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表現とはなにか&最近のこと

なんか、久しぶりにnoteを書きたくなったので書いてみます。元々、書くことは好きです。でも、小学五年生の時に少年の主張に選ばれて、市で作文を発表した記憶があるのですが、あれはそんなに楽しくなかった記憶があります。今思うと、添削されすぎて自分の言葉じゃなくなっていたからなのかな。でも、ぼくに、ああいう大勢の前で発表する体験を提供してくれたことにはとても感謝しています。あの時の担任の先生の事はとても好きで、休みの日に友達と先生の家に遊びに行ったりしていました。ボウリングとかも一緒にやって楽しかったな。いつかまた会って話したいです。

最近のことを書いてみたいと思います。最近は、できるだけ早寝早起きをして、散歩をして、味噌汁をほぼ毎日作って、掃除も週に一回はやるようにして、料理がやっぱり好きで、自炊を率先してやっています。こういう生活が自分の心をちゃんと支えることを身に染みて感じています。ああ、千葉に行って良かったなぁ。あとは、ギターばかりをいじくって、歌を作っています。今年の一月くらいから作り始めて、八曲ほどできました。いま9曲目作っています。楽しいです。なにが楽しいのかというと、もちろん、歌うこと、ギターで音を出すこと、うたを作ることが楽しいのはもちろんなのですが、それらを通して、表現とはなんなのかみたいなことを学んでいる気がするからです。

表現って楽しいけど難しい。楽しいけど恥ずかしい。みたいなところがあると思います。僕もそう思います。そもそも表現ってなんだよっていう話ですよね。音楽、絵、芝居、書くことだけがではなく、きっと誰かとの会話・対話だったり、料理だったり、掃除だったり、歩くことだったり、そんな一つ一つ全てが表現なんだと思います。楽しいっていうのは分かり易いと思います。普段あまり表現できないような自分が表現出来たりとか、理由はないけど好きな表現ができたりとか。難しいっていうのは、気づいたら自分の表現が、誰かの表現になっていたり、社会的な”良い”と自分にとっての”良い”に挟まれて、自分がどんなものを表現したいのか分からなくなることだと思います。

ぼくは、めんどくさいやつなので、自分にとっての”良い”を突き詰めたいと思う人です。周りにとっての良いはとりあえず置いといて。でも、そうやって自分が良いと思うものを作ろうと思っても、気づいたら社会や周りにとっての良いにすり替わっていることがあります。つまり、どうすれば、ほんとに自分にとって良いなと思える表現ができるようになるのか?ということが難しく、それをうたとギターを通して学んでいる気がするのです。

まだ約6か月しか修行をしていない身ですが、その中での学びと、やっている実験を、自分のためにも書いていきたいと思います。(ちなみに、前提として、ぼくは音楽経験はほぼ0でスタートしてます。)まず、とても大切なのは、その表現が楽しいのか?好きなのか?やりたいのか?ということです。その対象に関心があることが大切だと思います。じゃないと続けられないので。次に、技術と感性の問題です。人によっては、音楽理論を学ぶ人もいれば、まずは基礎練習からやる人もいれば、誰かの曲を練習する人もいれば、とりあえず作っちゃう人もいると思います。僕は、とりあえず作っちゃうっていうのが一番自分に合っています。なぜかというと、それが一番楽しいからです。ワクワクウキウキするからです。でも少し、ソワソワもします。未知なので怖いです。その、とりあえず作っちゃうっていうのにも、何個かやり方があるのにも気づきました。この気持ちを歌にしたい!という意図をもって作り始めることもあれば、理由は分からないがこの歌詞を使いたいと思って始めることもあれば、頭に浮かんだこのメロディーを歌にしたいと思って始めることもあれば、それら3つもなく、ただギターを膝の上にのせてみることから始めることもあると思います。4つ中、上の3つは簡単に始まります。きっかけというか、エッセンスがあるので。僕がなんとなく可能性を感じていて惹かれるのは、最後の、なんとなくギターを膝の上にのせてみるというやつです。何かを習得する上で、何事も「続ける」ことは大切な事だと思うのですが、人間なので、続けたくなくなることも、創りたくなくなることもあると思います。そんなときでも創れちゃうのが、この方法だと思います。やりたくないときでもやれる方法だなと思います。先にギターを持ってみて、アイデアなんて全くなくても、とりあえずギターを膝の上に載せて、弾いてみます。どんな弾き方でもokです。ただ自分を信じて、待ちます。遊びつづけます。ずっと弾いてたり指を動かして遊んでいると、なんか、メロディーっぽいものが流れてきます。そしたら、それをキャッチして、なんとなく録音します。そこから歌詞もでてきたら、それをつけてみる。みたいな感じです。

4つのどの方法を試しても、共通して大切だなと思うことがあります。それは、「自分から出てきたものを何であれ大切にして、逃がさない」ということです。意味ないけどいきなり浮かんできた歌詞とか、メロディーとか、指の動きとか。それらをジャッジせずにとりあえずキャッチする。頭では、変なリズムだなとか思っても、キャッチしてあげる。そんな寛容な全ての存在をまずは認めるかのような、お母さんみたいな心です。なぜこれが大切かというと、上で書いた、自分にとって良いというものを創るためです。そしてここでまた大切になって来るのは、「自分にとって良い」とはなにかということです。「頭でジャッジする自分にとって良い」ものが「自分にとって良い」ではなく、「すでにあって、出てきちゃった」ものが「自分にとって良い」のだとぼくは思います。正確に言うと、頭でジャッジすることも、出てきちゃったものを使うことも大切だと思います。でも生きてたら、頭でジャッジすることのほうが慣れているので、あえて出てきちゃう方を大切にしたいなという感じです。それでもどこかジャッジが入ってしまうのが人間だと思うので。だし、そのジャッジが他者へのリスペクトにもつながることもあると思います。どっちも大切です。その上で、慣れていない、普段あまり光が当たっていないような、出てきちゃうものを大切にしたいのです。そこに「自分にとって良い」が詰まっていると思います。

