞀歩螏み出した矢先、出錻を挫くかのように、ペヌロッパ列匷の競争が烈火。ロシアはたたしおもフィランドに察する支配を匷化し、再床のロシア化政策が始たりたした。幎に斜行された平等法は、フィンランドにいるロシア人に、フィンランド人ず同様の暩利を認める内容で、倚くのフィンランド人が䞍安を感じたそうです。

幎から幎にかけおは、第䞀次䞖界倧戊が勃発したす。ロシア軍は歊噚の欠乏に苊しみたした。圓時ロシアの人々は、ひどく貧しいか、特別に裕犏かのどちらかで、ロシアの土地の分の を所有する垝ニコラむ䞖ず、前線に赎く際にラむフル銃さえ支絊されない兵士や食糧難に陥った民衆ずの間で、どんどん溝が深たっおいったようです。

幎月、サンクトペテルブルグで劎働者たちがストラむキを開始したす。町はデモ隊で溢れ、月日、最埌のロマノフ朝皇垝ニコラむ䞖が垝䜍を退きたした。そしおロシア党土に、蟲民ず劎働者の瀟䌚䞻矩゜ノィ゚トが蚭立されたした。


瀟䌚䞻矩ずブルゞョワ勢力
独立を急ぐフィンランド


゜ノィ゚トの目的は、囜家の党所有物である工堎や銀行、土地などを掌握し、ロシアを䞖界で最初の瀟䌚䞻矩囜にするこずでした。この改革を先導した人物こそが、りラゞミヌル・むリむチ・りリダノフ、すなわち、レヌニンです。

レヌニンは民衆に、ロシアの瀟䌚䞻矩者を支持しおもらうために土地ずパンず平和を玄束し、こうした芁求を支揎するために赀衛軍が蚭立されたした。蟲民、劎働者、兵士の支持を埗たレヌニンが指導する瀟䌚䞻矩者・ボルシェビキ党が、月革呜によっお暩力を握りたす。

圓時フィンランドの䞎党ずなっおいたブルゞョワ勢力は、ロシアで起こった瀟䌚䞻矩改革がフィンランドにも波及するこずを恐れ、完党な独立を急ぎたした。幎月日、フィンランドは独立を宣蚀したす。ロシアから独立の承認を埗るたでに、フィンランドのブルゞョワ政暩は、ロシアのボルシェビキ政暩ず亀枉に挑たざるを埗たせんでした。圓時ロシアは内戊䞭でしたが、レヌニン、すなわちボルシェビキ政暩を正匏な政府ず認めざるを埗ない状況だったそうです。

この時代を描いたフィンランドの画家の䞀人が、ノァヌサ出身の゚ヌロ・ネリマルッカです。

独立圓時のフィンランド人の耇雑な心境を描いた絵画が、珟圚のフィンランドの歎史の教科曞でも玹介されおいたす。独立はしたけれど、自由にはなったけれど、それたでロシアからの茞入食料品に頌っおいた暮らしは䞀倉しお食料䞍足に陥りたした。第䞀次䞖界倧戊䞭で、他囜から食料品を茞入するこずも難しかったのでした。


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フィンランドで独立が宣蚀されるたでの間、瀟䌚䞻矩者は劎働者をブルゞョワゞヌの暎力から守るために赀衛隊を蚭立したした。察照的に、ブルゞョワゞヌは、自分たちの支持者を赀衛隊の暎力から守るための自譊団ずしお癜衛隊を組織し始めたした。戊闘服はなく、腕章の色が赀か癜かで敵味方が刀別されたした。


幎月、政府は癜衛隊をフィンランドの正芏の軍隊にするこずを決定し、癜衛隊には、圓時ただフィンランドにいた数䞇人のロシア軍からフィンランドを解攟するよう任務が䞎えられたした。このずき、政府軍の叞什官ずしおロシアで軍務に就いおいたフィンランド人将軍、カヌル・グスタフ・゚ミヌル・マンネルヘむムが招聘されたす。

マンネルヘむム率いる癜衛隊は、フィンランド北郚のポホダンマヌ地方でロシア軍の歊装解陀に取りかかり、同日に赀衛隊はヘルシンキで革呜を起こしたした。赀衛隊の振る舞いを癜衛隊偎は、合法的な政府に察する暎動を開始したず認識し、政府軍は鎮圧に乗り出したす。

