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らんらんとお散歩

3ヶ月ぶりくらいに実家に帰省してる。久しぶりにらんらんに会った。らんらんは、呼んでもあまり気づかないくらい耳が遠くなってて、座っていると自然に足が開いちゃうほど、足の筋力も落ちていた。もうすぐ14歳だもんね。ちょっとの寂しさと、少しの期間で移り変わる命の尊さを感じる。

らんらんとのお散歩。去年の末くらいから、らんらんとのお散歩は、らんらんに道を決めてもらうようにしている。一般的な犬とのお散歩って、飼い主がお散歩ルートを決めて、それに従って犬がお散歩をするという感じだと思う。そこに疑問を感じて、自由にお散歩させてあげたら、どうなるんだろう?というのが最初のきっかけだった。

らんらんにルートを決めてもらいたいから、家から出ても、俺は動かない。出発して家に帰るまで、らんらんに任せる。らんらんが動き始めるまで待つ。きょとんとした顔で、「けいご、何してるの?」ってこちらを見てくる。それでも待ってると、そわそわしながらも歩み始める。チラチラこっちを見ながら、歩む。だんだん慣れてくると、自由に歩き出す。同じところを何度も行き来してみたり、逆方向にいきなり進んだり、止まってみたり。少し危ないことも起きる。道路の真ん中を歩いてみたり、人にぶつかりそうになって迷惑をかけたり。でも毎回、必ず言えることは、らんらんがどんどん生き生きとしていくこと。すごく楽しそう。ちなみにこれは、おれにとってもすごく良い。らんらん視点の世界が見える。いつもと違う速度だったり動きをするから、新たな発見があるんだ。

そうだよねーって思う。そりゃあ自分で道決めて自由に歩けたら楽しいよね。

らんらんとお散歩しながら、なんだか、人生みたいだなとニヤニヤしてきた。おれら人間と同じだなって。誰かに信じてもらって、自分を信じて、はじめて自分で歩んでいける。そうすると、最初は不安で怖くてそわそわしちゃうし、そこからもちょっと不安なことはたくさんあるけど、だんだん楽しく生き生きと輝いていく。そして、帰る場所もある。らんらんも、自分で最後は家に帰っていく。安心できて帰れる場所がいつもあるんだ。

世界はプロセスの中にあって、どんどん移り変わっていく。もう飼い主みたいに、リードしてくれるものはあまりないんじゃないかな。俺たちに必要なのは、自分自身がどこに行きたいのか?どう在りたいのか?何をしたいのか?そして、信じてくれる人と、帰れる場所はあるのか?ただ、それだけなのかもしれない。

ただそれだけで、どこまでも生き生きと輝いていける気がする。どんなことがあっても、大丈夫な気がする。

らんらん、いつもありがとう。

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