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初めて本を出版!私の売り込み大作戦ー雑事記④ー

いつか自分の本を出す。それは私の長年温めていた夢だった。

「夢が実現したとき、人は何を思うものだろう」

私の場合。

愛しい愛しい自分の初書籍が書店に並んだその瞬間から、喜びにも勝る勢いで燃えるような営業マンモードのスイッチが心に入った。


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なぜ本を出したかったか

大学時代にしたコンサートホールのバイト仲間は皆仲良しだったので、卒業シーズンになると毎年手作りの卒業アルバムを作った。
私はそのなかの「卒業後の人生設計」のページ(今思うとなんて手の込んだ内容…)に確か「25歳の秋に本を出す」と書いた。

目標より6年遅れたけれど、私は本当に自分の本を出すことができた。
ちなみに9月末発売したので「秋」は合ってた。

何故そんなに本が出したかったかというと、紙の本が、めちゃくちゃ好きだったからだ。

小3から読むようになった漫画は単行本派で、1冊を夜眠る前脳内でめくることが出来るほどに読み込んだ。中学から小説を読むようになると、私の愛は漫画というジャンルにとらわれず「書籍」全体に向けられた。重さも気にせず、700ページを超える分厚いハードカバーを学生鞄に入れて持ち歩いた。

美大卒業後の進路を考えた折、私も油画科の端くれだったのでやはり一時は画家になる道も考えないではなかった。
しかし、そこには大きな問題があった。

「画家になっても、本は出せない…」

そう。私はとにかく本が出したかった。
「自分の本」が本屋さんに並んで欲しかった。
「自分の本」を誰かが手にし、その人の書棚に収められて欲しかった。

そうして私は…それ以外にも油絵を諦めた理由はあるけれど、
(詳しく知りたい方はこちらをどうぞ↓)

画家という選択肢をやめ、一般職に就き書籍デビューの為に何か特別な努力をしたわけでもないくせに、しぶとくその目標だけは諦めなかった。

私の本を出していただいた経緯についてはこちらに書いてあるので割愛するが↓

ここに書かなかったことを付け加えると、実際はKADOKAWAさん以外にも数件、出版社さんから問い合わせをいただいた。その中でなぜKADOKAWAさんになったかというと(美術館との絡みもあるので私の一存ではないが)雑誌への連載や単発の企画のお話が多い中でKADOKAWAさんだけが唯一、最初から
「書籍にしましょう!」
と明言してくれたことが、私にとってすごく大きなポイントだった。

かくして夢の書籍デビューをした私。

夢を叶えるなんて、まさに幸せの絶頂!!…かと思いきや、その瞬間からなぜか猛烈な焦燥感に駆られた。

「発売して間もない今が売り時だ!何もしなければこんな地味な本、デザイナーさんの装丁が如何に素晴らしくても世の中からすぐに忘れ去られて、あっという間にこの場所(本屋=天国)から消されてしまう!!!」

そうして私は動き出した。出版に間に合わせて作った新品の名刺を手に、いざ作戦開始である。


売り込み作戦①メディア関係者にお手紙を出す

地方美術館のアカウントで一風変わった漫画が連載されている、という物珍しさを評価いただいて、『ミュージアムの女』は当初からマスメディアの皆様に広く取り上げていただいた。ネットニュースに始まり、新聞、テレビ、フリーペーパー、ラジオ等取材も沢山受けた。

私は自分の本を自分でもまとめて60冊(多少の著者割引はきくけれど大出費…)買い、それをまず、お世話になった方たちと共に以前取材で知り合い名刺を貰った各メディア関係者へも、お手紙付きで郵送した。

メディア関係者へ送ったのは15件。

しかし当たり前のことだが、
「以前当メディアでご紹介した漫画が本になりました!」
というだけでは話題になるはずもなく、再度記事にしていただくことにはほとんど繋がらなかった。唯一、ラジオに関しては知人の紹介もあり数回宣伝に出させていただいたものの、地元局に限られていたので効果は未知数。

私は次なる作戦を考えた。


売り込み作戦②アート関係と書店や雑貨店にアタック

出した本が美術館にまつわる内容だったので、書店だけでなく、本も少し置いている雑貨店や、美術館のミュージアムショップにも交渉をしようと考えた。

まず知人を介して、話をきいてくれそうなお店を順に訪ねた。書店も行ったのだけれど、1軒目から地元ではかなり大手の書店にご挨拶のアポ電話をしてしまいものすご~く怖い思いをしたので(そりゃ忙しいなか無名の作家に挨拶に来られても何の得にもならないし…)それ以来、書店はアポなしで行き、店頭に私の本を置いてくださっているお店にだけご挨拶を申し出るようにした。

