『鬼滅の刃』の1話目って壮絶だなと『ワンピース』1話目を読んで改めて考えた話
時間が経って改めてわかることってありますね。『鬼滅の刃』はヤバいと常々書いて来た私が、今更それを改めて実感するとは思ってもいませんでした。
『ワンピース』1話目の完成度の高さと素晴らしさ
『週刊少年ジャンプ』を毎週買うようになって一年半が経ちました。発端は『鬼滅の刃』の続きを直ちに読みたい!ただそれだけでした。でも、鬼滅の連載が終わった後も買い続けています。アラフィフ女性の私がジャンプを買うのは最初、結構勇気がいったのですが今では平気です。
ジャンプを買うようになって気がついたのですが、私の周りには子どもの頃からずっとジャンプを買い続けて50歳になったというような男性が結構います。
彼らは『ワンピース』に対して「かなり好き。掲載されていない週は買わない」「尾田先生のご活躍のおかげで鬼滅は吾峠先生の好きな長さでやめることができた」「まあ、読むよね。いい話だし」というような感じで肯定的な声は多いけど「あれは面白くない」「あんまり好きでない」というような否定的な声の人はいませんでした。
そこまでの作品です。読んでみたいものです。無論、私も何回も挑戦しましたがどうしても1巻から先に進みたいという気持ちが湧いてこなかったのです。しかし、先日テレビ番組で『ワンピース』の女性キャラについて触れていて、もう一度読んでみようかなぁという気持ちが湧いてきました。
そうしたら、たまたま行ったお店さんの待合に『ワンピース』が置いてありました!何回も読んだ1話目を再び読みました。以前より、少年漫画に慣れて来たのか素直に「いい話だなぁ。よく作られているし、子どもは元気出るよね」と思いました。『暗殺教室』の後半に出てくる「力をどこで使うか」「力を何のために使うか」「プライドとは何か」が1話目で出てきます。すごい完成度だと思いました。さすがレジェンド漫画作品の1話目です。
『鬼滅の刃』はどうしてあんなにヒリヒリするんだろう
そこで改めてフト『鬼滅の刃』の1話目ってこんなに明るくなかったよな、と気がつきました。『鬼滅の刃』の1話目には「憧れ」も「夢」も「希望」もないのです。「希望もない」は言い過ぎですが、「鬼にされた妹を救う」を「希望」に入れていいものか悩みます。「願望」や「悲願」ではありますが。いや、やはりそれは炭治郎にとって「希望」なのでしょうか。。少年が抱いた希望からも壮絶さを感じます。『ワンピース』のような輝く「夢と希望と憧れ」をそこに感じることはできません。
『ワンピース』1話目にはルフィが憧れているシャンクスが出てきます。シャンクスの姿からは、ルフィの価値観や目指す大人を想像させ、そこに希望や明るい未来を感じました。
同様に『鬼滅の刃』にも圧倒的強さを持つ大人として冨岡義勇が出てきます。しかし、炭治郎からしたら冨岡義勇は「憧れ」の対象ではないでしょう。怒鳴られ、叱られ、失望させられ、圧倒させられた。そして、あの時唯一かもしれない「希望」を示した相手でした。そして、他に選択肢が無い炭治郎は、義勇に言われるがまま、訳も分からず狭霧山を目指します。自身の願いと希望を叶えるために、夢を抱いて出発したルフィと対照的です。
炭治郎にとっての憧れのヒーローは父親だった
炭焼き職人の息子、炭治郎にとって同じく炭焼き職人で、愛情深い父親は憧れであり、目標であったと思います。父を病で亡くした後、彼は幼い弟や妹のために父の代わりを務めていきます。竈門家で代々伝えられてきた神楽を舞う父の姿もまた、彼にとって憧れでした。
幼い弟妹にお腹いっぱい食べさせたい、綺麗な着物を着させてあげたい、それが炭治郎の願いでした。それを叶えるために、家業の炭焼きは大切な仕事でした。「生活は楽じゃないけど幸せだな」という炭治郎の心の声が全てを表しています。彼の生活は楽じゃないけど、彼には喜んでもらえる家族がいました。それは人として一番の幸せではないかと思います。つまり、幸せな彼には旅に出る理由も、必要もなかったのです。
しかし、家族が殺され、唯一生き残った妹は鬼にされました。そこで彼が選んだのは、あの冨岡義勇が言った助言に従うことでした。『ワンピース』のルフィのように夢を叶えるためでもなく、『僕のヒーローアカデミア』のデクのように憧れのヒーローを目指すためでもなく、『呪術廻戦』の虎杖悠仁のように生き様で後悔したくないからでもなく、炭治郎は妹のために動きます。
『鬼滅の刃』はヒリヒリする。 それなのに人気の理由。
1話目を読み返すと、『鬼滅の刃』は相当に壮絶な展開から始まります。なんでそんな鬼滅が人気あるんだろう?といつも不思議に思います。無論私は鬼滅の大ファンです。けれども50歳近い年齢で、元々暗い話が好みの私がそうなのは理解できます。しかし、世の中の子ども達、若い人たちまで鬼滅にはたくさんのファンがいます。なんでだろう?と、そこをずっと考えています。
炭治郎や柱達の生き様が、鬼滅の魅力の一つとなっているのかもです。炭治郎は命懸けで妹のために戦います。無論、彼の一番の望みはそれです。しかし、彼が死んでしまっては、いくら人間に戻れたからといって妹の禰󠄀豆子が喜べるはずもありません。柱達も同様です。彼らも命懸けで他者を守りますが、彼らの家族にとって彼ら自身の死はどれだけ辛かったことかと思います。
そんな風に、炭治郎はじめ柱達は、いつも自分よりも他人を大事にします。その生き方を正解だとは私は思いません。自分と他者、どちらも幸せになることこそ、人間の本質的な生き方だと思うからです。しかし、自己犠牲の炭治郎の姿は今の多くの日本人、子ども達や若者達も含め、共感を呼んでいます。それほどまでに、今を生きる日本人達も、目に見えない鬼と戦っているのかもしれません。
蛇足ですが、『ワンピース』と『鬼滅の刃』で言えば、ワンピが陽で鬼滅が陰でしょう。そのハイブリッド型なのが『僕のヒーローアカデミア』だと思います。ヒロアカを鬼滅と並べれば陽かもしれませんが、ワンピと並べれば陰だと思うからです。
今回、鬼滅の1話目の壮絶さを改めて考え、ただただ明るい作品だけを掲載するのではなく、いろんな作品を載せている『週刊少年ジャンプ』を改めてすごいと思いました。作っているのはもちろん現役の小中学生ではなく、大人たちです。どうやったら今を生きる子ども達にここまで寄り添えるのかと思いますが、読者による人気アンケートに忠実に従っているのでは、とも思います。
アラフィフとなり、自分が今までやってきたことを間違っていると認めたくない時もあります。でも、ジャンプを読むとそういうものが吹っ飛びます。何を凝り固まっているんだと思い知らされます。吾峠先生が『鬼滅の刃』をお描きにならなかったら、間違いなく私は他のジャンプ作品とも出会っていなかったでしょう。そして、何十作と読んで来ましたが、今の今まで『鬼滅の刃』以上と言える作品にはまだ出会っていません。これからも、まだジャンプ作品を読む旅は続きそうです。
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