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幼少期。何故風俗嬢になり、薬に溺れたのか。イカれた祖母と人徳者の祖父。時々、母と兄。

1987年2月20日未明、2500g程の逆子でこの世に生を受ける。
逆子というのが、何とも私らしい。

立つのも、オムツ外すのも、すぐに出来たらしい。
とにかく、手が掛からなかったと。

幼稚園に入園し、すぐさま社会不適合者を発揮することになる。

先生にも、園児にも話掛けられない。

そんな時、先生が「何がしたい?」と私に問いかける。


「つみき…」

兄と2人兄弟で過ごした私には、おままごとが理解できない。
男子に混ざって、1人積み木をしているような幼稚園児だった。


小学校に上がり、小学4年までは普通に過ごしていた。
小4で拒食症を発症。
給食の時間は、母と食べれるものを探しに出かける。
水泳や体育などは、医師の指導のもと制限有り。

ストレスは、イカれた私の祖母が原因と考えられる。

プライドのためなら、平気でわかる嘘を付く。
ご近所さんと、トラブルがよく起きる。
家の中では、やりたい放題。
私たち兄弟は、祖母が作ったご飯を食べられない。
何故なら、祖母は、ご飯を作りながら、おたまや、菜箸、しゃもじを使って食材を食べる、しゃもじなんかは、舐め回す。
料理過程を見たら、誰も食べられないだろう。
そして、祖母は、「やめて」「これをしないで」と言うと必ずと言って良いほど、それをしてくる。
例えば、お風呂に入るから脱衣所や、お風呂を開けないで!と言えば必ず理由を付けて開けてくる。

盗聴も、大好きだった。
昔は、二カ所に家電があったのだが、母が電話を使っていると、もう一カ所の受話器を上げて聞いているのだ。

私が、友達を呼んだり、携帯を持つ様になると、部屋の前で、耳を澄ませている。

指摘すると、いつも激怒し、「そんな事してない!」の一点張り。

もはや、病気である。

大正生まれの祖母の時代、精神や発達などの病気は認知されてなかったのだろう。

そんなイカれた祖母と、人徳者の祖父、母、兄と生活していたのは、後々私の人生に影響を与えたと思う。


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