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【小説】『私たちのすべて』
私がその醜聞を知ったのは、美容院で開いた女性週刊誌でした。
70歳の男性を、20歳そこそこの女子大学生が「パパ活」と称して騙し、2000万という大金をむしり取ったのだそうです。
男性の2000万は、恐らく老後の蓄えであったのでしょう。私はいたたまれなくなって、最後まで読めず週刊誌を閉じました。
後ろから私の髪を切っていた美容師が、鏡越しに薄ら笑いを浮かべて、「その女の子、やりますよね」と言いました。
「2000万、何に使ったかって、自分の交際費だか、美容整形だかって言うじゃないですか」
さくり。
私のケープの上に、濡れて色が濃くなった黒髪の一束が落ちました。
「70歳にもなって、20歳の女の子に鼻の下伸ばしたエロ親父ですよ。天罰、天罰。世の中、そんな甘い話はありませんよねぇ」
美容師は、私の表情にも、反応にも特に興味がないのか、カットの手を休めることもありません。
「まあ、大騒ぎするには、本当にしょぼいスキャンダルですよね。こんなのあるあるで、みんなすぐ忘れますよ」
中年の美容師は、年甲斐もなく髪を明るいトーンの茶色に染め、インナーには、目の覚めるようなビンクの差し色を入れていました。
どんなに取り繕っても、水分やハリが失われた痩せた手や首が、彼女の実年齢を物語ります。
「でも、いいですよね、2000万。若さがあってできたことだもの。私みたいなんじゃ、70どころか、40のおじさんだって振り向いてくれないわ」
けらけらと美容師は笑いました。
私は彼女が何か言う度、笑う度に、冷たくなっていく心と指先をケープの中に隠して、懸命に笑みを貼り付けて、「そうよね」と呟くことが精一杯でした。
美容院から帰って、私は鬱々としながら、居間のソファに寝転ぶ夫を見やりました。
「ねえ、あなた。ハローワークに今日は行くって言ってなかった?」
うーん。
夫から、寝ているのか、起きているのか分からない呻き声が返ってきました。
それから、突然むくりと起き上がると、目を三角にして「おい!」と怒鳴りました。
「おまえ、また美容院か! 匂いでわかるんだ。匂いで! むだ金ばっかり使いやがって!」
私は泣きたくなるような、腹立たしいような気持ちで、唇を噛み締めました。美容院で緊張して乾いた唇が、みしっと口の中で割れた感触がします。
「美容院なんか行ったってなぁ、おまえみたいなおばさん、いくら金を積んだって、あの子みたいには綺麗になれないんだよ!」
唾を飛ばしながら喚く夫に、私は情けない思いでいっぱいになりつつも、ため息をつくことは、何とかこらえました。
まだ夫は、「あの子」を思い切れないでいるのです。
「……私はこれからパートに行きます。あなたは、ハローワークに行くのでしょう? ……そうしてちょうだいね」
私は絞り出すようにして、それだけを言いました。
「あの子」のために、自分がお金も仕事も地位も、何もかも奪い取られても、夫は一瞬見た「あの子」という夢を忘れられないのです。
口では憎いと言いながら、どこかで「あの子」の「本気」をまだ信じているのです。
どこにもなかった真心を。
醜聞というのは、確かに闇の中をさまよう世の中を、一瞬照らすような火花のようなものです。
人々の興味を引いて、日々の鬱憤のガス抜きをするための、丁度いい話の種にすぎないのです。
私が背中を向けた頃には、夫も思うところがあったようで、黙って寝室へと消えていきました。
クローゼットのドアを、乱暴にバタンバタンと開けたり閉めたりする音が聞こえました。
これが、私たちのすべてなのです。
ーーー
山根あきらさんのお題企画「スキャンダル」に参加しました。
【今日の英作文】
激しい同意はいらないけど、完璧な否定も欲しくない。
I don't need any strong agreement, but I don't want to be denied completely as well.
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