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涙のかたちはすいかの種


幼い頃、母の実家である鹿児島で夏休みを過ごした。

私の家から鹿児島はうんと遠く離れていて、まるで外国のように感じた。

木の生え方が違う。なんていうか野生的。
葉の生い茂る勢いも違う。
虫も違う。大きさが違う。
見える景色の色が、ぜんぜん違う。

全てが活力に満ちて見えた。


食べ物の味も、人々が話す言葉のスピードもイントネーションもまとう雰囲気も。

のびのびとしていて、私はすぐに鹿児島が大好きになった。

滞在何日目かに、母の知り合いのお家へ遊びに行くことになった。


そこは大きくて古い、平家のお家だった。

どこまでお庭なのかどこから畑なのか、わからないくらいとにかく広い。

蔵があり、鶏小屋があって、農作業に使う道具がたくさん並んでいた。


時は、真夏の昼下がり。

セミたちがいっそう強く鳴いてた。


百日紅がワァっと咲いていて、ワァっと散った花びらのマゼンタ色が夢のようにきれい。


木漏れ日が揺れていて、気持ちいい風がふ〜っと通り抜けてくお庭に立っていると
(たぶんずっと)開け放たれた玄関から
「おお〜よく来たね!」とご夫婦が出てきた。

母は嬉しそうに「おひさしぶりです〜!」なんて高めのよそ行きの声を出し駆け寄っていった。
おばさんときゃっきゃっと手に手を取り合って喜んでいる。


おばさんが私の目線に立って「こんにちは」と笑いかけて頭を撫でてくれた。
くすぐったい気持ちでいると、おじさんも屈んで私に笑いかけてくれた。


冷たいヤクルトを手渡しながら、
「わっぜあつかねぇ」とニカッ笑った。


私はおじさんの姿を見てビクッと固まってしまった。


ランニングを着たおじさんの左腕は、まるまるなかった。

肩のところは腕をなくした跡がはっきり見えていた。
パキッと割ったソーセージの断面のような肩だと思ったのを覚えている。


こわい 


咄嗟にそう思ってしまった。


気がつくと私は泣きながら来た道を走っていた。



自分が今、とても酷いことをしていることをちゃんとわかっていた。


そのことが恐ろしくて、
そういう自分がはじめてで、全部が怖くて、
泣きながら走った。


後ろを振り返ると、母が子どものように泣きじゃくりながら追いかけてきていた。

「あやまりなさい!」と悲しみと怒りが滲んだ声で叫んでる。


私は人を傷つける感情を持ってるんだ。


そのことが真っ黒の影のようになって、
自分のことを覆うように伸びてくるような感覚だった。


おじさんは農作業中の事故で腕を切断したという。


私をとっ捕まえた母は、息を切らしながら「ちゃんとあやまれるよね?」と涙声で言った。


私は絶望でどろどろに溶けたアイスクリームのような姿で、おじさんのところへ戻った。

ごっ、ごっ、…と声を漏らしひっくひっく泣いている私を見るなり、おじちゃんとおばちゃんは入道雲みたいな大きな声でワッハッハ!といつまでも笑っていた。



ごめんなさい 


そう言葉にしようとしても喉の奥がぎゅっとしてちっともうまく言えない。


それなのにおじさんは「ありがとうね」と私の頭を優しく撫でてくれていた。


悪いことをしたのは私なのに、どうしてありがとうと言ってくれるんだろう。
何故だか涙が溢れて止まらなかった。



ひぐらしが鳴き始めたら、
あっという間に夕刻が近づいている。

一息つきなさいといって、おじさんが育てたというすいかを出してくれた。

スーパーで売っているものとは比べ物にならないほど甘くて、味が濃ゆくて、ほんとうに、べらぼうに美味しかった。


縁側に座って、慣れた仕草でスイカの種を庭に飛ばしながらカッ食らうおじさんはカッコよくて粋だった。

私も真似して飛ばしてみても、ぽとぽと膝に落ちるばかりで、そんな私を見て豪快に笑ってくれていた。

またいつでも遊びにおいで、と言って別れたけど
お会いできたのはそれきりだった。



今でもときどき、まだあの田んぼの道の続きを走ってるような気持ちになる時がある。


ぽつんと、どこまでもひとりで、何かを恐れて、なにかを見ないように。


私は、だれにゆるしてもらいたくて走ってるんだろう。


スーパーですいかを選ぶとき、ふいに頭を撫でてくれた優しい手を思い出す。


それを抱きかかえながら運ぶとき
ひとりではなく、どうしようもなく関わり合い生きてきた重みを両腕に感じた。

蝉の声はあの頃と変わらないままで、
いつまでもどこかで子どものままの私を知っているみたいに鳴いているというのに。


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