小説『ヌシと夏生』8_ろくろ首
「ちょっと待て」と夏生がヌシを制する間もなく「初回のご相談は、つまり今ですね。こちらは三十分まで無料です。でも三十一分から三十分ごとに三千円お申し受けします。それから調査費が今回のお話のようなケースです……」と、いつの間に作ったのか、手書きの料金表まで用意している。
こいつ、本当に神だったのだろうか?明らかに商人。しかも、字もきれいだ。
「ただし、今回は美津さんからのご紹介なので、二十パーセント割引させていただきます」
「わかりました。お願いします」
男が頷いた。
「ここにサインをすればいいのですね?」って、いつの間にそんな申込書まで用意したんだ?
「ちょっと、待て」
必死に目配せをするが、ヌシはまるで気が付かない。もしくは気づかないふりをして完全に無視をしている。
「ペンをとってきますね」
男が立ち上がったすきにヌシの横腹を肘で小突く。
「何の真似だ?」
「はて?」
「はて?って、どう考えたって何もできっこないだろ?無責任に何の契約をしようとしてるんだ」
「大丈夫。問題を解決すればいいんだから」
奥さんがろくろ首っていう問題をどうすれば解決できるのか、それが知りたい。
「お待たせしました」
男は戻って来るなり、さっそくサインを書き始める。
「ちょっと待って……」
「何か?」
顔を上げた男はすでに、サインを書き終えていた。
「いや。その……」
夏生の背中に嫌な汗が流れ落ちる。でもヌシは落ち着いたものだ。
「それでは、まずは本当に奥様の首が伸びるのか?ということについて調べさせていただきます。今、奥様はどちらに?」
「友人と出かけてくると。おそらくしばらくは帰らないと思います」
「そうですか。また日を改めた方が良さそうですね」
「はい。よろしくお願いいたします」
おもむろに男が封筒を取り出した。
「こちらの料金表を見ても足りないことはないと思いますが、まずは手付金ということで。調査に必要な経費はおっしゃってください」
「ありがとうございます。では、今週末にでももう一度、お邪魔しますね。その時に奥様にもご挨拶させていただきたいので同席してくださるよう、予定を調整しておいてください。ただ、私たちのことは、お友だちとか、取引先とか、そんな感じでご紹介していただいた方が良いと思います」
一体、こいつは何者なのだろうか。てきぱきと話を進めるヌシの横顔が、何とも神々しい。よくテレビなどで紹介されている、やり手の経営者という感じだ。男の方は、もう事件は解決したとばかりに、嬉しそうな表情を浮かべている。
「やっぱり、神様ってのは、相手の正体とか会えばすぐにわかるものなのか?」
男のマンションを出てヌシに尋ねてみる。
「わからん」
「わからない?」
「わからん」
「じゃあ、どうやって解決するつもり?」
「わからん」
「わからんで仕事を受けるな。だいたいあの申込書。どこから出てきた?」
「申込書?祈られれば応える。神の性だな。その代わり賽銭は請求する。ただ働きはしない主義だ」
やはりこいつは神ではない。商人だ。
「どうするつもりだ?」
「どうするって、この先どうするかは君の仕事だ」
そんな仕事を始めた覚えはない。夏生は抗議する。そもそも金をとったのはヌシではないか?
「これまで皆から金、金と祈られてきたから。いつか自分でも稼いでみたいと思っていたが、意外と簡単だったな。君も収入を増やしたいと言っていたし。ちょうど良い」
「ほら」とヌシから渡された封筒にはそれなりの金額が入っていた。
(つづく)
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