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取材にまつわるエトセトラー雑事記⑨ー

学びながら。働きながら。

幼少期から30代半ばの現在に至るまで、ずっと絵を描き続けてきた私の失敗や煩悩を脈絡なく書く『雑事記』第9回。

今回は、制作をしていると時々お受けする、取材にまつわるお話。



新聞編

『ミュージアムの女』の投稿を始め数ヶ月経ったころ、初めて外部メディアから美術館に問い合わせが来た。
「すごいね!どうする?そのうちテレビとか出ちゃうかもよ?」
と、冗談まじりにデニーズでキャッキャしながら当時の広報担当者(おじさん)と打ち合わせをしたその1週間後、ネットのまとめサイトにあがった私の漫画が一気に「バズり」、我々のもとへ、本当に取材依頼が続々と押し寄せた。

始めはいくつかのネットニュースで、件の広報担当者が答えていたため実感がなかったが、その次に来た新聞から私も取材に応対することになった。

1つ目は共同通信だった。記者さんは私より年下のてきぱきとした女性で、1時間ほど丁寧に、漫画を描き始めたいきさつや反響、思いなどを訊かれ、広報担当者と並んでそれに答えた。この時はピンと来ていなかったが、共同通信は通常の新聞とは異なるのですぐに掲載とはならず、この時の記事を紙面で目にしたのは少し先のことだった。しかしその分、複数の新聞社で掲載されたのが有難かった。

続いて、実家にいる頃からずっと愛読している地元紙から連絡があった。共同通信さんの方が早くアポを取られたことを悔しがられ、「掲載はウチがいちばんになるようにします!」と頼もしく宣言された記者さんと和気あいあいお話をした。
2日後、夕刊にその記事が掲載された。メディアの世界はやはりスピードが重要なのかもしれないとしみじみ思った。

そういえばその地元紙から、
「顔出しどうしますか?」
との確認が来た。取材時、一応写真を撮ってはもらったものの、抵抗あれば顔写真は無しにするというお話だったのだ。
最初は(ネット社会に対する自衛的本能のような感覚で)「写真はちょっと…」と言いかけたが、今回の取材が、漫画の内容に加えて「一風変わった漫画を描いている公立美術館の職員」という私の存在の珍しさを含めたものであったことを考え直し、どうせ美術館でもフロア業務をしているし、なにより「写真があった方が記事の扱いが大きくなる」というアドバイスが決め手となって、以降私は「顔出しOK」の扱いになった。

この後、いくつか新聞取材を受ける過程で私は色々と学んだ。まず、新聞は記事の内容を事前に取材先に確認しない。つまりいきなり記事が世に出る。(フリーペーパーや雑誌は掲載まで時間的余裕があるためか、だいたい校正をさせてくれた。)当然といえば当然なんだけれど、これが結構ドキドキ。
あるときバッと新聞を開いた瞬間、“睡魔との闘い”という見出しが目に飛び込んできたときはギョッとして、
(これ、岐阜県の偉い人に見られたらクビになるんじゃないか…私?)
と心配になった。
ただ、そうやって本人による校正ができない分、記者さんの取材はいつも徹底されていると感じた。取材後も後追いで細かい部分の確認をお電話でいただくことも多かったし、何より(私が新聞ラブという贔屓目もあるだろうが)自分の記事にこだわりを持っていらっしゃるなあと感じる、熱心な記者さんが新聞社には多かったように思う。もちろん、全員ではなかったけれど。

つい先日、福井県でイベントをする前に福井新聞さんの取材を受けて記事を掲載いただいたのだが、イベント当日、担当記者さんがわざわざ会場に様子を見に来てくださったのがとても嬉しかった。


テレビ編

新聞取材を受け始めてから1ヶ月ほど後、テレビの取材を2本受けた。ひとつはNHKの地元放送局、もうひとつは自分でもよく観ていた夕方の地域密着系情報番組だった。

別日に打ち合わせをしたあと撮影、という段取りだったが、正味10分程度の映像に対して撮影にかかった時間はいずれもほぼ終日。美術館の中で勤務しているふだんの様子や、私服に着替えて場所を替えてインタビュー、また移動して今度は漫画を描いている様子を撮影するためにおしゃれなカフェへ…。(※普段はこんな優雅な場所で描いたりはしていないのだが、自宅で撮影したいというのを私が固辞したので、このようになった。スタッフさんが「好きなもの頼んでいいですよ」と言ってくれたので、珈琲だけでなくケーキまでちゃっかり注文して…。)
バラエティ番組でタレントさんがしゃべっているのを聞いていた通り、本当にテレビの撮影ってすごく時間がかかるものなのだなあと身をもって知った。

