第32回目

人との距離感がつかめず、友人づくりがわからなかった小学生時代。思い返せば空気が読めない子だったと思う。

夏休みに遊ぶ人も約束もない私、父は仕事が忙しく遊びにもつれていけない。

そんな私を見かねた母が故郷の秋田の祖父母のところに預けてくれていた。ただただ祖父母に甘やかされる期間になるため、私にとっては楽しい思い出。

10歳で1人で乗った飛行機は怖くてこの世の終わりとも思えたけれど、早くに慣れることができてよかったと今は思う。

いい経験させてもらえてたなぁと自分にとっては特別感のある思い出だったのに、母から真意を聞いたとき、何故か裏切られたような寂しさと、母の悲しそうな顔に泣きそうになった。


みんなのために行動して、みんなに優しくしなさいって言ってた母に

私には誰も優しくしてくれないよ?と小学生の私が言ったことがあったらしい。

その時母は何も言えなくて、あの時なんて言ってあげられたらよかったのかな、と言われた。

けれども結果的に私は、人に優しくされなくてもそれはそれでいいんだ、と片付けられる人になった。

自分は奉仕の役割が合っていて、喜ぶ相手の顔を見て満足すればいいんだと気づいたのはいつ頃だったか。


高校生の時、母にぶつけてしまった「なんで産んだ」という言葉。

その時に返された「寂しかったから、味方がいなくて」という言葉で逆撫でられていた私の敵意が、全て気力を無くしてしまったのを覚えてる。

もし私が命がけで産んだ子供にそんな事言われたら、母親として全否定されたと思ってショックで立ち直れない。それでも母は私の母であり続けてくれた。


仕事が原因で気分が下がる一方で、診断されたわけじゃないけど見た目からして様子がおかしかったとき。

辞める辞めないの相談をしてるつもりだったのに、最後に母から「ないかもしれないけれど、もしも死にたくなったら1人でしないで。お母さんも一緒がいい」と言われた。

この人の愛情の深さに怖くなったけれど、その言葉のお陰で転職に進むこともできた。

そしてさらに呪いも強くなった。



今気づけば私の周りには私に優しい人にあふれて、今も楽しく生きてる。

たまに生きづらさや全部を放り投げて終いにしたくなることはあるけど、母の言葉で生きてこれた。



私はあなたを呪うことはありません。殺すこともありません、いつでも最後を迎えてください。


その時はたくさん泣いて、やっとそこで私は呪縛から開放されるのだろうと思う。




お誕生日おめでとう、私。

お母さん、おめでとう。

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