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私の絵っておいくらですか?弱気が招いた美術の禁忌ー雑事記⑦ー

お金。
それは人間が生きていく上で欠かせないものであり、働けば、それ相応の「対価」をもらえるのがこの世のシステムになっている。

しかし、こと美術とかイラストについての「対価」って、ものすご~くモヤモヤっとすることが多い。労働とは異なる作品としての「価値」。自尊心や謙遜や、お付き合いや偏見等々にまみれながら「この価格で!」と、自分の創作物を世の中の貨幣に置き換える作業は、駆け出しの(私のような)作家にとって常に悩みの種となる。

初めて自分が絵を売ったときのこと。
また、初めて自分が他の作家の絵を買ったときの気持ち。

今回はそんなお話。



潔癖な美大時代の私VS超・商業主義の画廊主

美大生の頃、私は自分の作品にプライスカード(値札)を付けることにものすごく抵抗があった。そんな私が、来場者にゆったりと油絵を鑑賞してもらいたいというコンセプトのもと、マイペースな友人たちと企画したグループ展、その名も「マ・ターリ展」。(2006年)
その会場探しの道中、ある特徴的な画廊主と出会った。

「値段つけずに展示する?あかんあかん。しかも30号とか50号なんて誰が買う?そんなでかいの。10号とか小さいのも描かんと売れん。やるんならちゃんと勝負せえ!」

突如繰り広げられたものすごい商業主義。すでに何軒かの画廊やギャラリーを見学したあとだったので、我々も、このおじさんがかなり極端な主義主張の持ち主であることはすぐにわかった。
私たちは何も言い返すことなくその画廊を後にした。もちろん会場は別のギャラリーに決定した。

きっとおじさんは、「初めてグループ展をする」というおぼこい美大の2年生たちを門前払いしたわけではなく、至って真剣に接してくれたのだと思う。「そんなんで君ら、卒業後どうやって生活していく?」と、私らの将来まで心配しているような発言までくれたけど、まだ絵をのびのびと描いていたくて、値段とか、売るとか、そうしたシビアなことに足を踏み入れたくなかった当時の私たちはそのおじさんに強い拒否反応を示してしまった。

おじさんの理屈は今なら多少冷静に受け止められるが、お金を意識せずただ制作をする時期というのも作家の成長過程には必要だと思う。おじさんの演説にプンプン怒りながら帰ったあの時の私たちは、ほんとうに健全だったなあと微笑ましい。


初めて値段をつけて絵を展示したら1枚も売れなかった

そうして1枚も絵を売ることなく美大を卒業した私。しかし、『ミュージアムの女』(KADOKAWA)を出版後、あるとき初めて絵に値段をつけてみようと思い立った。

なぜ唐突にそう考えたのかはわからない。けれど、長年夢だった作家としての一歩を踏み出したばかりの私は、「今後のためにも経験値を上げていかなければ」と、色々な挑戦に前向きだった。

通常、画廊やギャラリーの場合は販売に際して作家とオーナーさんとの間で値段について相談するものらしいが、その時私が展示を予定していた場所は喫茶店の一角で、「値段はご自由にどうぞ」と任されていた。なにせ初めてだったので、「あまりにも浮いた金額をつけたらまずい」という心配から、私は日頃お世話になっている知り合いのギャラリーさんに絵を持ち込み、相談してみた。

絵を販売するときの価格基準のひとつは、作品のサイズらしい。私の絵はかなり小さいサイズで(あのおじさんに言われたことを守ったわけではなく、小さい額に入れて飾る絵を描くのが今の好みだった)油絵でいうところの「0号」より下回る。はっきりとした相場はないが、作品販売における最低価格がこれくらいという金額を教わり、
「あとはご自分のお気持ち次第」
という助言をもらった。

そして当日。トークイベントやネコ似顔絵会と合わせて行った展示だったため、お客様もたくさん来てくださり、自分の絵を色んな方に観ていただくことができた。会場の出来は自分でも満足できる内容だったと思う。

しかし、私の絵は1枚も売れなかった。


2度目の展示販売。ビビリすぎて禁じ手を使う

考えてみれば当たり前の話である。

このときの展示期間はたった1日。しかも漫画の原稿や旅日記などの非売品が大部分を占めており、値段をつけて飾ったのはごく一部の水彩画数点。値段の書き方も控えめだったので、それらが販売されていることすら気づかなかった人もいただろう。

なのに、私は内心地味にショックを受けた。てっきり展示のあとはもうお嫁に行って自分のもとを去ると思っていた作品たちをかばんに詰めて持ち帰った。
「高い値段をつけすぎたんだろうか」
「私って、漫画は読んでもらえても絵だけでは魅力がないんだろうか」。


