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「こどものせかい」

先日、六歳の甥っ子とおしゃべりしてきた。二つ下に弟のいる彼は、何かと空気を読んでいる。甘えていいのか、わがまま言ってもいいのか、我慢した方がいいのか、お兄ちゃんとしてふるまった方がいいのか。何も考えていないような表情をして、なんだかいろいろ考えている少年だ。

「なにかハマっているものはある?」と聞くとポケモンだとのこと。「お父さんがポケモン図鑑を持っていて、それを読んでいるうちにカタカナも読めるようになったんだ」と自慢してきた。

「話すことと読むことがつながれば世界が広がるよな、楽しいのはこれからだぞ~!」と思いながら、看板を見つけては「あれ読める?」「お!すごいな~!」とワイワイやって来た。足し算と引き算も出来ていた。勉強という堅苦しいイメージではなく、世界を把握するための素晴らしい道具として学問を楽しく身に着けていっておくれ。

さて、そんな6歳の少年から不思議な質問があった。
「どうして、ひとは、少しずつ死んでいくの?」と。どういうことだろうと思ってもう少し聞いてみる。いろんなところで、いろんな人がちらほらと少しずつ死んでいく。それは、どうしてなのかという。

むずかしい。彼の疑問点は、どこにあるのだろう。ひとは死なないと思っているのか。あるいは、寿命が来たら、同じ年の人は一斉に死ぬと思っているのか。

「〇〇くんと弟くんは、違うタイミングで生まれてきたでしょう?それと同じように、死んでいくのもみんなそれぞれ違うタイミングなんだよ。
ん~、それに、みんなが一斉に死んだら、世界から人がいなくなって大変じゃん」
とよくわからない回答をしてみる。
少年は「そういうこと?」とわかったようなわからないような顔をして、けらけらと笑っていた。
(おじいちゃんが、少し前に病気で入院していたこともあって、それで何かを考えていたのかもしれない。)

続いて、いつか聞いてみたいと思っていた質問もぶつけてみた。
「〇〇くん、自分が生まれて来た時のこと、覚えてる?」
「うん…覚えてる。……でもあんまり言いたくない」
「なんで?覚えてるのに言いたくないの?
 そっか。いいよ、無理に言わなくても。お母さんには話したことある?」
「うん、お母さんには話したことある」
とのこと。

残念。覚えているのに、聞くことは出来なかった。聞きたかった。
生まれて来た時の写真があるから覚えているの?と聞くと、写真を見なくたって覚えているよ!と答えやがった。そうなのか。そういうものなのか。おじさんは全部きれいさっぱり忘れちゃったよ。



こどものせかいは狭い、ということはできる。


こどもは、だいたい見ているもののことを考えている。
見えていないもののことは考えていない。

でも、少しずつ、見えていなくてもこの世界に存在しているもののことを理解するようになっていく。人の気持ちや、世界の中で機能している様々な法則や仕組みにも、手近なところから理解を深めていく。

実際の世界と、子どもの世界の間には、まだまだたくさんの乖離がある。思い込みも多い。好きなことについてはやたら詳しいくせに、興味がないことには危ないほど知識がない。現実とは関係なく、見たいように捻じ曲げて世界を見ている。

何を知るべきで何を知らなくていいかというルールは、実は、どこにもない。実際の世界で生きていくのに必要なものは取り入れて、必要でないものは程よく無視して、自分のなかの世界を社会にうまく擦り合わせていけばいい。

世界のすべてに合わせる必要はない。自分の関わる世界で、なんとか居場所を作れたらいい。そのために必要な鎧を身に着けることだ。
しばらくやっていれば、自分が周りに合わせるだけでなく、周りも自分に合わせて変わってくれるし、もう少し頑張れば自分が周りに影響を与える存在にもなれる。
知るべきものの一応の基準は義務教育で学ぶ内容だと言うことも出来るけど、忘れても問題のない知識もたくさんあるし、それらを持っていたとて働くのには全然足りない。

見たいものをよく見て、見なくていいものは適当にスルーしたらよい。
聞くべきことはよく覚えて、忘れた方がいいことは別のことに没頭して忘れたらよい。
知らないことがあると気が付いたら、一所懸命に学んだらよい。学ぶのに遅いことはない。今学んでおけば、後になって「あの時学び始めておけばよかった」と思わなくて済む。

苦労すると強くなる。それは確かだ。でもする必要のない苦労はわざわざ背負わなくてもよい。苦労せずに成長する道があるなら、そちらを選んでもよい。

努力して身に着けたものは一生自分を助けてくれる。だが、努力は必ずしも結果には結びつかない。助けてくれる人、教えてくれる人、注意してくれる人、導いてくれる人、出会いを作ってくれる人、守ってくれる人など。いろんな人に支えられて、初めて良い結果を受け取ることが出来る。

上には上がいる。そして下にも下がいる。
人生は長い。世界は広い。いろんな人がいるし、いろんなことが起こる。

自分の好きなものを見つけて、それを得意なものになるまで磨くこと。
苦手なことも、必要ならぼちぼちできるようにすること。
仕事も頑張って、楽しく遊んで、心と体の両方を大切にして、この世界のなかの輝かしいものにいっぱい触れたらいい。

大切な人を見つけたら、大切にするとよい。
さらに、その人からも大切にしてもらえたら、なお良い。

こどものせかいは、子ども時代だけのものではない。おとなのなかにもあるこどものせかい。

どこまで大きく広げていこうか。こどものせかい。
おとなになっても、みんなこどもだ。

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