終わってる私と、終わらない日々と人生の燃え滓

【2022年9月の書き溜め】

働けなくなってから3ヶ月が経った。

精神疾患は心ではなく脳の病気だと言うが、私の場合脳も身体も心も全て破壊され尽くしたように正常に動かなくなった。人混みが苦手になって、電車に乗れなくなった。薬の副作用で毎日夢を見た。目が覚めた時にはいつも泣いていた。正常な判断ができなくなって、気づいた時にはヤブ医者にしこたま金を取られていた。


”終わってる”って思った。

世の中に対してか自分自身に対してなのかは分からないけど、それを考える気概すら残らないくらい私は燃え滓だった。

それでも、周りは優しい人ばかりだった。

母は私の為によく泣いた。今まで母が泣く所なんて見たことがなかったから、自分の親不孝ぶりが余計に身に染みて辛かった。それから父が数年前から睡眠薬を服用していた事を知った。眠れない夜はいっそ寝なくてもいい、と言う父の言葉が優しくて、愛されてる実感が嬉しくて、やっぱり辛かった。
恋人はいつも私の欲しい言葉をくれた。私がどれだけ自分を否定しようが、彼はしつこいくらい私の存在を肯定してくれた。働けなくなって月曜も火曜もわからなくなる中で、週末に彼に抱きしめてもらうことだけが毎日を生きる理由だった。彼がいなかったら、私はもっと早くだめになっていたと思う。



7月の末に、新卒で勤めた会社を退職した。

もう同期は半分になっていた。

上司から頂いた手紙には「○○ちゃんがこういう事になってしまったのは私の責任です」とあった。違う。この会社に入ったのも、苦手な仕事を無理して続けてメンタルを崩したのも、今となってはもうこの仕事に対してなんの未練もないことも、全部全部全部全部私の責任じゃないか。

あの日電車の中で過呼吸を起こして倒れた時、ほんとは安心してた。ああ、これでやっと休める。私は病気なんだから、もう何も負わなくていいんだって。いずれ辞めるかもしれないと思いながらずるずると仕事を続けていた私の方が、よっぽど無責任で最悪で、仕事というものに対しての誠実さがない。

燃え尽きて燃え滓になったつもりが、本当は燃えてすらいなかったことに気づいたのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?