現象学としての『モテ』 -欲望と幻惑の構造-

はじめに前提として、「女好き」と「モテたがり」は似て非なるものであるということを述べておきます。

まず「女好き」ですが、彼らは女をものにすることで、男としての有能さを確認したい欲求を持っている。女を口説き落とすまでのプロセスが重要であり、ひとたびそれが達成されれば自尊心が満たされ、男らしさへの不安から解放される。
セックスという明確な達成目的があり、目的のために合理的に振る舞う。いわゆる"肉食"といわれるタイプで、多くの女と寝たことを誇るのはこの種の男です。   

次に「モテたがり」ですが、彼らは自己肯定感が希薄であり、それ故にモテていない自分を愛することができない。不特定多数の異性から注目されていることを求める一方で、人格ある個人としての相手の内面についてはわりとどうでもいいと思っている。「自分を好いてくれる存在」という以外の点においては相手にあまり関心がない。モテている自分、もしくはそのような状態に価値を見出すタイプです。

いずれのタイプにせよ、このような身勝手な欲求を満たす目的で異性を求めるのでは親密な男女関係を築くことなど不可能ですから、通常、そこに「愛」などを持ってくることで互いの関係性を恋愛というかたちに昇華させていくのだと思います。

さて、いま述べたように男は大きく2つに分類できると思います。積極的に女を口説き落とそうとするタイプと、不特定多数の女に好かれたいタイプです(たいていはどちらの要素も入り混じっているでしょうが)。ここで私事を述べさせてもらえば、どちらかといえば後者の方だという気がします。 そこで今回はこの後者の観点に基づいて「モテ」という現象を説明してみようと思います。

ここで本題に入る前に、人間の欲望というものについて少し触れておきます。
モテという現象をわかりやすく解明するにあたって、欲望の性質を踏まえておくのが便利だと考えるからです。  

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欲望というのは模倣されるものです。 
空腹が食欲をもたらすような意味で、自己の内側から自然と沸きあがってくるものではありません。 そのような生理的欲求とは根本的に異なる性質のものです。 
欲望とは常に他者の欲望の模倣であり、個人にとってオリジナルな欲望というものは存在しない。 誰も抱いたことのない欲望など、我々は決して抱かないのです。このようなことは、文芸批評家のR・ジラールが明確に指摘しているので少し引用してみましょう。   

「虚栄心を持った男がある対象を欲望するためには、その対象物が、彼に影響力をもつ第三者によってすでに欲望されているということを、その男に知らせるだけで十分である。」(欲望の現象学/法政大学出版)   

近代以降、個人主義の台頭に伴って自律性や主体性といったものが尊重されるようになり、それらの欠如がもっとも恥ずべきこととされたせいで、我々は往々にして自分が他者の欲望によって欲望するということに無自覚的です。

あるブランドの商品が欲しいという欲望は、多くの人々が抱いた「その商品が欲しい」という欲望を模倣したものです。また例えば、現代はいわゆる"巨乳"の女性が持て囃されますが、そのような風潮がまた新たな巨乳好きを再生産するわけです。

恋愛がしたいという欲望も然りです。 
青年期において異性と親密な関係を築いている他者を目の当たりにし、そして周囲の者たちがそれを羨望の眼差しで眺めているのを知って、そこで初めて自分も恋愛したいという気持ちが芽生えるはずです。 
「恋に恋する」という言い方がありますが、それはみんなそうなのです。   

つまり他人が欲しがるもの(したがること)は自分も欲しくなる(したくなる)。   

ある特定の集団・組織・文化圏などにおいて、そこに所属する人々の欲望の内容が次第に似かよってくるのはこのためです。

(一方、人と同じでは格好悪いという理由で自らの差別化を図ろうとする人がいますが、そのような発想自体、他者から模倣されたものであり、現代において非常にありふれた欲望のひとつです)    

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欲望のこのような性質を踏まえた場合、モテるためには自分を欲望の対象としてくれる他者、いわばファンをまずひとり作ることが大切だということになると思います。   

「あの人、ちょっといいかもしれない」という淡い憧れの気持ちを引き起こすことができれば、それが最初の火種となり、うまくいけばファンとしての憧れの感情が別の誰かによって模倣される。 
"模倣者"が増えれば増えるほど、その影響力は次第に増していき、ときには熱烈なファンを多く生み出すかもしれません。 
このような力学に従ってモテる人ほどモテるようになっていくわけです(売れる商品ほど売れるようになる)。