独立たもないフィンランドでは双方の察立が深たり、結果的に、赀ず癜、瀟䌚䞻矩ずブルゞョワに分かれお互いに銃を向け合うこずになっおしたいたした。わたしはこの蚘事を、フィンランドの孊校で䜿甚されおいる近珟代史の教科曞を参考にしながら曞き進めおいるのですが、この内戊に぀いおは「玠人同士の戊争」ず曞き衚されおいたす。戊争に参加した郚隊は軍事蚓緎を受けおおらず、家事のために、蚱可を埗ずしお勝手に前線を離脱しおしたうこずがしばしばあったようです。

「玠人同士の戊争」にもかかわらず、いや、だからなのでしょうか、この内戊では合蚈䞇人近くの死者が出たこずが報告されおいたす。戊いには癜衛隊が勝利し、䞀郚の赀衛隊員はロシアに逃亡、幎にモスクワでフィンランド共産党を蚭立したす。しかしながら、この埌もフィンランドでは経枈䞍況ず政党間の長期的な察立に人々は翻匄され続け、䟋えば、幎月ラプアでは、囜内から共産䞻矩を排陀するこずを目的ずする運動ラプア運動が勃発したす。


内戊による被害の修埩が急務ずなったフィンランドでは、幎月にはじめおの倧統領遞挙が行われ、マンネルヘむムを玄祚差で砎り、䞭間の諞党ず瀟䌚民䞻党が支持するストヌルバリ倧統領が圓遞したした。ストヌルバリ倧統領が進めた斜策はいずれも、戊埌の混乱したフィンランド瀟䌚を敎える成果を䞊げたした。䟋えば、小蟲ずなった人々は自分の蟲地の管理に専念でき、子䟛たちは家庭の経枈環境に巊右されるこずなく通孊できるよう制床が敎えられたした。


䜕のための戊争で
誰がはじめた戊争なのか


ロシアでも幎たで内戊が続いおいたした。瀟䌚䞻矩者・ボルシェビキがツァヌリ皇垝の将軍たちに勝利し、幎にロシアは゜ノィ゚ト瀟䌚䞻矩共和囜連邊゜連ずなりたした。


ここたで歎史を遡っお、はじめお、アヌさんの蚘録に登堎する「赀軍」が䜕を指しおいるかを理解するこずができたした。぀たり赀軍はボルシェビキを意味し、幎初頭にフィンランド内戊時に匕かれた、赀衛隊ず癜衛隊の「前線」だけで芋れば、おそらく冬戊争でコッラヌンペキの前線で銃をむけあっおいた぀の囜の兵士たちは、その䞀郚の人たちは、瀟䌚䞻矩に理解を同じくする人間同士だったわけです。


その䞀方で、幎の内戊では癜衛隊を率いる立堎で、冬戊争ではフィンランド軍の最高叞什官ずしお指揮した、カヌル・グスタフ・゚ミヌル・マンネルぞむムず赀軍ずの関係は、マンネルぞむムが癜衛隊の隊長ではなかったにしろ、理解し合うには難しい間柄だったのかなず思いたした。だからこそマンネルぞむムは、第回の蚘録で玹介したように、もっずこおんぱんに敵をやっ぀けるべきだず躍起になっおいたのかもしれたせん。

ヒヌロヌマントを身に纏うにふさわしい人物ずは、䞀䜓存圚するのでしょうか。
ナヌティラむネンやハヌルトマンのようなヒロむズムに助長される戊争に、ヒヌロヌはいるのでしょうか。今日、この蚘事を曞くために歎史の䞀郚に觊れただけで、数週間前に翻蚳した内容に違和感を感じるようになりたした。圓時者ではないからこそ、䞭立の立堎での翻蚳を心がけたいです。次回に続きたす。


戊争博物通の蚘録から
1939.12.7


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EnsimmÀinen vanki tuodaan Alasalmella
Alasalmi 1939.12.07
【SA- kuva-arkisto】


この日、最初の捕虜がアラサルミに連行されたそうです。癜い服を着たフィンランド軍のスキヌ郚隊は、冬の森を音もなく巧みに滑走し、敵軍を奇襲攻撃するこずで戊果をあげたず蚀われおいたす。

この蚘事が気に入ったらサポヌトをしおみたせんか