その後、しばらくして別の場所でふたたび原画展を行った。

いちど値段を出して展示しておきながら怖気づいて「もう販売はしない」などと全部“非売”にするのはあまりにカッコ悪い気がして、その時も新作と共に前回出した絵を持って行き値段をつけた。

しかし傷心から立ち直れていなかった私は、この時禁じ手を使った。前回より、販売価格を下げたのである。

最初に相談したギャラリーのオーナーさんに「いちど値段をつけたら次回、それより下げることはやっちゃダメ」という美術界の原則を教わっておきながら、私はそれをしてしまったのである。前回、「この値段なら手放してもいい」という基準で定めた価格を、今回はあからさまに

「この値段なら買ってもらえるかな…」

という、100%消費者的なものの考えで作品に値段をつけてしまった。創作物なので原価というのも難しいが、絵によっては額(既製品)の値段と作品本体とがほぼ同じというような価格設定だった。

結果、私の作品はほぼ完売した。

展示期間が約1か月と長かったおかげもあったが、正直言ってものすごく安堵した。しかし、来場してくれた知り合いの作家にはズバリ「安すぎるよ」と言われた。
スーパーだったら企業努力という名の賞賛かもしれないが、作家にとってそれは決して誉め言葉ではなかった。


初めて知った「買う側」の気持ち

それから数年後のある日。私は知人の個展に行った。

彼女自身の人柄も大好きだったが、作風にかなりの独自性があり魅力的だったので、展示のお知らせをもらうたび毎回行くようにしていた。

平日で、ギャラリーの小部屋には私ひとり。ゆったりと一周して最後の壁に辿り着いたとき、1枚の絵に目がとまった。

あ、と思った。

ごく自然に、「買おうかな、これ」と。

そんなつもりで観ていたわけではなかった。第一、作品を販売しといてナンだが、私はそれまでいちども他の作家の作品を購入したことがなかった。
例えば、知人が経営する飲食や雑貨のお店に顔をだせば、毎回なにかしら気に入るものを見つけて買う。しかし、美術作品を「付き合いで」買うのは違うと私はずっと思っていた。

じゃあなぜ急にその絵を買おうと思ったか?

このとき私が見ていたのは、彼女の未来だった。それまでの作品を純化して結晶にしたような完成度の高いその1枚は、将来、彼女が作家として成長しその画業を振り返るとき、必ずや代表作と呼ばれる。そんな予感があった。
そうなってからではもう手に入らない。もし他の人に「なんとなく」で買われてしまうとしたらあまりにも勿体ない。

私はギャラリーのスタッフさんを呼んで、「この絵が欲しいです」と言った。他の絵と比べて特別高額というものではなかったが、その時の財布の中の現金ではとても足りない金額をクレジットカードで支払い、私はその絵を自分のものにした。

現在、その絵は私のアパートの玄関に飾られている。

絵は「モノ」ではない。

そう知っていたはずなのに、私は私の絵に弱気な値段をつけたあの瞬間、自ら作品を「モノ」として扱ってしまっていた。

あのとき購入してくれた人たち。色んな考えで手にしてくれたのだと思うけれど、いくら比較的安価だとしても、作家の心が宿る代物を安易に自分の家というテリトリーに招き入れてくれるはずはない。買ってくれた側にも私は大変な失礼をしてしまったのだ。
配送等のやりとりは展示してくれたお店にお任せしてしまったので、直接御礼も言えなかった。いつかお会いして、聞いてみたい。
私の絵を選んでくれたとき、どのような気持ちだったのか。


これから先、漫画の仕事もイラストの仕事もたくさんしたいけれど、細々とでも、1点きりの「絵画」を生み出すことは別次元の大切さで続けていきたい。

作品単体ではなく、作家としての自分の価値を今後高めていくことが、絵を買ってくれた人たちに対する精一杯の私の感謝の気持ちだと思う。





今週もお読みいただきありがとうございました。お金の話はあんまりオープンにはしづらいぶん、人知れず悩んでいる作家がたくさんいます。私のまわりには、同じように現在「売り出し中」で努力している同世代の描き手が多いので、そうした繊細な悩みも打ち明けて相談できるのがほんとうに恵まれているなあと思います。
皆さんも、「あ」と思う瞬間が訪れたら、心のままにどうぞ、美術作品を手に入れてみてください。

◆次回予告◆
『ArtとTalk⑨』最近説明的な話題が続いていたので、次回はすこしゆるりとフリートークします。今まで行った美術館や展覧会で個人的に印象深いもの。気兼ねなく旅に出られる時が来たら行きたい美術館がいっぱいです。

それではまた、次の月曜に。


noteプッチンプリン

◆今週のおやつ◆
江崎グリコ:プッチンプリン
(意図せず2連続でグリコだった…。)


*宇佐江みつこのアートな煩悩。その他のお話はこちら↓









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