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思い出の答えあわせ旅2008→2023金沢ー美大日記特別編ー

かつて通っていた美大のキャンパスがこのたび移転するということで、懐かしい旧校舎を見納めに、久しぶりに金沢の街へ帰った。


(今回は『美大時代の日記帳』特別編としてお送りします。)



「長い……」

名古屋と金沢を結ぶ特急しらさぎ号。学生時代、幾度となく利用した懐かしさにも勝るほど、久しぶりに乗った感想はそれだった。名古屋から東京まで新幹線で1時間半というのに慣れてしまうと、しらさぎの3時間弱という乗車時間はとても長く感じる。トンネルが続くゾーンに入ったので、少し目を閉じた。
まぶたの裏に光を感じ目を開けると、窓の外は一面雪。

この瞬間がしらさぎに乗っている間でいちばん好きだ。福井県の今庄あたりから手品のように、急に広がる雪景色。

金沢駅は新幹線ができてから様子が一変した。おみやげなどを売っている百番街は位置こそ昔と変わらないが、ずいぶん垢ぬけた印象になっている。
まずは腹ごしらえ。
金沢の台所・近江町市場で大好きな北陸のお寿司と甘エビコロッケを堪能し、「おいしかったー」と小声で何度も呟きながら歩き出した。前週に降ったらしい雪がまだ沢山残っていたが、道の真ん中は除雪されている。それに歩きながら思い出したが、金沢の雪は水分が多くべしゃべしゃなので「滑る」という危険は比較的少ない。

近江町から香林坊までの一本道にはずいぶんと観光ホテルやシャレオツなカフェが増えていた。しかもちゃんと、金沢の雰囲気に合うようにモノトーンや和テイストで統一されている。駅と同じく「垢ぬけたなあ」とまた思う。
途中、尾山神社に寄った。金沢の有名な、見た目のかっこいい派手な神社である。この街で過ごした4年間、守って貰った御礼をあらためて伝えた。



繁華街・香林坊は所々テナントが変わっていたけれど、雰囲気的にはあまり変わっていない。少し休憩したくて、昔バイトしていたミスドに入ってみた。1階の売り場がセルフに変わっていたが、交差点が見下ろせる2、3階の雰囲気はあの頃のままだ。

ミスドを出ると、何やら見覚えのないビルに若者が短い列を作っている。
なんだろう?
よくよく見ると、「レアンドロ・エルリッヒ」と書いてある。金沢21世紀美術館の代名詞、《スイミング・プール》の作家である。
帰宅後に知ったのだが、ここは「KAMU kanazawa(カム カナザワ)」という私設の現代アート美術館で、2020年に新しくできたそうだ。会場は複数あり、金沢の街を巡りながらアート鑑賞ができるというものらしい。せっかくならと並んでチケットを購入し、各会場はまわれなかったがレアンドロの作品を観た。その後、21世紀美術館でイヴ・クライン展を観て、「タレルの部屋」でしばし放心。

昔住んでいたあたりにも寄ってみた。
よく利用していたスーパーも、洋食屋も、バイトしたケーキ屋もなくなっていたが、パン屋さんだけが昔のまま残っていた。嬉しくて中に入りパンをふたつ買った。
「少し道が歩きやすくなったねえ」
会計中、店主のおじさんに声をかけられた。どうやら地元の人と思ってくれたらしい。
「あ…いえ、実は私、今日久しぶりに金沢に来たんです。昔美大に通ってたころよく来ていて、懐かしくて…」
「ああ、そうなの!それはそれは。ようきたねえ。何年くらい前なの」
今日金沢に着いてから、初めて人と交わした会話だった。
ちなみにパン屋だけでなく、かつて私が住んでいたボロアパートも驚くことに寸分変わらぬ姿でまだあった。

さあ、いよいよ大学。
校舎に入った途端、粘土と石膏の入り混じった独特の金美かなび(金沢美大)の匂いが鼻じゅうを満たした。
廊下に所狭しと並ぶ彫刻作品。合評の会場だった石膏室。打ちっぱなしの冷たい壁と、青いエレベーター。

