見出し画像

私は「本を出したい」んだろうか

先日、さとゆみさんの「本を出したい」を読んだ。

すごく実践的で、今すぐ動き出せるような、そんな本だった。
実際読んだ直後は自分がどんなコンテンツを発信できるのか、どんな形で本に書くネタをアウトプットしていけばいいのか、いろいろ考えて止まらなかった。

私はいわゆる「創作」的なものが苦手で、すでにある情報を調べて、集めて、まとめて、伝えるのが好きだ。
いいなって思う方法があればすぐ人に伝えるし、伝えるのがうまい自負がある。
だからきっと「本を出したい」で触れられたような実用書を書くことはたぶん、向いている。

ただ、
私に何が発信できるだろう?
何が発信したいんだろう?
と思うと、あんまり思いつかなかった。
強いて言えば情報の得方について、書いてみたいかもしれない。
論文とかそういったものをもっとカジュアルに読んでみてほしいと思う。
今は生成AIのおかげで、難解な英語論文を読むのですら、そんなにハードルは高くないはずだ。

私は大学時代論文を読むのが大好きだった。
自分で研究を進めるよりずっと、文献を漁るのが好きで、自分の研究に関係ないものもおもしろそうなら読み漁っていた。
それが意外とアイディアの拡がりや、雑談のネタからの人脈につながったりするから、必要に駆られない情報収集はやめられない。

もし、当時英語も気にせず読めてたなら、きっと私の知識量は数倍になったはずだ。
今はAIという道具はあるのに大学時代にあったあらゆる論文ほぼ読み放題のライセンスは失ってしまったのでとても悔しい。

話が脱線したが、要は私は情報をいかに広く、深く、正しく調べるかの専門家にならなれる気がしてる。
それが一番「本をだせる」肩書と実績に手が届きそうに思える。

でもまだ、届いてはいない、気がする。

「本を出したい」を読んであんなに刺激を受けたのにちっとも動き出せない自分にヤキモキしていたけど、要はまだ「その時じゃない」のかもしれない。
2024年に入ってからというもの、大量の短文リライト、人が取材した文字起こしの記事化、人が書いた記事の編集作業、写真のキャプいれ、などなど、1人で完結できない仕事がいっぱいきた。
そうすると今までとは全く別の「調べる」「理解する」「伝える」能力が必要で、まだまだ書くべきことを蓄えてる段階のように思えるのだ。

「そんなこと言ってるうちに、情報の賞味期限が切れるぞ」とか
「期限きって書くって決めないと一生書き出さないぞ」とか脅してくる私もいるけど、
今はまだ本にじっくり向き合うよりも雑多に文章の便利屋さんでいたい。

もっとあらゆる場面で役立つ「調べる」「理解する」「伝える」を網羅したい。
やっぱりまだ実践が足りない。
「これライターさんに頼む仕事かな?」と頭をひねるような仕事でも「あの人なら何となくうまくやってくれそうだな」って頭に浮かぶ人になろう。

そうなったら「本を出したい」。

#新生活をたのしく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?