命と死 光と影
2023年3月15日
こんにちは。漆貴 山猫堂という名の工房をやってるスミダと申します。
「漆 x サムライ」をコンセプトにモノを作っています。
いまモノづくり、全くしてない。
猫のサクラ店長の容態が急激に悪化し、それどころではない。
いや、創作はしないといけないんだけど、今はサクラから目を離したくない。
腫瘍らしき影があることが発覚して、手術という積極的な手段を取らないことを選択した時に覚悟はしていたつもりだったけど、実際に呼吸が苦しそうだったりご飯を一切食べなくない姿を見ると、情けないくらい動揺してしまう。
そしていま頭の中をグルグルしていることが
「楽にさせてあげるべきなのか」
ということだ。
ガンの診断を確定してないとは言え、獣医さんには肺に大きい腫瘍があって周囲に転移している可能性も高いと聞いている。
18歳という年齢も考慮して手術をしないという選択をしたので今後状態が良くなることはない。
だから終わらしてあげることが飼い主としての勤めなんじゃないかと思う。
でも。
彼はまだ生きている。
水は飲むし、トイレには自分で行けるし、まだ意思を持って生きている。
それを終わらせていいのだろうか。
生きている最後の瞬間まで一緒に過ごして見守る方がいいんじゃないか。とも思うんだ。
この二つの思いを3分おきに行ったり来たりしている。
きっと正解はない。どちらの選択にも後悔は残ると思う。どちらの選択も家族として暮らしてくれた動物への愛情から選ばれた決断だ。
だからこそ選べない。
でも「選べない」から見守るはダメだ。
見守るなら「見守ること」を選択する必要がある。
「選択をする」つまり飼い主が「覚悟を決める」。
それがずっと一緒にいてくれたサクラに対する礼儀なんだ。
上の文章を書いてから1日が経った。
1日仕事しながらずっと考えていた。
そして妻とも話し合って決断をすることができた。
それは自分の「生死感」に基づいてした決断。
僕は「生と死は同じ価値」だと考えている。
光が差すことで影ができるように生の影に死がある。
光しか存在しない世界では「光」を認識することがないように「死」があって初めて「生」が輝く。
終わりがあるから真剣に生きようと思える。
強制的に延命する事にも早期に命を断つ事にも違和感を感じる。
これが生命とその終わりに対しての僕の考え方。
そうすると取る選択肢は「最後まで見守る」ということになる。
この選択肢がただ一つの正解だとは思わない。
飼い主ごとに異なる考え方があって、選ぶ選択肢も違うことだろう。
ウチの家族とサクラの関係にはこの選択肢が一番しっくり来た。というだけの事だ。
今日も呼吸は浅くなってきてはいるがサクラは生きている。
ヨロけたりしながらも自分の行きたい所に行き、ちょっとだけ水を飲み、少しの間僕らの目を見つめる。
僕らは声を掛けつつ彼を見守っている。
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