2階の油画専攻のフロアにあがってみる。

夕方だったし、おそらく休講期間だったので廊下に人影はなく、しかしアトリエには明かりがついていた。廊下のベンチもそのままだったが、流石に灰皿は消えていた。無造作に、廊下の隅に裸婦油彩が固めて置かれ、
「採点済みです。持ち帰って下さい。」
と手書きの張り紙がしてあった。本当に15年もの時が経過しているのかと疑わしいほどに、空間そのものが当時のままだ。まるでここが、タイムスリップして降り立った過去に思えるほど。

さんざん迷い、その前をウロウロしてから思い切って、お世話になった教授の研究室をノックした。
反応なし。
不在かも…なんの連絡もなくいきなり来てしまったし…。
そう思い一旦はその場を離れたが、回れ右して、通り過ぎる美大生たちに不思議そうな顔をされながらもう一度、ノックした。
「はーい」
ドアをあけると、中から馴染みの顔が現れた。
S先生。
「あ、あの、突然お邪魔してすみません、私○○(本名)です、昔ええと、15年くらい前にお世話になっていた…」としどろもどろに自己紹介を始める私を、最初まじまじと見ていた教授の顔が途中から笑み崩れた。
「はい、はい。うわなつかしー。なんか音がしたなと思ったら。随分久しぶりだね。なんか雰囲気変わった。髪、長くなってる」
そう言われ、刈上げに細眉だった頃の自分が一瞬、頭に蘇った。

私が大学1年の時に、ちょうどご自身も美大に採用されたばかりだったS先生。金美では高校みたいに毎年「担任」がいて、S先生にとって私たちのクラスが「初めて担任する生徒」だった。そのせいか、担任を外れ他のゼミ生になっても、何か困ったことや迷いがあるとS先生を頼るという、私を含めた同級生皆にとって、特別な存在だった。
「いやでも、俺当時、まだ32とかだったんだよ。こないだちょうど○○(私の1つ先輩)がふらっと来てさ。言われたんだよ、『先生、あの年でよくあんなこと俺らに言ってましたよね』って。ほんとだよなあ」

アトリエ見てく?と誘ってもらい、揮発油の匂いが充満する懐かしいアトリエにも入った。エアコン設置という画期的な進化はあったが、それ以外はS先生自身「驚くほどまんまでしょ」というほど変わってなかった。あちこちに絵の具が飛び散った傷だらけの床に、大きな窓から注ぐ自然光。ここより美しいアトリエを私は他に知らない。

最近の金美の油画では、細田守監督や東村アキコさんなどの名だたる先輩の影響もあってか、映像や漫画に興味をもって入学する生徒が多いらしい。映像制作の部屋というのも見学させてもらった。最新鋭のデジタル設備が占められている―ということは全然なく、こじんまりしたパソコンが何台か、学校机にちょこんと乗っているだけ。その隣に灯油缶が山積みになっているのがいかにも金美である。けれど、気負いのないその部屋からは、何かおもしろいものが生まれそうな気配がした。

ほんとうは新しいキャンパスの外観もみようと思っていたのだが、久しぶりの道に迷ったのと、雪道に歩き疲れ(このあたりは街中と違いほとんど除雪されていなかった)信号待ちでツルリと見事にすっ転んで「大丈夫ですかっ?!」と道行く人に心配されたのをきっかけに、諦めて駅へ戻った。

バスの窓から金沢の街を見送りながら、ちっとも名残惜しくないのが不思議だった。

(だってまた、いつでも来られる。)

こんなにも、まだ自分の心はこの街のどこかに存在し続けている。


それに気づいた1日だった。





今週もお読みいただきありがとうございました。
第2の故郷という言葉、あなたにも、そんな街がありますか?

◆次回予告◆
『美大時代の日記帳⑫』ふたたび、大学時代へタイムスリップ。S先生に見透かされた話。

それではまた、次の月曜に。


*刈上げ&細眉時代の宇佐江はここに眠っています。↓


*今回行ったイヴ・クラインの情報はこちら。3月5日まで開催中!↓


*KAMU kanazawa 公式ウェブサイトはこちら↓


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