どうしていのししはあらわれたのか(きょうの本)
十年かそこいらぶりにはじめてみようとおもってすなる読書日記、日記に銘打とうとしているくせにすでに三回めくらいでストップしているのはわりと日常がオーバーフローしているから、というかオーバーフローってどういう意味なのかいまいちわからないままいま語感だけでつかってみたけど合ってますかこの文脈で。
合ってなかったらそっと心のなかで、合ってないよ、と指摘しておいてくださいという、なんなのかしらこの前フリというほんともうあんた時間にも心にもいまいち余裕あれへんがなという感じがおのずと伝わってくる導入ですね。
なんとか宣言もなんとか拡大防止対策もいいのかわるいのかなんとはなし日常のできごとに組みこまれてきて、日々状況がめまぐるしく変わっていくことにも慣れてしまったオーバーフロー、そう、まだ使うのよよくわからないままにこの言葉、オーバーフローな日々のなかでもとりあえず本をすこしばかりは読んでいましたのでちょっとそれをまとめようかなとおもってひさかたぶりにnoteを書きにやってまいりました。おくればせながら前回までの記事にスキとかフォローをしてくださった方々ありがとうございますとお礼がてら。
あと最近FGOをはじめました。
ご存じですかFGO。なんか流行ってるらしいスマホゲーム。英雄とかえらいひとがいっぱい出てくる。
ここ数年、これにはまったらなんかもう帰ってこられへんようになるんやろな、どこからか知らんけど帰ってこられへんようになるんやろな、だってめっちゃおもしろそうやしみんなすごいはまってるし、とおもいながらともだちのみなさまがたがやっているのをぼんやりとながめていたのですが、昨年末なんでだかフェイトの世界観をなにひとつ知らないまま「ロード・エルメロイⅡ世の事件簿」の謎解き脱出ゲームと舞台にゆくことになり、舞台など素人なのに二回も観にゆき(だってⅡ世の役者さんがまつしたゆうやさんだったから)舞台観たあとおともだちのおうちでFate鑑賞会をし(なんかすごい暗い顔をした男のひとたちが広い玄関ホールかなんかで三角形になってずーっとぐるぐるまわっていた)四方八方に「スマホ変えたらFGOやるね」と口約束をしていたので、そして先日長年使いすぎてもはやアップルからのサポートさえ切れてたっぽいiPhone6からようやくとうとうiPhoneSEにしたので、という、わりと本人以外どうでもいい経緯ではじめたFGO。
知ってたけどおもしろいですね。
だから言うたやん、というおともだちからのつっこみが聞こえてきそうですがわたしのまわりのひとたちはなんだかびっくりするくらい優しいのでビギナーはすごく助けていただいております。
あちこちに足を向けて寝られない。
そういえば十年まえに幻想水滸伝ティアクライスを延々とやり続けていたなという記憶がよみがえりました。
ゲーム、そういえばわたしすきだったな。
と、また十年まえにやっていたことをリバイバルしとるなということにこれはいま気がついてええーとなっているのもまあ内幕なのでさておいて。
なんだかだんだんなんの話しているのかわからなくなってきたんですけどとりあえずFGOおもしろいねということで。
どのキャラクターが贔屓かはもうすでにばればれだとおもうのであえて秘しておきます。
それはさておき、初心にかえり、では最近読んだ本の話をします。
やっとだよ。
本題に入るまで長かったね。
よろしければもうすこしお付き合いください。
わたしは歴史のことをろくすっぽ知らないのですけども、こどものころ『学習漫画日本の歴史』がだいすきで何度もくりかえし読んでおりました。
きのう読んだ推理小説の犯人は忘れてしまっても、こどもの時分に読んだ作品のこまかい1コマはずっと覚えているということはわりとよくあるでしょう。あるよね。あるある。知らんけど。
わたしにとってのそれは、『学習漫画日本の歴史』に出てくる和気清麻呂が道鏡に追いたてられる場面です。
とくになにをしたひとなのかははっきり覚えていないのになまえだけがきっちり記憶に刻まれていてときどきおもいだされる存在、和気清麻呂、そして姉の広虫。
たぶんなまえの変更というくだりがインパクトあったんだろうなとかえりみておもうものの、功績としては歴史上の人物のなかでものすごく華があるかというとそうでもなく、お札にはなってるらしいけどもちろん使ったこともなく、だいたいいまいち何時代のひとなのかもよくおぼえていない。
