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よく考えると「勉強」したことないかもしれない

「よく勉強されてますね」とよく言われる。
主に子どものことや、猫のことなどだ。
仕事柄、取材相手から言われることも多い。

こう言われるといつも、反応に困る。
勉強した自覚がないからだ。
私は単に「わからない」で終わらせることができない体質で、常に「わからない」を調べ続けているに過ぎない。

子どもや猫は、もともと大事な存在だ。大好きだ。
取材だって、そもそも興味があることだからお願いしてる。それを快諾して会って話していただけるというだけで、好きになってしまう。
取材当日まで、お会いできるのが楽しみで、わくわくしている。

好きなもののことなのだから、調べてわかることなら全部知りたい。
少しでも関連する情報を見かけたら、目が止まるし、読んじゃう。
これは例えるなら好きなキャラのウィキペディアを関連リンクまで残さず読んでしまうような感じで、私にとっては推し活の基本のキである。

その行動に「勉強」という言葉が、あまりにもしっくりこない。
もしかしたら私の「勉強」の定義が間違っているのだろうか?

辞書を引いてみよう。

べん‐きょう‥キャウ【勉強】
〘 名詞 〙
① ( 形動 ) 努力をして困難に立ち向かうこと。熱心に物事を行なうこと。励むこと。また、そのさま。
② 気がすすまないことを、しかたなしにすること。
③ 将来のために学問や技術などを学ぶこと。学校の各教科や、珠算・習字などの実用的な知識・技術を習い覚えること。学習。また、社会生活や仕事などで修業や経験を積むこと。

精選版 日本国語大辞典 

努力、困難、気がすすまない、修行……
こういうとこだ。こういうのが「勉強」なのであれば、私は大学受験以来たぶん一切勉強してない。
いや受験勉強も興味ないことからは全力で逃げたから(地理無理すぎて独学で世界史に変更したりした)出来不出来はともかく興味は持てていた。
じゃあ私はもしかすると、勉強したことないのかもしれない。

だって、好きだから知りたいだけだ。
わからないことがあると気持ち悪いのだ。
やらずにはいられないのだ。

なのに「勉強」と言われると、しっくりこない。

こういう私は珍しいなのだろうか。
少なくとも夫はそういう人間だったから結婚できたし
その夫と私の血を継ぐ子どもたちもそうだし
私の大元である親もそうだ。
でも確かに範囲を「知り合い」まで広げると
こういう人間は少数派かもしれない。

思い返せば「調べてみたら?」は言われたことあるけど「勉強しなさい」という言葉は聞いたことがない。
受験なんかで仕方なく何かを覚えようとしたことはあったけど、調べること、理解することに「仕方なさ」をおぼえたことはない。
私の学びの根底は「好き」「おもしろい」「気になる」で、それはすごくラッキーなことなのかもしれない。

「よく勉強してますね」って言われると「がんばったんだね」と言われてるようなのが嫌だった。だからいつもぎこちない笑顔で「はあ」と答えてきた。
でも、私にとって「学ぶ=好き」なのだから、これは私の愛をアピールしていい場面なのではないか。
「好きなもののことなのでいつも情報は集めてるんです」とか「おもしろかったのでいっぱい調べました!」とか言ってみたら案外相手も気分がいいかも。
それとも「何でも好きって言ってんな、こいつ」と呆れられるだろうか。
まあそれはそれで事実だからしょうがない気もする。

私の知識の根底は万物への惚れっぽさ。
好きなタイプは好きになった人なのです。

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