「岐阜で顔が広い」と聞き、地元の鯛焼き屋さんにご挨拶に行ったこともある。そこでは優しい店主さんが、私の差し出した本を快く待合スペースに置いてくれた。必ずしも購買に直結しなくてもいい。自分の作品を少しでも知ってもらいたかった。

しかし、地元だけではやはり心許ない。何より、「地元だから」という温かい目線に助けていただいているばかりでは。

「よし、東京にも売り込みに行こう!」

思うや否や、私はまたも実行した。


売り込み作戦③飛び込み営業in東京1泊2日

普通の作家さんは、初めての単行本が出たらどんなふうに振る舞うものなのだろう。

他にも連載を持っていたりすれば、そこまで書籍に心血を注ぐより次の作品!と思うものかもしれないが、私にとってはもしかしたら、これが最初で最後の本になるかもしれない危機感があった。(※この2年後、埼玉福祉会さんから『美術館にいってみた』著:赤木かん子/絵:宇佐江みつこ を出して頂きました。)

作家としては実績ゼロの私にあったもの、それは、会社員時代にやらされた飛び込み営業で培った度胸だけだった。

大都会東京。

書店の大きさも地元とは桁違い。こんな戦場のような場所に私の本なんか置いてある…?とブルブルしながら店頭を確認すると、発売から日が浅いおかげか、結構ちゃんと置いてもらえていてひと安心。

しかし、やはりなかなか手ごたえがない。

自分で内心期待してしまった分いちばんショックだったのは、他の美術館のミュージアムショップの人たちが全然『ミュージアムの女』など知らないという事実だった。

まあ、これが現実なのだろう。
こんなしゃれおつなショップに私の本なんて、置いてもらえるわけがない…。東京のスタイリッシュでキラキラな空間ばかり目の当たりにするうち、大きなリュックにリリース資料と本をパンパンに詰めて不案内な街を彷徨う私の心が、少しくじけそうになる。

そんな中、本のデザインを担当してくださったナルティスさんにご挨拶に伺ったとき、下北沢にある「B&B」という本屋を教えてもらった。

翌日そのお店に行ってみると、なんともアングラ感が漂う雰囲気。恐る恐るご挨拶すると、
「イベントとか、やってもらうことはできます?」
といきなり向こうから尋ねられて驚いた。
「勿論です!!!何でもします!」と前のめりで答える私。

後から分かったことだけれど、B&Bは「これからの本屋」をコンセプトに、ほぼ毎日刊行イベントをやっていたり、店内でビールなどドリンクが飲めるという個性的な本屋だった。

ここでのイベントのお話が、私の東京売り込み営業旅、唯一にして最大の収穫となる。


売り込み作戦④イベントをやってみる

あまり効果がなかったかに思われた飛び込み営業は、即効性はなかったもののゆるゆると、出会いが出会いを連れてきて、私の存在を認識してくれる人が徐々に増えていった。
それらが結実して書籍発売から5カ月後。いきなり怒涛のイベントラッシュへと突入した。

1か月に3本のイベントが重なり、しかも場所は新潟、愛知、東京とバラバラ。宿泊手配からイベント当日まで様々な調整や打ち合わせが入り乱れ、私の頭はてんてこまい。その上、当時かなりの時間と神経を費やして制作した岐阜県美術館の改修工事を紹介する動画作成(脚本と絵で参加)も提出時期が重なった。

最初のイベントがある新潟へ旅立つ9日前。
突如私の鼻から壊れた蛇口の如く鼻水が溢れ始め、頭痛と関節痛もあり翌日病院へ行くと、なんとインフルエンザになってしまった。

「来週末出張なんですけど…」と半泣きでお医者さんに尋ねると「あ、それまでには大丈夫~」とあっさり言われてほっとする。5日間の外出禁止になってしまうがその分ゆっくり休養も取れて、快復してからイベント準備も進められた。

新潟県立歴史博物館の企画展『守れ!文化財ー博物館のチカラ、市民のチカラー』(2018年)に私の漫画を使ってくださったご縁で、学芸員の山本さんと、先方の監視員(案内説明員)さんと楽しくトークイベントをさせていただいた。2泊3日の初・新潟旅行も大満喫。酒豪揃いの皆様と連夜飲んで話して、デロデロに酔いつぶれて新幹線に乗り込んだ。

2本目のイベントは、私が卒業した高校(美術科)での講演。これも、本の営業活動で岐阜のギャラリーを巡っている際、偶然私の母校で現在教えているという彫刻家さんと出会い(私の在学当時はいなかった先生)依頼が貰えた。
高校時代にお世話になった油画の先生もまだ勤務されていて、ご挨拶できたのも嬉しかった。話を聞いてくれた生徒さんたちも
「いつもこういう講演って寝ちゃうんですけど、今日は眠くなりませんでした!」
という素直なアンケートをくれたりして面白かった。

