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クック諸島滞在記 No.2

「寂しがり屋の黒猫たちの訪問」

 昨晩、何度も夜中に目が覚めた。

 ラロトンガ島は夜になると物音がほとんど無くなるので、深夜などは波の音がより大きく聞こえる。そのため、目を覚ますことが頻繁にある。そんなときは、波の音に耳を澄まし、睡眠と覚醒の間をたゆたうことにしている。

 暗闇の中、ベッドの上でそうやって過ごしていると、まるで海に浮かんでいるかのような感覚が訪れる。その時間は島で過ごす時間の中で、もっとも甘美で贅沢な時間である。


 しかし、昨晩、何度も目が覚めたのは、波の音のためではない。隣の家に住む黒猫、ラップトップのせいである。

 僕が住む家の左隣には、タヒチ人のパトリシアが住んでいる。いつもきれいな花飾りを身に着け、園芸が趣味の彼女の家の庭にはいつも爽やかな香りのするティアレ・マオリやプルメリアなどが丁寧に手入れされて育っている。

 貝殻などを使った手芸も得意で、娘は週に一度、家の前で拾った貝殻を集めてはパトリシアの家に行き、一緒にアクセサリーなどを作ったりしている。また妻は園芸を教わり、良好な隣人関係にある(一度、僕が庭で枯れ葉を燃やしていた時、風向きの影響でその煙がパトリシアの家に向かったことがあり、そのとき旦那さんに随分と怒られたことがある。そんなときにもパトリシアは間に入って仲を取り持ってくれた)。

 パトリシアの旦那さんはアメリカの退役軍人なのだが、現在、病気で故郷シアトルの病院に入院している。そのためにパトリシアも渡米しており、不在期間はかれこれ、もう半年近くになる。


 パトリシアの家にはラップトップという名の黒猫と、ポレホという名の三毛猫がいる。パトリシアの不在中、我々がそれらの猫の面倒を見ており、毎日僕たちが餌を与えに行っている。

 ポレホは臆病なのでガレージの奥に隠れてほとんど出てこないが、ラップトップは極度の寂しがり屋で、我々を見かけると駆けて擦り寄り、餌も食べずにずっと足元にまとわりついてくる。ソファに腰をかけようものなら、逃すものかとすかさず膝の上に乗ってきて、鼻水を垂らす(ラップトップは嬉しいときや安心したときは鼻水を垂らす癖がある)。

 用事が終わってドアを締めるときのラップトップの「行かないで」と訴えかけるような表情を見ると、いつも心苦しくなるのだが、しかしあまりの甘えん坊ぶりにこちらも辟易している部分もあるので、そそくさとドアを締めることが多い。


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 そんなラップトップであるが、どうしても寂しくて仕方ないときは自分の家を抜け出して、我が家にやって来てはテラスでにゃーにゃーと鳴き、我々を呼ぶ。

 初めは相手をしてあげるのだが、やはりあまりにしつこくまとわりついてくるので嫌になり、家の中に逃げ込むと、またにゃーにゃーと鳴く。テラスでパソコンを開いて作業などしていると、キーボードの上に乗ってきて、またにゃーと鳴く。それが続くと、ラップトップを掴まえ、パトリシアの家のキャットドアから中に押し込む。

 ラップトップは夜になると寂しさが増すのか、夜中に我が家に来ることが多い。その場合、テラスで一晩中、寂しげな声をあげ続ける。

 初めは聞こえないふりをして眠るのだが、いつまでも続くので夢の中でもにゃーにゃーという声が響き、眠っていられなくなる。

 それでも深夜に猫の相手をする気にもなれず、また、パトリシアの家に連れ帰るにしても、管理を任されているとは言え、真夜中に人の家の周りをうろちょろして変な疑いをかけられるのも嫌である。

 結局、無視して頑張って眠るしかないのだが、そんなことをしていると寝室の窓の外にある木で眠っている我が家のペットである鶏のピータが寝ぼけて木から落ちて騒いだり(島の鶏は木の上で眠る。ピータは自分は人間の子供だと思っており、我々の寝室の窓の近くの木を選んで眠る)、朝と間違えて鳴き始めたりして、ますます眠れなくなる。

 そして気がつけば東の空が明るくなり始め、寝不足の状態でドアを開けるとラップトップが嬉しそうに擦り寄り、朝を迎える。


 テラスに座り、熱いコーヒーを飲み、海を眺める。打ち寄せる波の音が、耳から脳内に潜り込み、寝不足の脳が覚醒していく。穏やかな一日が始まる・・・・・

 なんてことはなく、鶏のピータはそんな僕の姿を見つけては餌をねだって、何やら変な声をあげて駆け寄ってくるし、ついでに、この朝は三軒先にある豪邸で飼われているBettyという名の、まるまる太った短足でがに股のまったくもって警戒心のない犬までもがテラスでキューキュー鳴いていた(この犬も飼い主が留守になると我が家にやってくるのだ)。

 そして、僕の膝の上では満たされた様子でくつろぐラップトップが気持ちよさそうに鼻水を垂らしている。

 僕の島の一日は、大体、こんな感じで始まる。


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