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スーパー諸行無常時代の処世術

少し前我が家では、
わたくしの局所型地震的
オートメーションブームにより、
Googleネストハブに全家電を繋げてハンズフリーにするという壮大なプロジェクトを実施した。

特に乗り気ではない夫を引きずりまわし、
ビックキャメラで色んなものを買い揃え、
上手く繋がらないなどのトラブルを乗り越えて理想的な形を作り上げたわけだが、

なにが最もイライラしたかというと、
セットアップ過程や調べる労力よりも、

何回言っても声ではなくリモコンや壁についたスイッチでテレビ、電気をつける夫。

ちなみに、これをやると次声で操作しようと思った時にGoogleが混乱してちょっとした手間がかかるので、大変困るのである。

まぁそんな夫も今では、
旅先で「OK Googleテレビつけて
と言いそうになるくらいになったわけで、

つまるところ、習慣って恐ろしく
何かを変える時に一番厄介なのはその変化を起こすこと自体よりも、それを受け取る側の人々の考え方を変えることなのだ。

ということで今週は、
変化と人の考え方(チェンジマネジメント)
について思いの丈を述べたいと思う。

理由なき変化への抵抗勢力

何かを変えようとした時、
必ず現れるのが『変化への抵抗勢力

だいたいこの集団は、
今困っていないので変える必要がない」
「ただでさえ忙しいのに新しいもの入れると労力がかかる」

と言った決まり文句を掲げてぬりかべプレイをしてくる。

変えようとしている側としては、
変化をすべきだというマインドに完全に染まっているので、
抵抗勢力のことがロジカルに全く理解出来ず、
今より便利・より良くなるのに、

なに言っとんじゃいカタブツめぇい!

となり、両者は相容れず、議論は平行線。

でも、

多分ここで理解しなければならないのは、
基本的に「変化」というのは人間にとってものすごくストレスであるということ。

変わらぬ味ーとか、変わらぬあのお店とか、
変わらぬ友情とか、変わらぬ母の愛とか。
変わらない良さと安心感って絶大なわけで。

かくゆう私も先日、
愛用していた化粧品がパッケージも名前も香りもコンセプトも変わった際、
より改良された製品だということは頭で分かっていても、お店の人を30分くらい質問攻めにしてブツブツ小言を言ったあげく、
新しいものへの切り替えを決断出来なかった。
(THE迷惑)

だから、変化への抵抗勢力って、
確固たる理由があるというよりも、
気持ち的になんとなく嫌だ!

となる致し方なき生理現象なんだとまずは理解した方が良かろうと思っている。

それでも変えたい場合

じゃあ変えたい側はどうすればいいのかという話ですけれど、

こんなところでしょうか↓

  • 気合いと根性作戦
    シンプルに共感して説得する方法。
    話術に自信がある方、抵抗勢力との信頼関係がある方はこの作戦でどうにかなるかもしれない。

    これで解決するならそれに越したことはない。

  • 強制的に他のオプションを断つ作戦
    半ば強引だが、それ以外方法がないということにすれば致し方なく従うしかなくなるわけで。可及的速やかに変えたい場合はこの方法をとって、受け入れられない方にはご退場いただくというのもあると思う。

    ちなみに、我が家のGoogleネストハブ導入時にはリモコンを隠す及び壁のスイッチ押したら妻がキレるという手法をとり、致し方なく夫は適応していきました。(ご退場されなくて良かったです)

  • ぬるぬる作戦
    ぬるぬると少しずつ変えていって相手が知らぬ間に気づいたら変わっているという若干騙し討ちのような作戦。
    ちょいちょいやりにくいところを混ぜて、抵抗勢力に「もっとこうしたらいいじゃん!」となってもらうとなおよし。こうなったら、後半変化が加速したりもする。

  • 抵抗勢力を変化の渦に巻き込む作戦
    敵を仲間に引き入れるという古からある伝統手法だが、そういった人たちのフィードバックはとても有用でなかなか全体としても良い方向性に進む作戦。

スーパー諸行無常時代だからこそ、

こういった作戦が非常に大事になって、
ぬるぬる作戦抵抗勢力を変化に巻き込む作戦に流行り言葉でアジャイルという名前がついたのだろうな、というのが私見。

変化を受け止められる人でありたい

一方、変化の受け取り側について。

私が最近見た素晴らしき例は、
仏夫の父、つまり私の義父。

結婚超初期、
「自分たちのころは共働きが珍しくて、自分の常識と照らし合わせることが出来ないから」と、

海外赴任のある夫と働く妻の生活において何か良い情報はないかと共働き夫婦の人生をネットで調べたり、友人に話を聞いみたという義父の話を聞いて、

私は胸を撫で下ろし、
心から尊敬の念をいだいた。

世代的に男は外で女は家という典型的な昭和のサラリーマンだし、

実の父のように
働きウーマンとして戦う娘の様子を見てきた訳ではないので、

ともすれば、
理由なき抵抗勢力』となりうるにも関わらず、まずは新しい価値観を知ろうとする姿勢

これは、なかなか誰でも出来るわけではない。



変わることが必ずしも良いことばかりではないけれども、

少なくとも、

何も考えず、ただただぬりかべと化す
のではなく、
変化を変化として認識して受け止められる人が増えて欲しいし、

何歳になっても自分自身そうでありたい。

そして、本当に無理だったらその場から
退場すれば良いのだから。

それがスーパー諸行無常時代の処世術
と思っております。


そんな、ちょっと真面目なお話でした。

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