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属性を棚卸したら発信できる気がした話

本を出したい、という夢がある私ではあるものの
「死ぬまでに1冊は」なんて枕を付けていて、今すぐにとは思っていない。そもそも、自分が何を発信すればいいのかわからなかったからだ。
否、発信する内容がわからなかったというよりは
私が「何を発信したら人々に振り向いてもらえるのか」がわからなかった。
だから「本を出す」目標は一旦おいて、自分が何かしらのプロと自信を持って言えるまで待とう、と結んだのがこの記事である。

それから「本を書く」ということ自体は叶ったり
(ブックライターの仕事が入った)
自分の文章がそこそこ評価されたり
(noteの記事ばバズった)
お客様からの指定がなくても文章を作り上げられると知ったりした。

ただ、理想に向かって、着々と進んでいってるはずなのに
ちっとも「何かのプロ」になれている気がしない。
どれもこれもまだその道のプロの本を読んでいる側なのに
到底書く側になんてなれるはずもなかった。

だけど自分を「プロ」と感じるきっかけは意外なところで訪れた。
先日やった猫ライターのスペースである。

不思議なことに、猫ライターとしての私はちゃんと「プロ」として話せてた気がした。プロのお二人に囲まれていたからというのももちろんあるけど、
ちゃんと自分の信念を論理だてて矛盾なく話すことができたと思う。
そして何よりそれを「伝えたい」と思ったのだ。

自分から生まれた考えを「伝えたい」「発信したい」
その気持ちが0からわくことが「プロ」なんじゃないかと思った。

私はいつもサービスとか商品とか良いものを人に広めるのが好きで
そういうときは堂々と全力で発信できる。
だからライターとしてうまくいっている。
一方、自分のことを発信するときは「もしよかったら」「お手すきで」
「気が向いたら」なんて言葉を付けなきゃ怖かったし
あくまで「チラシの裏に書くような内容ですが」みたいな遠慮があった。

でも不思議と猫ライタースペースではしどろもどろのときもあったけど
ちゃんと気持ちが外に向いていた。
書くということについて、猫について、ここ数年一生懸命考え続けてきたことが私の背中を支えてくれて、私は初めて「発信」できたと言える。

そういう風に私を支えてくれる後ろ盾は実はいろいろあるのかもしれない。

たとえば、子どものこと。長女が生まれてから10年間、四六時中、どうしたものかと考えてるし、本も論文もいっぱい読んでる。子どもの性別も年齢も個性もばらばら。病気ケガ人間関係トラブルもいっぱいあったし、子どもが育つごとにまだまだいっぱい学べる機会がある。

あとは意外と、研究のこと。なんだかんだ6年も大学にいたのだ。大学を出てからも夫のことをずっと見てきたし、仕事でいろんな研究者さんたちにもあった。つい目について読んじゃった論文は一体何本あるだろう。大学時代、研究から逃げて図書館の地下に潜った日々もこっそり私を支えてくれてる。

もちろん、書くことも。小説を書き始めたのは中1だから、もう書き始めて25年経つ。そういや川柳も数年やってた。読んだ小説、エッセイは数えきれない。ライターとしてもそれなりの地位を築けてると思う。そう考えると何で私、こんなに創作に自信ないんだろう。書けばいいじゃん、もっと。

これらの3つは枝分かれして、無数のちっちゃなプロ意識がある。
プロというにはひよっこでは?というものもいっぱいあるけど
かけあわせたら結構唯一無二で、発信するに足る気がしてきた。

あとはやっぱり「発信する私」は「外から見た私」であることを忘れちゃいけない気がしている。
私は他の人から見て、一体どういう人間なんだろう?
それを聞いて回ったら、もっと道が広がるかもしれないな。

本を書く、の最初の一歩、ようやく踏み出せた気がするぞ。


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