雨の奥[十六]
「コミュニケーションは、相手とコンテクストを共有するからこそ成り立つ。どこかで聞いたことはあったんですが、このときほどそれを実感したことはありません。私の用意していたコンテクストにおさまり切らなかった澄子さんの言葉は、私たちが編んできたコミュニケーションをいとも簡単に破りました。
とりあえず愛想笑いをしてみた私に向けられた澄子さんの表情を読み解くことすら、もう私にはできませんでした。
『私ね、ほんとはね、この人と付き合ってるの。コウタさん。』
彼女の言葉に合わせて、男が一人カーテンの中に入ってきました。
会ったことはなく、年は一回りほど上にも見える人でした。
そのあと、何か話したと思います。でも内容はまったく覚えていません。
ただ、澄子さんが冗談を言っているわけではないということ、コウタという男と澄子さんはちゃんと本当に親しいということ。それを全身で感じたのは覚えています。
その日の夜、一人の病室で冷静になった私は、出来事のあまりの突拍子さに昼間には気付けなかった様々な疑問の中で溺れていました。
彼女はいつから浮気をしていたのだろうか。
私は何か彼女の機嫌を損ねるようなことをしたのだろうか。
本当に彼女は自分の意思でこの決定をしたのだろうか。
どうして、子どもがいるのに、他の男のもとへ行くのだろうか。
そもそも、あの子どもは私の子なのだろうか。」
<つづく>
今ならあなたがよもやまサポーター第1号です!このご恩は忘れません…!