クック諸島滞在記 No.3
「私は人間?? 鶏のピータの物語」
昨日の記事に鶏のピータが登場したが、ついでなので彼女のことを書いてみることにする。(全然、島のことを書いていなくてごめんなさい。次ぐらいから書こうかと。)
ピータがこの家に来たのは、2年前ほどのことである。ニュージーランド在住の日本人のM氏がラロトンガ島を訪れていた際、滞在先の宿の軒先で親鳥のいない生まれたばかりの二匹のひよこを見つけたのが始まりである。
生まれたばかりのひよこは体温調節ができず、親鳥がいないと一日と経たず死んでしまう。M氏はひよこを保護し、一緒のベッドで寝るなどして一週間ほど育てたが、結局、親鳥が見つかることはなかった。そして、M氏がニュージーランドに戻る日、ピータとピーコ(ひよこの性別の判別は難しく、この時点では二匹ともメスということはわからなかった)と名付けられた二匹のひよこは我が家に託されることになった。ひよこたちは我が家の一員となり、娘がひよこの育ての親となった。
しかし、この二匹、随分と甘やかされて育ったために、わがままであった。人間でも使わないようなふかふかのマットで眠り、餌はキヌア。しかも白いキヌアは食べず、赤いキヌアしか食べない。クック諸島ではキヌアはニュージーランドから輸入されている高級食材で、我が家でも買い物の際に高くて手が出せない。
お腹が空けばピーピーと鳴きながら、家の中に入ってきては走り回る。そして、糞をそこら中にして回る。おまけに自分たちのことを人間だと思っているので、隙を見ては我々のベッドに潜り込んでくる。
それでもひよこの姿は愛らしく、娘の後ろをピーピー鳴きながらついていく様子も見ていて楽しいものであった。(糞の始末は妻も娘もやりたがらないので、僕が毎日掃除させられるのには辟易したけれども)
手間がかかりながらも、二匹のひよこは庭を走り回りながら成長していったが、残念ながらピーコはある日、ネズミか何かに噛まれて死んでしまった。ピータは順調に育っていまでも庭をかけずりまわり、わがまま放題である。
そんなピータも、危機がなかったわけではない。
あるとき、ピータの姿がしばらく見えなくなったときがあった。これまでもピータが卵を生んで育てているときなどは二週間ほどいなくなることはあった(広い庭と人間から与えられる餌を所有しているピータはオスの鶏からモテるのだ)。
ある時、我が家がある敷地内にある小屋にフィジー人男性が住み始めた。それから数週間したある日、ピータの姿が見当たらなくなった。またいつものように卵を生んで育てているのだろうと思っていたが、娘はどうもいつもと様子がおかしいという。いつも卵を温めている場所にいないのだ。
草むらを見て回り、庭の隅々を探しても見つからない。そんな日々が続いたある時、フィジー人男性が住む小屋の近くで娘があるものを見つけた。それは鶏の足だった。
それを見た妻はとっさにそれはピータの足ではないと娘に伝えたものの、内心、かなり動揺していたらしい。というのも、数日前、フィジー人たちが近所の空き地で鶏を捕まえてチキンカレーにしてみんなで食べているのを見ていたからである。
自分の子供のように育てていたピータが無残にも食べられてしまった。そんなことを娘が知るとなると、どれだけショックを受けることか。僕でさえ、ピータの最後の瞬間を夢で見たぐらいだから、母親代わりとしてピータを育ててきた娘の気持ちは推して知るべしである。(ちなみに、僕の夢の中で、ピータは最後の瞬間に、娘の名を叫んでいた。)
それから数日間、毎日、ピータを探すも見つからなかった。辛いがこれも教育なのかもしれない。そろそろ娘に事実を伝えなければならないと話し合っていた矢先、ピータはいつもと変わらぬ様子でお腹をすかせて家のテラスにやってきて、無事が確認されたのだった。
僕はピータに「Don't eat me!!」と書かれた首輪か足輪を付けることを提案し、妻はフィジー人に、この白くてまるまると太った自分のことを人間だと思っている世間知らずのメスの鶏だけは絶対に食べるなと何度も伝えた。しかし、そもそもフィジー人たちはオスの鶏しか食べないということだった。
ということで、我らの愛しい家族の一員であるピータは今も元気に育っている。
乾燥した米ではなく炊きたての米を好み、寝る前にテラスで糞をしていき(もちろん掃除は僕がする)、夜中に寝ぼけて木から落ちたりしながらも、段々と人間から野生の鶏へと育ちつつある。
いつか恩返しをしてくれるだろうかと思いながら、我々はピータの成長を見守っている。
クック諸島の日々の中心には、常にこういった他愛もない時間が流れている。ここでこうやって暮らしていると、日本のことははるか遠くに霞んでいくのだった。
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