女の子の集団にたまに見られる現象ですが、グループ内で影響力を持つ1人が「あの男いいかも」と認定すれば、他の女の子もその好意的な感情を自然と共有するようになる。
この感情の伝搬と共有が相乗効果を生み、対象の価値はさらに上がっていきます。

以前にどこかで「モテるための条件」と題された記事を読んだのですが、そのいくつかの箇条書きの中に「自分がモテることをさりげなくアピールする」というのがありました。 
これはなかなか正しい戦略かもしれません。 
見当違いの自惚れだと思われてしまえば逆効果ですから、嫌味なく、慎重にやらなければなりませんが、周囲に対して「この人はモテる人なんだ」という認識が広がることはモテ効果の上昇に貢献すると思います。 

つまり、モノ自体の良さや品質をアピールするのではなく、そのモノが多くの人によって求められているということを訴えるわけです。 
これは企業の商品戦略などでは一般的に行われていることでしょう。 
魅力があるから人気が出るのではなく、人気がある(ように見える)からこそ魅力的に映る。 
(人気のないマニアックなものにこそ魅力を感じる人がいますが、両者は同じコインの裏と表のようなものです。他者の評価によって対象への関心度が左右されるという点において変わらない。彼らはマイナーなものがメジャーになると、対象そのものは何も変わっていないのに、途端に興味を失う)   

さて、最初のファンを生み出すきっかけを作る際に重要になってくるのが自分の得意分野を知っておくことだと考えられます。 
人間、誰しもあらゆるタイプの異性にモテるということはあり得ません。 
どんなにモテているように見える人でも、得意分野というのはある程度限定されてくる。 
従ってすべての異性にモテようなどという誇大妄想を抱くことは禁物であって、特定層に対して自分を特化する戦略を取るのが現実的ではないでしょうか。   

自分の得意分野を知るために注意すべきことは、自分自身の好みをひとまず脇に置いた状態で異性の態度を観察することではないかと思います。 
自分の好みのタイプにしか目を向けない人は、自分がどういうタイプの異性から好かれるのか、その点を見落としがちなのではないでしょうか。   

たいていの場合、自分の好みとは違う異性に好かれることのほうが多いと思いますが、そのことを残念がるのではなく(あまつさえ、その相手を侮辱するような発言をするなど論外)、むしろ積極的に受け入れたほうが良いという気がします。   
繰り返しますが、モテというのは自分に対する憧れの感情が模倣されていく過程で起こる状態ですから、好意を抱いてくれた相手を蔑ろにしてはいけないということです(もちろんストーカーの類は除く)。

このようにしてファンを獲得し、それを拡大させることで好意的な視線を常態化させることに成功すれば、ひとりの相手に固執しない状況に身をおくことができるのではないかと思います。 
そして、そこに生まれた心理的な余裕が異性への態度に自ずと変化をもたらす。 
それはある種の無関心ともいえる態度であり、この程よい無関心こそが恋愛市場における自己の優位性を強固なものにすると言えます。 

我々は、好かれようとしてゴマを擦りながら自分に近寄ってくる他者を軽んじる。
(上司にゴマを擦る人間は、本人の意図に反して軽んじられる。上司の評価など気にしないという態度でいる部下のほうが気概のある人材だと思われるのではないでしょうか。もちろん本当に何も気にしないのでは駄目で、大事なポイントにおいては相手の面子をしっかり立てるというようなバランス感覚が必要でしょうが)   

反対に、自分に対してあまり関心を示さない者や自分のもとから去っていきそうな者にこそ強い関心や執着を抱く。   
従って、快く接しつつも必要以上に相手に関心を示すことなく、多少突き放したような態度であることが他者の欲望を呼び覚まし、駆り立てることになる。   

これはまさにステージ上の演者とそれを見上げる観客(ファン)との関係性であって、この両者の距離感こそが憧れの気持ちを生み出すための素地になると思われます。   

ファンがステージ上の煌びやかな存在に対して熱烈な視線を注ぎ込むのは、その存在から感じ取れる程よい無関心ゆえです。 
この無関心こそが、その存在をして華々しく煌びやかなものにせしめる。 
彼の中になんらかの注目すべき魅力があるとしても、その魅力を何倍にも膨らませ、無視できないほどの輝かしい幻惑力を引き起こしているのは、まさにこの無関心です。   

そもそも人の魅力というのはすべて幻想であると言えます。 
接近すればするほど、それだけ相手の魅力は失われていく。 
ある人に付与された理想的なイメージが、幻滅と失望によって地に堕ちないことを望むならば、その相手に近づき過ぎないことでしかこの宿命は免れ得ないでしょう。 
(幻想だからといって、自分の魅力を磨いたり、他者に魅力を感じたりすることが無意味だと言いたいわけではありません。幻想を抱けるからこそ人間関係は愉しく味わい深いものになるわけですから)   

