かたちの残る宝物は、かたちのないはずの音

私は2枚のCDを、宝物にしています。

心身ともにぼろぼろだったあの頃。現実から逃げ出すように、高速バスに乗って降り立った高知。
ほとんど空っぽだった財布と、思うようにならない身体と、折れてしまった心を引きずるように、観光もせずただ眠り、ただふらふらと街を歩くだけだったあの日。
あとはもう、バスに乗って帰るだけ、というタイミングで訪れた、高知駅前の観光案内施設。ぼんやり座っていた私にかけられた声に、暇を潰せれば何でもいいと、何となく見始めたステージショー。

それが、今に至るまで私の心を捉えることになるなんて、思わなかった。

その時行われていたのは、高知の観光PR隊である「土佐おもてなし海援隊」のステージだった。
私は彼らのことをまったく知らなかった。彼らの住む場所は私の心のどこにも無かった。本当に突然、彼らは私の世界に飛び込んできた。
目の前で繰り広げられるキラキラしたステージを、私はただ呆然と見ていた。何か強烈な感覚があったことは覚えているのだけど、それが何を示していたのかは今をもってわからないし、何故そんなに印象に残ったのか、と問われても説明がつけられない。頭を殴られたような衝撃の正体については推測しているけれど、それが正解かどうかは確証がないし、この先答えが出るかどうかもわからない。

それが最初で、そして、最後だった。


土佐おもてなし海援隊、通称「もて海」とは、坂本龍馬をはじめとした、高知県出身の6人の幕末の偉人で構成された観光PR隊である。同様の活動は全国で行われており、自分の地元にもいらっしゃるので馴染みが無かったわけではないのだけど、ほぼ無知に近かった。ただ、鎧姿の重厚なイメージだけがあった。
こんなに若々しく、軽やかな隊もいるのか。幕末なら江戸やら平安やらに比べれば確かに若いだろう。キレのあるダンスに爽やかな歌、そして人柄や可愛らしさが伝わるトーク、素敵なデザインの衣装。衝撃だった。ただただ、衝撃だった。

私は長年フィギュアスケートのファンで、当然今この瞬間も大好きだ。羽生結弦という、すべてのフィクションを霞ませるほどの稀代の名選手を擁した現在のフィギュアスケートの世界は、一瞬も目を離せないほど面白い。
好きなものはたくさんあるし、たくさん好きになってきたけれど、年齢的なことを考えても、もう何かを情熱的に愛することはないだろうと思っていた。私は何かを好きになるなら、真剣に、精一杯好きにならないといけないと考えてしまうたちらしく、そういう愛し方は非常にエネルギーが要るのである。そのエネルギーを保てる対象を新たに見つけるほど心の若さがもう残っていないと感じていた。
何より、フィギュアスケートがあまりにも面白いので、なかなかほかのことに目が向かなかったし、生活に追われ、正直心の余裕も無くしてもいた。

それなのに。もうどこにも情熱が入り込む隙がないと思っていた私の心の扉を、彼らはこじ開けてしまったのだ。その太陽の下で輝くステージで。


だが、残念ながらその活動は、今年の3月で終了してしまった。もう一度高知に行って、もう一度ステージを見たいという私の願いは叶うことはなかった。ぼろぼろになってしまった私は生き方を変えることを決めたけれど、それは簡単な道ではなく、今もどうしたらいいのかよくわからぬまま、地の底をさまよっている。生きていくことで精一杯の私に、高知はあまりにも遠かった。

もう、「この世界」のどこにも、もて海はいない。
物事にはいつか必ず終わりが来るもので、それは受け入れなければならないと覚悟しているから、子供のように駄々をこねることはしないし、しても意味はないだろうと思う。どれだけ後悔しても、過去は元に戻らない。私はあのたった一度の、最初で最後となってしまった記憶だけを、生涯胸に抱いて生きねばならない。いや、たった一度だったからこそ、それはこんなにも眩しかったのかもしれない。


私の手元に残った「かたち」は、CDが2枚だけ。生活に余裕がまったく無かったことと、もう一度高知に行こうと決めていたことから、手に入れていなかった。それがあだになるなんて、あの日の私は気付いていなかった。あのたった一度の出会いの日、私の財布にはCD1枚買うだけのお金も残されていなかったのだ。