こんな感じで作るので、いつも、創りながら自分の予想を超えてきます。こういうのが創りたいというのもありますが、完璧にそれ通りになることはあんまりないです。この、「自分の予想を超えてくる」というところに、僕にとっての技術の習得があると思うのです。遊びながら、出てきちゃうものに忠実になりながら、予想を超えてくると、今までの自分だと対処できなくなることが多いです。その時はすこししんどかったりします。でもその超えてきた部分を形にするための練習を続けることで技術が上がるのではないかと思っています。

やっぱりきっと人間は追い詰められた時に、今までの自分だともう対処できないときに能力が上がるものだと思います。これはきっと人間関係とかでも同じな気がしていて、思っていることを素直に言ってみたり、聴いてみたりすると、予想を超えた返事が返ってきたりして自分が傷ついたり相手を傷つけてしまったりしてしまうことがあったり、その逆も然りなのですが、それでもめげずにその予想を超えてきた部分に対して向き合い続けると、相手との関係性が以前より良くなったり、「自分の素直」のレイヤーが深まっていくと思います。

そんな感じで、ギターとうたにも同じように向き合い続けることがとてもぼくにとっては大切な気がしているのです。でもそうやって、出てきちゃうものになるべく忠実になりながら、予想を超えたものも受け入れて練習した先にできるものは、正直に言うと、下手くそだなと思います(笑)。もっとJKにウケるエモいの作れたらなぁみたいな(笑)。下手くそだし、こんなの誰が聴くんだよと思ったりします。でもなんか、自分らしさというか、かわいらしさみたいなものがそこに含まれていて、下手くそだけど愛らしいみたいな気持ちになります。この、「下手くそだな」という気持ちに負けないことも重要な気がしていて、その声も聴きつつ無視して平気な顔で歌って、また次の新しい歌を創ることが大切だと思います。きっと、そうやって続けた先に、どんどん自分の表現が深まって、自分への愛が高まっていくのではないかと思っています。どこか、このまま続けたら5年後くらい、すんげえもんができそうとか思っちゃったりしています。(笑)

こうやって、創り続ける中で、自分のパターンとか創り方に自覚的になるというのも大切だと思います。そのためにこの文章を書いているようなところもあります。もちろん、音楽を聴くこととか、他の人の弾き方創り方を学ぶことも大切だと思っています。でも、僕はそれよりも、とりあえず「行為」をやってしまうことで、「行為」を続ける中で、振り返った時の学びがより熟していると思うのです。禅の修行とか、インプロにも近いところがあって、とりあえず座る中であとから学びに気づいていくみたいな感じです。目標とかよりも、今の自分の感覚に素直に忠実に在る。その結果として生まれてくるものをしっかりと受け入れる。それがしっかりとできれば、多分素敵なもの、素敵な自分になっていくのかもしれないと思っています。

なんだか、音楽を始める前までの人生の学びが、とても自分の中で生きていて、創造行為に反映されて、嬉しいです。今までのことは無駄じゃなくて、何事も、やりたくなった時がそれを始めるタイミングというのはこのことですね。楽観主義すぎるかな。でも、まだまだ修行は始まったばかりです。がんばります。自分にとって音楽は、絵とかよりも断然頭でジャッジしてしまうところがあります。きっと、だからこそやりたくなっているんだと思います。くやしいんですかね(笑)。執着みたいなものかもしれませんが、それでも良いです。ただのエゴかもしれませんが、それでもいいです。やりたいと思っているので、がんばります。

そういえばこの前、はじめて路上で歌ってみました。もちろん、オリジナルソングだけです。とても緊張しました。緊張しすぎてあんまり楽しくなかったです(笑)。でも、感覚的に、「自分の予想を超えたもの」という感じがあって、きっと怖いけど続けたら楽しくなるやつだなと思っています。なので、続けてみます。下手くそでも自分に忠実に続けるのが大切です。そうすればきっと本番と練習の境目はほぼなくなっていくと思います。

長々と書きましたが、一番は、自分がやりたいように、自分に素直にやることだと思います。自分のベクトルが向いていることをやることでの学びはとても豊かだと思うので。

この、書くというのも表現のひとつですね。気づいたらめちゃ書いてしまっていました。読みにくかったらごめんなさい。

そういえば最近は、川越にある、カフェや庭、眼鏡屋さんや古本、畑やイベントスペースを併設しているとっても素敵な古民家ゲストハウスカフェで宿直のアルバイトを始めました。泊まりに来るひと、遊びに来るひと、地域とのつながりや対話がおもしろく豊かで、自分に合っている気がしていて、ここでの学びもまたいっぱいありそうです。家の近くにこんな素敵な場があるなんて感動しています。(笑) ぼくはほんとうにほんとうに、周りの人達やつながりやご縁に恵まれています。「ちゃぶだい」という名前のゲストハウス&カフェなので、みなさんぜひ遊びに来てください。

ああ、やっぱり書くことも楽しい!ありがとうございました。日々、修行を続けます。


おわり


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