このようにしてモテが心の余裕を生み出し、その余裕が異性に対する程よい無関心を生み出し、その無関心がさらにモテを生み出すというような循環を作り出すことが「モテ」の秘訣ではないか思われます。 
無関心というと聞こえが悪いですが、要するに相手に執着しない冷静な態度を身につけるということで、モテに限らず、あらゆる社会的な関係性において大事なことではないでしょうか。

ところでファンは常に入れ替わるものです。 
女性の場合、「脈なし」と思えばさっさと別の男に興味を移してしまうこともしばしばですから、長い間、ずっと自分に関心を持ち続けてくれる人というのは少ないはずです。 
それは当然ですから、特定のファンが離れていくこと自体は気にする必要がないと思います。 
ところが離れていくばかりで新しいファンが付かないという事態に陥ったとしたら、そのときは「調子が悪いな」と思って、何か自分の中に問題があるのかもしれないと考えれば良いのだという気がします。   

蛇足ですが、欲望の作用に関してひとつ警戒しておくべきは、[主体-対象]の立場が逆転する事態です。 
この逆転現象は容易に起こり得る。   

相手から向けられていると思っていた憧れの感情を、いつの間にか、自分が相手に向けるようになっている。 
相手はこれを敏感に察知して、自分が欲望される側にまわったことに気づく。 
すると、これまで憧れの眼差しを送っていたはずの相手に魅力を感じなくなると同時に、熱に浮かされていた自分への嫌悪を相手に投影して、その相手を軽蔑するようになる。   

一方、追う立場になった者は、その瞬間、抗いがたい衝動に駆られる。 
もはや無関心でいることが困難となり、必死にアピールを始めるが、そのような行為は相手の興醒めに拍車をかけることにしかならない。 
相手がこちらへの興味を失えば失うほど、欲望はさらに抗いがたいものとなる。 
ここに悪循環が生まれます。 
従って欲望の逆転現象が起こった際には、その欲望を隠し通すしかないと思います。 
相手に気持ちを伝えたいという衝動に屈してはならないと肝に命じるべきでしょう。    

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さて、以上のようにして異性から興味を引くようになれば、その影響が周囲にも及んで、結果として、得意分野以外の異性からも関心を持ってもらえるようになるかもしれません。   

モテというのは自分が気持ち良くなるために目指すはずですから、それ自体がひとつの目的であるわけですが、もうひとつ重要な側面は、自分の得意分野以外の相手からも注目されるようになるということです。  

モテることによってある種の幻惑的なオーラを身に纏った状態であれば、本来は高嶺の花であった存在を振り向かせる可能性が格段に高くなると考えられます。よく「興味のある相手にだけ好かれればいいのだから、不特定多数にモテる必要はない」という話を聞きますが、相手がこちらに興味を持っていなければどうしようもありません。モテることによって、一目置かれるようになるのだと思います。

そしてこの段階に至って初めて、そのような異性に対して積極的にアプローチするための勝算を得ることになるのではないでしょうか。   

ところで、ここまで述べてきたようなことは、実は、異性のみならず、同性に対しても同様に言えることです。自分に対して好意的に接してくれる人を可能な限り多くつくっておくことが、人生の幸福度に大きく貢献するはずだからです。モテるための作法とは、いわば人たらしの作法であり、両者に本質的な違いはないでしょう。「付き合う気もないのに相手に気を持たせておくのは良くない」という反論がよくありますが、これはずいぶん悪意のある言いがかりであって、自分を尊重してくれる他者を、自分も大切に扱い、そのような良好な関係性をより長く維持させようとすることは、人生を愉しいものにするための当然の行為です。

以上のようなことでモテについてすべてをうまく説明できたとは思いませんが、少なくとも言えることは、モテる人間というのは自身の存在に幻惑的な価値をもたらすような手管に長けた者、もしくはなんらかの理由でたまたま人々の注目を浴びるようになった人であるということです。
人であれ物であれ、そこに宿る価値というのはあくまで幻想の産物なのだという視点は心のどこかに持っておくべきだという気がします。

そしてモテるためには異性に媚びてはならないという原則があり、そのような心理状態に身を置くためには、実際にモテることで自分の心に自信や余裕を培っておく必要があるわけで、つまり「モテるためにはモテなければならない」という困難な結論に達することになる故、私の言説は「モテたい」と願うすべての人の参考になるかどうかは甚だ心許ないという気もします。あしからず。

#モテ #モテる方法 #心理学

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