どういうわけか、私は最初からカメラを向けられてもさして緊張せず普段通り(と自分では思っている)に話せたのだが、逆に収録された映像を後から見るのはやたらこっぱずかしかった。

NHKさんの放送日。私は出勤で、時間になると職員が総務室のテレビ前に集まり「観よう観よう!」と、皆でその放送を見守った。私は自分のしゃべるシーンを正視できず、後ろの席にひっそり座りストールで目隠しして耳だけで聞いた。
この特集は好評だったそうで、その後、別の地域の放送局でも何度か放送されたあと全国放送もされた。地元で2度目の放送の時も(前回と同じ内容なのに)ノリのいい職員さんたちが「観よう観よう!」と盛り上がり、総務鑑賞会・第2回が行われた。この時は、電波に乗る自分の声に耐え切れず、インタビューシーンだけ耳を塞いで見守った。

スタッフさんは両番組ともとても親切で、番組も素敵に作っていただいた。なかでもいちばんお世話になったのはNHKの取材で来てくださったキャスターさん。すごく可愛らしくて、同年代の女性として話もしやすく、その後放送日などの情報をマメにくれた。さらには取材の半年後、『ミュージアムの女』の書籍発売当日にはなんと、お祝いメールまでくださったのである。
放送からだいぶ経つのにチェックしててくれたんだ…と、その細やかな心配りに感動した。後日、美術館にもプライベートで遊びに来てくださったりと、その方との出会いはとてもいいご縁になった。


ラジオ編

新聞、テレビ、フリーペーパーなどは先方から依頼をいただく形だったが、2~3ヵ月続くとだんだん取材は途絶えて、元通りの地味な生活が戻った。
そうして書籍の発売を経て、今度は自分が「売り込み」をする段になると私は、知り合いの紹介で地元のラジオに何回か出ることになった。

ラジオは楽しかった。それまでのメディアと違い、自分で話すことが編集されずそのまま放送に乗る、という「生」の感じが面白かったんだと思う。

準備時間がほとんどなくいきなり本番というのもシンプルで良かった。収録時間に合わせて局に行き、ブースの近くで待機する。メインでお話されているDJさんはずっと生放送中なので当然ご挨拶できない。その様子を近くで見守り、CMや収録の部分が流れ始めてやっとDJさんがひょいっと出てきて「よろしくお願いします~。流れはだいたいこんな感じで、時間はこれくらいで」と、挨拶の延長みたいな打ち合わせがサクッと行われ「じゃ、行きますか」と一緒にブースに入り、気がつけばもうマイクに向けてしゃべっている、そんな感じ。

プロってすごいなと思う。実際に目にしたDJさんは結構身振り手振りもして、ちょうど、アフレコをする声優さんのように声に「表情」があった。テレビの放送では耳を塞いでいた私も、ラジオではリアルタイムなので地声の感覚に近く、自然でいられたのも良かった。


取材の対価について考える

他の人にもたまに「どうなの?」と訊かれる質問だけれど、取材される側には基本、謝礼は出ない。むしろ、広告費を払わずに作家側が作品についてアピールできる貴重な場なのだから、取材は大変ありがたい機会なのである。

私が美大生だったころ、すでに「これからのアーティストは描くだけじゃなく、自分の作品についてきちんと語れないとやっていけない」と教授に教えられた時代だった。

取材という場を通して、「なんとなく」のつもりで描き始めた漫画のほんとうの出発点や、なぜ人を猫の顔にしたのか、など、後付けとも思えるような回答を繰り返していくうちにいつしかその答えが真実なのだと思うようになった。

描いているときは夢中で気がつかなかっただけで、生まれた作品にはきっと常に理由がある。ときどきはそれを客観的に見つめなおすことが作家には必要な行為であるということを、取材の経験を通じて私は学んだ。

メディアの皆様、今後もどうぞよろしくお願いいたします。お問合せは、下記に……。





今週もお読みいただきありがとうございました。余談ですが、新聞もテレビも掲載日や放送日って直前になるまでわからなくて、周りの人に伝えるのにやきもきしました。「急に大きな事件・事故があると変更しますので」とその度に言われていたので、そういう日は「どうか今日1日、何のニュースもなく世の中が平和でありますように…」と願っていたものです。


◆次回予告◆
今回の取材関連で思いついた謎回。ひとり妄想インタビュー?を、お送りします。あっ、その前に、福井の似顔絵れぽも今週どこかで公開します~。

それではまた、次の月曜に。



冒頭に出てきた取材エピソードの時期を描いた漫画↓


これまで取材いただいた記録まとめ↓


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