あれは人類の運命なのか個人の運命なのか

noteの運用を今後どうしようか考えつつ、今日はとりとめのない駄日記。

相変わらず食欲がなく、昨日は眠ることもあまりできませんでした。さすがにあまりに睡眠が足らないと身体がもたないため今日は少しは眠れたのですけど、相変わらず食事はあまり気が向きませんね。何を食べても美味しく感じないです。アイスクリームとポテトチップスという2大好物だけですね、美味しいと思うのは。それが美味しいと思うだけまだましか。でもそれらだってすごく食べたいという気にはならんのです。

それでも占いをやっていたいという意思は強くて、占わせてもらえると体調を忘れて頑張れたりしています。占いを受けるのは好きだけどするのは好きでもないし向いていないと思っていたけど、そうじゃなかったんだなと不思議な気持ちです。

「これくらいの時期にこんなことがあってその結果何かが本業になる」と3年くらい前?に言われてた手相鑑定の話って、占いのことでファイナルアンサーだったんだなと改めて噛み締めてます。まさか占い師になるなんてほんとに思ってなかったんですよ。本当の本当に。

その手相鑑定の的中率は今のところかなりのものなのですが、特に仕事のことはほぼ当たってるんですね。なので、来年からは遠方への移動も増えて忙しくなり、来年秋くらいから再来年にかけてものすごく大きな仕事を手掛けるというのもきっと当たるのだろうなと思っています。来年にはコロナの世の中も落ち着いてるのかもしれないですね。んで、私にとってすごいのであって、世の中的には全然すごくないことをやるのかもしれないけど(笑)。でも、鑑定された方によると「こんな大きなの見たことない」という線があるそうなので…。生命線から上の方に伸びてるこのやたら主張してくる線かしら、と想像してみたりもしてますが合ってるかどうかはわかんないです。んで、その来年やってる仕事が何なのかもわかんないですね。そもそもそこまで生きてるのかどうかもよくわかんないしさ。

鑑定してくださった方は、基本的に仕事のことは右手に出るとおっしゃっていて、確かに仕事の話は全部右手を見ながらお話されてたなと思い出します。過去のことも時期や起こったことがほぼ外れていないので、この先のことも当たるのでしょうね。そうなれば生活に余裕もできて、また鑑定に行けるかもしれないなと楽しみにしてたりします。

一方の左手は主に結婚とか恋愛とかいったプライベートのことを観るそうなんですけど、私が仕事の話をメインに聞いていたせいか、そちらの話はそこまでたくさん聞いてはいないんですね。そのせいもあるのか、的中したなと確実にわかることが実は今のところ1件もなかったりします。当たってるのかも外れてるのかもわからない感じ。結婚とか恋愛とかって相手ありきの話で、仕事と比べて自分一人だけで判断できない場合の方が多いじゃないですか。仕事だって他人とのかかわりの中で行うものだけど、さらにもっと相手ありきというか。何となく伝わっていたらいいのですが、意味不明になってたらすみません。

1件だけ、もしかしたらこの話だろうか、と予想していることはあるんですね、左手の話として言われたことで。けど、それはプライベートではなく仕事の話なんです、分類するなら確実に。仕事の話でも人とのかかわり方などによって左に出るのかもしれないですけど、その仕事の話の流れは右手の方にしっかり刻まれていた話で、その「この話だろうか」と思ってることだけ左手に出ているのだとしたら、そのことに私はどうしても違和感を覚えるのです。
私の手相もしくは私本人は規格外過ぎるそうなので、私に至ってはそういうこともあるのかもしれないですけど、たとえば仕事として収入を得てはいない趣味のブログのことでも「右手」に刻まれているようなのに(収入にならないだけである意味仕事という位置づけなのかもしれないですね)、その話がぽつんと左手に出ていることが、どうも不自然な気がして仕方ないのです。左手の話に当てはめようと思えばそうできるというだけで、実は全然関係ないのかもしれない。

それとは別に、左手の話として告げられたことの中に「もしこの件を指しているなら確実にその話」と思っていることがあるんです。けど、それは時期が合わないんですね。少しずれているんです。
時期の方を合わせると、やはりもしかしたらこの件かなと思う話もあるのですが、それは私には事実かどうか確認が難しい話なのですね。

時期が合うか、内容が合うか、そのどちらか。もし時期にずれが生じていたのなら、ほかの話にもずれが生じるわけですけど、そうなると「この話とは整合性が出てくるけどこの話とは合わないかも」という件も出てくる。けどそれらのすべてはそもそも「確実にこれ」という答え合わせが1件もできていないので、実際には整合性も何もないかもしれないわけです。何か一つだけでも、これは間違いないという話があれば、もう少し予想が立てやすいのですけど、本当にひとつもないんですよ、今のところ。

私の左右の手を比べてみると、全然違う手相をしてるんですね。右手はわりと本にも載ってそうな素直に見える手相なんですけど、左手はわけがわからない。主要な線すら「結局これ何なの?」と判断を投げたくなる始末。占い好きだったので手相の本もたくさん読んだけど、何を見ても自分の左手は何が何だかわかりませんでした。

それでもプロはしっかりと鑑定してくれて、運命としてはわりと素直なことをいろいろ告げてくださっていたのですけど、私は規格外過ぎるため読みが正しいかどうかはわからないそうで。仕事に比べてプライベートは当たってるかどうかわからないそうで。仕事の予想に比べて随分シンプルな予想ばかりだったのに、ある意味わけのわからない仕事の未来よりも、シンプルなはずのプライベートの未来の方が読みづらいとは何とも不思議。普通はそんなことなくて私がやっぱ変なのかもしれないですけども。