最後に残ったのが東京の売り込みで獲得(?)した、下北沢のB&Bイベント。「芸術新潮」の編集部にいらした伊熊泰子さんと対談させていただいた。
帰りには、せっかく東京に来たのだからと、以前私の本を猫雑誌で紹介してくれた三軒茶屋の本屋さんにもご挨拶に行った。

ここまで売り込みで訪ねた書店等の数は35カ所。

イベントがすべて無事終わりほっとして、さあ今後はどうしようと作戦を考えたとき、ふと私は、自分の心がすっかり弱っていることに気がついた。


売り込み作戦終了。やっぱり描くしかないのだと気づく

イベントはどれも楽しく、刺激的で勉強になった。

しかし、売り込み作戦中じわじわと私の心に降り積もっていった自分の無力感が、イベントの「集客」というハードルを前にして、完全に爆発した。

参加費のかからない講演はさほど気にしなくていられたが、店舗で行うイベントは、はっきりいって私には時期尚早すぎた。
知名度もなく、自分のSNSアカウントもなく、経験も実力もない。見た目にもトークスキルにもお金をいただくような価値の全くない私。そんな自分を精一杯価値ある代物のように売り込んで、結果、主催者やスタッフさんにも要らぬ労力ばかりを掛けてしまったとさらに落ち込んだ。

「AKBだって最初のライブは観客が7人だったというんだから、頑張ろう」と無理やり自分を奮い立たせて、申し訳ないと思いながらも仕事と関係ない友人たちにまで宣伝範囲を広げた。対談の相手が有名だったこともあり、当日はそれなりにお客様が入ってようやくほっとした。

気づけば書籍発売から半年が経っていた。

美術館の勤務もあるので、休みの日にずっと売り込みであちこち歩き回った分、制作が全然できていない。『ミュージアムの女』も、書籍化と同時に連載を終了し、企画展に合わせてスローペースに番外編を描くだけになっていた。

私は今、ほんとうにすべきことをしているんだろうか。手帳を広げて今後のことを1から考え直すことにした。

私は『ミュージアムの女』の毎週連載を館のSNSで再開することに決めた。

そして、売り込み活動をするのをやめた。

確かに発売当初はそれも必要だったかもしれないが、半年経って、もうだいぶ店頭から私の本も消えつつあった。平積みしてもらっていたのがいつのまにか棚に1冊だけささるように配架され、それすら置かれていない書店の方が増えていった。

書籍の売り上げは私ひとりでどうにかできる問題ではない。時間は限られている。私は、私にしかできないことをすべきだと思った。つまり、描くということを。



あの売り込み大作戦から3年が経つ。『ミュージアムの女』の連載は今も毎週続けている。イベントは、「ネコ似顔絵」という特技を生かしたものだけにして、無理な売り込みはしていない。

『ミュー女』だけに頼らないように他の作品にも取り組んで、文章も少しずつ慣れるよう、この場を借りて書いている。

今現在、私の初書籍『ミュージアムの女』の単行本はおそらく出版社の在庫がなくなり、重版もかかっていないので入手が難しい状況になっている。電子書籍の方はあるので読めないことはないけれど、紙の本はAmazonなどのサイトを見ると、定価の倍以上の値段でしかなぜか出てこないし、岐阜県美のショップで購入希望のお客様がみえても、残念ながらお渡しできる現物がないのが心苦しい。
「2巻目はいつ出ますか?」
と聞いてくださる方にも、(それは、私も知りたいです…)と心のなかで返すしかない。
希望してくださる方はぜひ、私ではなく出版社さんに直訴を…。

絵は需要がなくても発表はできる。

けれど本は、需要がないと世の中に出してすら貰えないと分かった。


しかし私はもっと、3冊、4冊と自分の関わる本を増やしたい。作品を発表するだけでなく、編集者さんやデザイナーさんと1冊を作り上げていく楽しさや難しさの過程をまた経験し、そして書店に並ぶ自分の本に再び会いに行きたい。

新たな目標ができた。
「いつか本屋さんの『う』の棚に仲間入りすること」。


達成できるのが何年後かは未知すぎるので、設定しないでおこうと思う。





今週もお読みいただきありがとうございました。
本屋さんの敷地面積は変わらないのに、毎日、沢山の新しい本が執筆され、編集され、出版されていくこの不思議な世界で、私はあの棚に居続けられることの凄みを改めて知り、そして、またさらに憧れを強くしました。電子書籍が悪いわけでは決してないんですけれどね。紙の手触りと、匂いが好きすぎる…。

◆次回予告◆
『ArtとTalk⑥』日本の美術館ではなぜ「おしゃべり」がダメと思われているのか?一部の美術館で開催されている「フリートーキング・デイ」とはなにか?海外の美術館ではどうなの?等々気ままにトークしてまいります。

それではまた、次の月曜に。


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◆今週のおやつ◆
マリアージュ ドゥ ファリーヌ:いちごのフルーツサンド


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