本当はもっと何枚もあったのだけど、品切れ等の理由で、2枚だけである。しかも、1枚は実は、このnoteのサポートのおかげで購入が叶った。あの時助けてくれたもて海ファンの方には、本当に感謝しています。この記事は、半分お礼の意味も込めて書いています。

たった2枚だけの宝物、『あの日たちからの伝言』と『+150年ロマンス』を、私は今も折に触れ再生する。幕末の偉人たちがイメージされているせいか、アイドルソングではあるがどこか骨太で、私はそこがとても好きだ。
詳しくはないけれど、私は音楽が好きである。フィギュアスケートが好きなのも、音楽が好きなこととも大いに関係があるだろうと思っている。彼らの曲は聞いていて心地いい。純粋にいい曲だな、と思う。彼らのことをまったく知らなくても、曲だけ聞いてもそう思ったような気がする。
本当はもっと詳しく紹介したいけど、自由に歌詞が書けない以上難しいだろう。歌そのものもいいが、ダンスと合わさるとさらにいいな、という印象である。
ひとりで聞くのは寂しいから、遊びに出る際友達が車で迎えに来てくれる度に、「ねえねえこれかけていい?」と毎回流してもらっているので、友達もすっかり曲を覚えてしまいました(笑)。

彼らはもう幕末に帰ってしまって「此処」にはいないけど、歌声は銀色の円盤に閉じ込められて今もこの世界に生きている。よく考えると、不思議なものだ。かたちのないはずの音が、確かなかたちある記憶になるなんて。
こういうケースを好きになったことがないから、なんて表現するのが正解なのかわからないけれど。彼らはもういないけど、ちゃんといる。同じ笑顔には、また会える。本当に居なくなってしまうということは、この世のすべての記憶から失われてしまうということ。そうでなければ、誰かが覚えてさえいれば、失われることはない。そしてまた、新しい形を見つけて、もう一度愛せばいい。


あの日、何故行き先に高知を選んだのか、実は今もよく思い出せない。もしかしたらそれはささやかな運命だったのかもしれないけれど、そう考えるのは単なるセンチメンタルな感情かもしれない。
けれど、これだけは思う。あの日高知へ行って、良かったと。

たった一度の思い出しかない私が、ファンだとか好きだとか口にするのはどうなのだろう、といまだに悩んでいたりする。こうして繰り返し繰り返し文字にするなんて失礼じゃないのかな、と考え込んでしまうこともある。だけど、もう出尽くしたと思っても、気がついたらまた、文字にしてしまっている。
喋るのが苦手な私は、その代わりに文字を綴ろうとする。こんなにも言葉が溢れてくるのは「大好き」だから、なんだろう。「大好き」という感情を、その感情から文字を綴ることの楽しさを、思い出させてくれてありがとう、と言いたい。

「アーティスト」と呼ぶのは語弊があるかもしれないけれど、私にとっては確かに彼らのCDが宝物で、その歌が大好きだと胸を張って言える。だから、もしかしたらテーマに求められていることとはずれてるかもしれないけど、思い切って記事にしてみます。
どんなに語っても、もう存在に会うことはできない。存在しない誰かを語るためのテーマじゃないかもしれない。だからこそ、語ることしか残されていない。だから。

私の明日がどこにあるのか、今日もまたわからないまま。明日私が居なくなっても、この想いは文字にすれば残っていくもの。それはささやかなささやかな、彼らの記憶の欠片。ここに辿り着いた誰かの、もしかしたら大好きだった気持ちに、少しだけ寄り添えたら、とただ願う。そしてあなたの明日に、歩いて行けますように。


この世に歌を誕生させた、はるかはるか遠い時代の誰かに、ありがとうと伝えよう。ささやかな思い出が、今日も6人の歌声に、甦る。


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主にフィギュアスケートの話題を熱く語り続けるブログ「うさぎパイナップル」をはてなブログにて更新しております。2016年9月より1000日間毎日更新しておりましたが、現在は週5、6回ペースで更新中。体験記やイベントレポート、マニアな趣味の話などは基本的にこちらに掲載する予定です。お気軽に遊びに来てくださいね。

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