自分は手相が読めないですけど、それでも告げられた話を色々思い出しながら自分の手を眺めて、この話はおそらくこのはっきりした線だろうな、これが別の件を指すとは門外漢の私にも思えないんだよな、といろいろ考えてみたりもしています。鑑定直後の自分の手を写真に収めたり、鑑定内容を録音したりしておけば良かったな、検証もしやすいし自分の勉強にもなったのにな、と後悔先に立たずなことをつらつら考えたりもします。

それとね、コロナの影響は手相的にはどうだったんだろうなってのも考えたりもしてます。すべてにおいてコロナは影響したと思うのですけど、いちばん大きかったの実は人間関係的な面じゃないのかなって思っているのですね、個人的に。

コロナに阻まれて人の行き来に制限がかかってしまったことで、元々同じ空間で生活している人、主に家族、せいぜい会社関連の人くらいしか近い場所にいられなくなりましたよね、一定期間。友達同士でも簡単には会えなくなった。
ある程度関係性がしっかりある間柄であれば、ネットなり電話なり通してコミュニケーションが取れる。同じ空間で生活していれば共に過ごす時間が増えて絆がさらに深まることもあったかもしれない。
けど、そこまでに至らない関係の場合は?特に、これから親しくなろうとしていた、その可能性があった関係性の場合は?そこまでの関係性がないのなら、間接的なコミュニケーションがそもそも取れない。それでは仲良くなりようがない。最初からネットを通して知り合ってネットだけで仲良くなったような出会い方ならいざ知らず、そうでない場合、特に男女間なんて「会ってなんぼ」の話では?しかしコロナに阻まれてそれはほぼ不可能に。

果たしてこれで人間関係が進展するのか。恋愛は発展するのか。いや、厳しいだろ。特にこれから関係性を築いていこうとしていた間柄であればあるほど厳しいだろ。コロナさえなければうまくいってたはずの関係性がおそらく星の数ほど存在したはずだ。
それらはどのような運命として占いに出ていたのか。最初からコロナありきで、この1、2年は恋愛運的なものの発展をどの占い師も予想していなかったのか。それとも予想はしていたもののコロナが予想外過ぎて阻まれてしまったのか。
私の手相的な話だって、はっきり言ってこれだけコロナが大暴れした世の中でいったいどうやってこれが当たるのかとしか思えなかったですし。コロナは一体どこまで運命に絡んでいたのだろうか。最初からいたのか、いなかったのか。

「人間の運命」の仕組みを科学的に解き明かせる日が人間の歴史上において来るのかどうか私にはわかりませんが、コロナ騒動はこういう方面でも影響が大きかったんじゃないのだろうか、コロナの「運命」における役割とは何だろうか、なんてこともだらだら考えたりしてます。少なくとも手相にコロナの話なんて出ちゃいなかったんじゃないかい。いや、実は今を生きている全人類の手にちゃんと刻まれたりしてたのか?

そんなことをつらつら考えだした背景には、ちょっとした縁でとあるセッションをモニター的に受けたこともあったりする。薄々わかってはいたんだけど、私は意外に女性的な部分が強くて、でもそれを抑圧しがちだったため全然満たされておらず、とりあえず創作方面にエネルギーを向けて代償としてたけど(私が実はめちゃくちゃにセンチメンタルなのはたまに超ポエムってる文章等を読んでいただければおわかりになるかと)それじゃ根本的な解決にはなってないんだなと改めて思い知らされてしまったのだった。男性的な部分はわりとコントロールできてるのもわかったので、課題はやっぱ女性的な部分をどう満たしてあげるかなのね。

左手の手相的な話はその私がずっと避けてたことへの希望と解決をもたらすものだったんですよね。私の左手に刻まれているという名前も顔も全然わからない人に、私は貴方がいれば世界一幸せでいられますって胸を張って言えるなって自信をもって思えたんですよ、わけわからん話だけど。どこの誰かもわかんないのに全幅の信頼を置いてるとか意味わかんないけど私はそう思った。そんな人幻だったのかもしれないけれど、幻説は却下されてほしいとやっぱまだどこかで思ってる。私が満たされるということは私だけが幸せになるって意味じゃないんだ。私の周囲はすべてが幸せになるはずなんだ。それがわかるからこそ私にはその人がどうしても必要だった。

人を占うようになってから、女の人が恋愛を占わずにいられないのは仕方がないのだなと思うようになりました。だって一番不確定要素が強いのが恋愛だもん。んで、女の人にはどうしても肉体的なタイムリミットがあって、重たい身体を引きずって生きるという枷があって、うまくいかないことがわかってても聞いて欲しくなることだって人生にはあって、私はそもそもが恋愛が苦手だからどこまで占いに答えられるか自信がなかったけど、やっぱり寄り添えるようになりたいなと思ったりもしたのでした。

寄り添ってるふりをして自分の話ばっかしてるいい人に見える何かよりも、私はクズです、だから私の話を聞いてくださいって言える私みたいなしょうもない人間の方が正直でいいんじゃないかって自己弁護しつつこのとっちらかった文章を終わらせる。とにかくこの2週間ほどちゃんと食べてなくて、占い以外に全然エネルギー使えてないです。何故占いはできるのか。私ねえ、やっぱ自分のためには生きられないみたいですよ。ごはん食べたくないのは生きることに興味が無くなっちゃったからなんだろうなって思ってる今日この頃です。なんかねえ、もういいや。おわり。

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主にフィギュアスケートの話題を熱く語り続けるブログ「うさぎパイナップル」をはてなブログにて更新しております。2016年9月より1000日間毎日更新しておりましたが、現在は週3、4回ペースで更新中。体験記やイベントレポート、マニアな趣味の話などは基本的にこちらに掲載する予定です。お気軽に遊びに来てくださいね。


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