という感じでときどきふいとおもいだされてはまた記憶のなかに消えていく和気清麻呂、それでも長く生きていくうちにはその存在について知ることも増えていくようになり、たとえば足の手術するときおともだちから護王神社のお守りをいただき、退院後自分でもお礼にいったらそちらにお祀りされていたのが清麻呂公だったとか、宇佐神宮にいってみたら清麻呂公がお祀りされていたとか、石清水八幡宮のそばを歩いていたら和気神社というのがあってそちらにはかつて清麻呂公が足が治ったことを喜び建てたお寺(足立廃寺)(すごくふつうのなまえなのに由来に思いを馳せるとインパクトがすごい)があったらしいとか、いろいろと、足の悪い人間にはちょっとご縁のある清麻呂公。
しかしではなぜ清麻呂公が足の神様として祀られるようになったのか。
それぞれの社寺の縁起や由来を読むに、宇佐八幡神託事件のあと大隅国に流罪となった清麻呂公が途中で足を悪くし立てなくなったところ、何百もの猪があらわれて彼を守り目的地まで送り届けた、そして神秘の力によって足も治ったとのことなんですけど縁起も由来もネット情報もどうやらぜんぶ細部がちがう。
なかには両足を道鏡の手先に切られた清麻呂公、九州の霊泉に浸かったところ新しい足が生えてきたとかいうすごいのもある。
いったい和気清麻呂ってどういうひとなんだろう、そうおもってとりあえず彼を題材にした小説を読んでみました。
こちら、和気清麻呂の出身地とされている岡山県の、郷土作家の方が書かれたという作品。
という、と伝聞形なのはあとがきに書かれていたことからおそらくそうなのだろうと推察しただけだからです。まちがっていたらごめんなさい。
青年和気清麻呂が国を出て、奈良の都で出世していくお話。
清麻呂の出身地とされる岡山県の和気、何回か車で通ったことがある。いいとこですね。行きたい。
いまなかなか旅行できませんが、行きたいなあ。
ものすごくいまさらなんですが、清麻呂って奈良の時代のひとだったんだなあとこの本を読んでやっと腑に落ちたというか、清麻呂がどういう仕事をしてきたか、どういうひとびととかかわりがあったかということがよくわかりました。
治水工事と遷都にかける清麻呂の熱量がすごかったです。プロジェクトX。そのとき都が動いた。
なまえだけはなんとなく知っていた事件や将官たちがどう動いてどう歴史がつくられていくのか、神仏習合のくだりなど、すっきりとわかりやすく描かれていたので勉強になりました。
古代の物語ってともすれば神がかったりファンタジーの方向にいったりして、それはそれでとてもすきではありますが、こちらの作品はかなり現実的で、そのあたりの見方もおもしろかったです。
ただひとつだけ、たいへん身勝手かつ少々ネタバレ的なことを申し上げますと宇佐八幡神託事件後の流罪、三行くらいで終わっちゃったね……清麻呂、五体つつがなく都に帰ってきたし猪とのふれあいもなかったね……
渡来人系のお話もあって、そうか八幡って言ったら秦氏ってこともあるか、宇佐八幡と石清水八幡と秦氏の繋がりとかで宇佐と石清水近辺に清麻呂足神伝説が伝わったとかもあるのかな、石清水八幡のちかくには百済王氏の本拠もあるし、とかぼんやりと思いました。
でも石清水近辺の和気神社と足立廃寺、由来を示す看板には「清麻呂が建立した寺と伝えられているが実際出土品などの年代測定をすると清麻呂の時代より百年は古いのでおそらくは地域の豪族が建てたものを清麻呂が再興したか」とあって、そう、おもいだしたわわたし、この地域周辺の歴史の影にはあの男がいるって…
https://www.amazon.co.jp/dp/4121025849/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_H71WEbJSBAWR
謎は深まる一方。
和気清麻呂がFGOに出てきたら猪をつかった攻撃とかしてくれないかな、とおもうきょうこのごろです。
それからあと二冊、むかしに読んだ本の読み返し。
またかよという感じですがこちらも奥付見たら十年まえの刊行だった。
おなじ時代に皆川先生がいらして、新作を読むことができるというのはほんとうにすごいことだなあといつもおもっています。
https://tree-novel.com/sp/
こちらにも皆川先生のおなまえが。
楽しみにしています。
ということできょうの読書日記はおしまい。
お付き合いくださりありがとうございました。
つぎはなにを読もうかな。
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