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クック諸島滞在記 No.1


「良き物語の始まりは、波の音とともに」

 いま南太平洋に浮かぶ小さな島で、波の音を聞きながらこの文章を書いている。

 海からの風に椰子の葉が乾いた音をたてて揺れ、その向こう側のリーフで白い波が砕けているのが見える。この数日は東からの貿易風が強く吹き、波は高く、音が低く響いている。鶏が鳴く声は絶え間なく聞こえ、時折、島民たちの陽気な笑い声が風に乗って流れてくる。

 この島に住むようになってから三年近く経つ。実際にはこの数年間、ずっと島に住んでいるのは僕の妻と12歳になる娘である。僕は一年の半分ほどをここで暮らしていると言ったほうが正しい。


「クック諸島のラロトンガ島で職を見つけたので、行ってみようかと思うの」

 妻がそう言ったのは3年半ほど前のこと。僕は写真家として世界各地を訪れ、それまで150カ国近く訪れていたが、クック諸島は行ったこともなく、どんなところかも知らなかった。

 それが良くなかったのかも知れない。いや、この島に出会えたのだから、良かったというべきなのかも知れない。僕は知らない国があると行きたくなってしまう性分で、南太平洋に浮かぶクック諸島という響きだけで旅心がくすぐられ、自身も行ってみたいという思いもあった。それゆえに特に反対する理由は見当たらず、妻は僕を置いて娘とともに飛行機で旅立った。

 初めは一年ぐらいかなと思っていたが、滞在はずるずると長くなり、いまで三年を超えた。その間、僕は日本とクック諸島の中心の島ラロトンガ島を行き来する生活を続けてきた。

 初めは何もない島だと思っていたが(それはいまでも同じだが)、暮せば暮らすほど、この島が持つ魅力に惹かれていった。

  いつも笑顔を絶やさない人々、毎週日曜日に教会から漏れ聞こえる賛美歌の歌声の透明感、潮風に揺れるタロイモ畑の青々しさ。それらの何気ない島のひとつひとつの光景は、「幸せとは何なのか?」 ということを僕たちに伝えようとしているように感じられ、島での滞在を通じてその答えの一端を知っていったような気がしている。

 ここに綴っていくのは、この島における僕たちの他愛もない生活の話であり、「幸せとは何なのか?」という、これまで古今東西、ありとあらゆる場と人々の間で思索され尽くして、いまさら改めて語るまでもないテーマが根底にある。なので、ワクワクするような冒険譚もなければ、涙を流すような切ない恋の話もない。

 登場するのも、僕たち家族三人、それに庭で飼ってる馬鹿だからこそ憎めない鶏のピータ、左隣の家の寂しがり屋の黒猫ラップトップ、そして右隣の家の怖がりの犬のチューイちゃんぐらいである。

 どんな話が語られるか、自分でもまだわからないけど、とにかく書いてみようかと思う。何度も言うように、この島には何もないのである。しかし、不思議と語るべきことはたくさんあるように感じているし、それらの物語はいまこの瞬間にも語られることを待っているような気がしている。

 この島で過ごした時間をより確かなものにするために、この滞在記を書いてみる。

 良き物語は、いつも波の音とともに始まるものである。


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