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まだ、二分化で考えますか?

「今の若いやつはしょうーもない!」って紀元前の石碑かなんかに書かれてたっていうのを読んだことがあるけど…まあ、きっと人類歴史始まってからずーっと、若者と年寄りはお互い(心の中では)馬鹿にしあってきたんじゃないだろうか。

わかってねーな、まったく…sigh  てやつですな、お互いに。

お年寄りは若者の冒険を愚かだと思い、自分の時はこんなことしなかった(できなかった)というし、若者はお年寄りの守りの姿勢は怠慢に他ならず、自分がその年齢になっても絶対こうはなるまいと誓う。


その構造は大きくは多分変わってないんだとは思う。

だ、け、ど

21世紀の、コロナ禍の今、ちょっと違うことになってるってことに気づかないといけない気がする。「わかもの」と「としより」の二分じゃないんだね。情報化がここまで進んで、みんなが情報を受け取って発信してっていうのを自由にできるようになったから、様々な種類の若者といろんな考えの年寄りがもうできあがってる。もちろん、わかもの、としよりっていう年齢の分類だってアヤシくなってるもの。

みんなが「八時だよ、全員集合!」(そうじゃない人は「オレたちひょうきん族」)を見て、みんな巨人が(そうじゃない人は阪神が)好きで、みんなが松田聖子(そうでない人は中森明菜)に夢中で…なんていう昭和の時代はもう、とっくに終わってるんだけど、やっぱり二つに分けるのがわかりやすいからかなあ。

平成の30年間でそういう単純分けじゃなくて、「多様化の時代」とかなんとか言われて選択肢は増えたけれども、やっぱり「マス」と「その他いろいろ(サブカルチャー?)」っていう分け方だったように思う。

令和になって、コロナ禍で、「みんなで」っていう機会が失われて余計にわかってきたのは「ひとりひとり」「それぞれ」がみんな違うってことで、それでいいっていうこと。違うから、選ばないといけないめんどくささがあるけどね(無闇に人真似すると自分にはあってない靴を履いて歩かなくちゃいけなくなるってことなんだけども)。


さて、【「若者がワクチンを受けたがらない」あるいは「ほとんどの若者はためらっている」という状況が問題】という報道がどうやら見込み違いだったということが、最近判明したわけですが…。といって、逆に「若者はほんとうは皆ワクチンを受けたいのに受けられない」「若者は困り果て怒っている」というような報道もあやまりです。「若者」ってなによ?だれよ?ってことなんですね。若者にも、「ワクチンを受けたくてたまらないけど受けられない人」と「そんなのどーでもいい人」と「まあ、うけてもいいけど並ぶほどじゃない人」…いろいろいるわけですよ。当然です。

若者、って一律に呼ぶからまちがうんだって。

アンケートの結果分析から発表されるものなんだけど「ネットをよく見ていてコロナのアンケートに答える若者」の中には「ワクチンは控えようと思う」って答える人が多かった、っていうだけのことですよね。なら、その「ネットをよく見ていてコロナのアンケートに答える若者」ってどんな人たちなのかをまた分析しないと確かな傾向はよめないよね。

いや、別に統計学的な結論を出したいわけではない。今までみたいに「若者は」「老人は」「中高年は」っていう単純な分け方で報道しない方がいいんじゃないかなあ、と思うだけ。


「若者」っていう名前で呼べる一色の塊はたぶんもう存在してないにちがいない。


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