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あっという間に7年過ぎてた その2

前回、7歳になって第二7年期に入ったと書きましたが、8歳からが第二七年期みたいです、早速訂正です。と言っても「はい、今日から8歳、第七年期の始まりです!」というわけではないので、徐々に移行していく感じでしょうから、、、まいいか。

引き続き「意思」を育てるということですが、「健全な体に健全な精神が宿る」とも言うように、やはり健全な意思も健全な体に宿ると思うのです。ですので、小さい頃は体の健全な成長に気を配ります。健全な体を思うように動かせること、そこに意思が生まれ自由な生き方ができるということです。

食が大事なのは言うまでもないですが、シュタイナー関係の人たちは特にこだわりが強く、ブランカ先生などは健康的な食事に関して知識があり過ぎて、全部そのまま受け入れると何を食べていいのか分からなくなるくらいです。周りの家庭も色々な食事法や思想を実践していました。なので、私たちは先生のお話も参考にしながら、迷子にならない程度に取り入れるものは取り入れ、基本的には日本の食事を中心にしています。「畑」と「味噌作り」はこだわって続けました。自分の食べるものを作るというプロセスを通じて、食べ物から生きる力を最大限にもらえるような気がするからです。気長に味噌が熟成するのを待つ、種から芽がでて実がなるのを待つ、これらの長いプロセスの中に「意思」の力を感じるのではないかと、自分なりの解釈ではありますが、そう信じています。

それから、今でこそ腸活などと言いますが、昔から「腹をくくる」とか「ガッツ(英語で内臓の意味)がある」とか言うように、重要な意思決定に腸が関わっていることは人間は本能的に感じていたのではと思います。健康なガッツ(内臓)は強い意志を作るのに必要不可欠なのでしょう。

運動

前回書いた「歩く」ということだけではなく、運動、特に自然の中で自由な遊びでの体の成長が重要とされます。公園の遊具では身につかないものが自然の中にはあります。山のでこぼこ道を歩く、雨の日も雪の日も。天気もでこぼこ道も、人間のコントロールの及ぶものではありません。自然は、自分たちの都合に合わせてはくれません、むしろこちらから自然に合わせていかなければならない。雨が降るならカッパを着て、でこぼこ道はバランスを鍛え、足を鍛えなければなりません。雪が積もれば暖かい服を着て、雪の時にしかできない遊びがあります。受け入れ、合わせていく。なんでも人間の思い通りになると錯覚してしまいそうな現代、でも真理はそうではない。いくら医療は発達しても人間は必ず死ぬし、今でもたった一つのウイルスであっけなく世界は混乱に陥ってしまった。

そんな厳しい自然の中では、人間はこの世の主役ではないことを学び、謙虚な気持ちにならざるを得ない。その小さな人間が何かの目標に向かって行く時、本物の意思が必要だと思うのです。

たいそうなことに思えますが、それを楽しみながら体験できるのも自然の自由遊びのすばらしいところだと思います。

私たちも意識して森や山に出かけて行きましたが、これはいくらあっても十分ということは現代ではないでしょう。もっともっとカナダの雄大な自然の中に連れ出してあげればよかったと思っています。

今通っているシュタイナー学校は山の中にあり、去年の幼稚園では、毎日毎日山の中で遊びました。なんでも怖がりの息子は、他の子供達のようなアクティブなことはできませんでしたが、それでも学年が終わる頃には、しっかり山歩きができるようになり、すっくと立ち、一歩一歩地面を踏みしめて、ずっと背が大きくなったように見えたものです。この自信が、集中力、落ち着いた気持ち、いろんな成長に繋がっていると感じました。

シュタイナー教育って、本を読んでも難しく敷居の高いもののように思うかもしれませんが、本とか読むの面倒臭いなと思うなら、とにかく自然遊び!これが一番簡単で確実です。(笑)


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