あれからもこれからも空の色だけは青

本当は昨日更新する予定だったのですが、うっかり寝てしまって日付が変わってしまったので…。

今日は原爆の日。年に一度この日だけは、ふざけたことも悪いこともできないね、といったニュアンスのことを話していた人がいたけれど、分かるなあという気持ちです。広島で育った人なら同じ感覚を抱く人も少なくないかもしれません。

大人になって驚いたことは、原爆投下の日時や毎年夏の平和教育が一般常識ではなかったということ。それどころか、長い年月が流れてもまだ差別意識に支配された人々がいるということ。おそらく半世紀は経ってからの話だと思いますが、「まああなた広島出身なの?じゃあうちの息子の嫁には来ないでね」と言われたという知人の言葉には呆れてものも言えませんでした。

東日本大震災の際の話でも、今回のコロナ騒動でも思いましたが、息をするように差別をする人たちがこんなにいるんだな、という不思議さ。今までどこで何をして何を見てきたらそう育つのかわからない人々。何も見ないで生きてこられた幸せな人々なんだろうな、とため息しかでない。

コロナ騒動でめちゃくちゃ思いましたけど、日本っていまだに「ムラ社会」なのですかねえ。理由もなく村の掟を守らねばならず、少しでもはみ出したものは糾弾される。村以外に属する者は人間だと思ってるかどうかもあやしい。ずっとその意識で暮らし続ける限り、日本は暮らしやすい国にはならないような気がしてしょうがない。すべてを根底から変えてしまうヒーロー的な政治家でも現れたらいいのかもしれないけど、これだけ足の引っ張りあいが好きな村人だらけなんだからそもそもそんな人材育たなくない?

インターネットには恐ろしい一面もあるけれど、「村」だけがすべてではないと可視化してくれるという点でこれほど意識改革に繋がるものはないかもしれない。もちろん賢く利用できるかどうかはその人次第だけれど。「村」から出てこられない人には何を与えても無駄なのかもしれない。インターネットでなくても、本でもテレビでも他者との会話からでも「自分とは違う世界」に触れることはいくらでも可能だったはずだから。

人種や国籍といった大きな括りでなくとも、もっと小さな差別は世界中どこででも途切れることなく起きているのでしょう。私だって無意識にやってるかもしれない。でもそれを「人間は差別する生き物だから」ですべて放り投げてしまうのも違うと思う。思い出すのも辛いであろう被爆の体験を掘り起こして、一生懸命に伝えようとしてくださる方々のことを思い出すと、やっぱり違うと思うのです。すべては理解できずとも、伝えられた事実を自分なりに受け止めることだけは止めてはいけないと思うのです。

子供の頃から学校の行事や日常生活で触れてきた「原爆」の話は、戦争の悲惨さや核兵器の恐ろしさを後世に伝えるだけでなく、理不尽に虐げられることへの批判の目を育てたり、広い世界への視野を広げてくれるものだったように私は思います。子供の心にはショックだった内容もたくさんありましたが、貴重な体験をさせてもらえたな、と今となっては思っています。

今年の夏も暑くなりそうですね。

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