見出し画像

【短編小説】我が子のキラキラ

ー1ー

 息子と一緒に、ベランダの鉢植えに朝顔を植えた。
「キレイなお花咲くかな…?」
「どうかな…? よっ君がいい子にしてたらいっぱい咲くかもよ?」
「ほんとっ!?」
 目をキラキラと輝かせて言う息子は、私が成長とともに失った『キラキラ』を全て持っているようで、眩しかった。
「ボク、いい子にして朝顔さんのお花をいーっとぱい見る!」
「『いーっぱい』、でしょ? 『いーっとぱい』じゃなくて」
「あぁ、そうだったそうだった」
 いっちょ前の言葉を拙く喋って、家の中に入る息子の姿を寂しく見守る。朝顔にはもう興味を失ってしまったようで、ミニカーで遊び始める息子。
 このままだと、枯らすだろうな。そんなことを思いながら深くため息を吐く。それで泣かれても嫌だな。
 私を息子の後を追うように家の中に入った。
「よっ君! 毎朝お水をあげるの忘れないでね!」
「分かってるー」

ー2ー

「おかーさん、おかーさん!?」
 ドタドタバタバタ。廊下を走るような足音で、起こされた。
 時計を見ると、『6:21』。いつも六時半に起きているので丁度良いといえば丁度よい。
「どーしたの…?」
 枕元に手を伸ばし、メガネを掛ける。
「アサガオ、がっ!」

「あぁ…コレは…」
 朝顔に異変が起きてると息子が騒いでいたので駆けつけてみたら。
 確かにポットの中には綺麗な双葉が。
「こーれ、ナエっでしょ?」
 キラキラと目を輝かせてこちらの顔を覗いてくる、純粋なこの子に事実を教えるのは少し罪悪感を感じる。
 カンペキに雑草だった。
 どう見ても雑草だった。
 大学時代は植物の専科だったので、間違えることはないだろう。
「よっ君、コレは、雑草っていうんだよ…」
「えー、ちあうよぉ(違うよぉ)。いーい? こえ(コレ)は、なーえ!」
「…朝顔の苗じゃなくて、これは雑草なんだよ」
「うっそだー」
 ケラケラと笑うこの子に、何を言っても意味が無いと知る。これで無理やりホントの事を言っても泣かれるだけだろう。
「今日もお水あげるー」
「はいは…あ、今日はダメだよ。夜に雨が降ってるからさ…」
「やぁだ! お水あげる!!」
「でもお水あげたらアサガオ枯れちゃうよ?」
「ダメ゛ェェッ」
 『わーん』もしくは『ギャーッ』、どちらとも取れるような音で泣き始める。
 あぁ、煩いな。面倒臭いな。結局泣かれるのか。
 だったら朝顔なんて植えるべきじゃ無かったな。
 少しそう思ってしまっている自分が居る。

ー3ー

 公園に行こうね…。
 走らないで…。
 ほら、交差点だよ。
 …。
 危ないッ!
 『キキィッ』タイヤの擦れる音がする。
 倒れた息子の頭が、赤い水たまりに浸かる。

 あぁ゛っ!

ー4ー

 眠い。あまりにも眠い。
 でも、今寝たら…。
 今寝たら、明日の息子の、お弁当が…。

ー5ー

 爽やかな鳥のさえずりで、目が覚めた。
 ちゅんちゅん。ぴーひょろっ。
 今日は日曜日。

「よっく~ん、朝ですよー」

 子供部屋に繋がる襖を開けながら、言う。
 息子が、機嫌よく起きてくる事を願って、顔に笑顔を貼り付ける。
 息子が寝ているハズの布団には、『ちょろぴー』こと、うさぎのぬいぐるみだけが存在していた。

 よっ君…息子は、そこには居なかった。

 あぁ、ちょろぴー。
 息子は、どこ?

 視界がぼやけた。

 唐突に、思い出したくないことを、思い出す。
 あの、スリップ音。あの、Kトラックのナンバー。あの、紅(あか)さ。あの…。
 あの、瞬間。

 息子は、この世に、もう居ない。
 そうだ。そうだった。昨日、お通夜だったじゃないか。

 家事をする気が起きない。
 する意味もない。独りなのに。

 せめて、償ってよ…。
 あのKトラックの運転手は、赤信号を無視して、交差点を突っ切った。その先に息子がいるにも関わらず。
 そして、撥ねた。
 宙を舞う、子供。響きだけは美しい。でも、本質はあまりにも残酷な現実で。
 そのままKトラは、走り去った。
 即死だった。撥ね飛ばされた瞬間に、脳に多大なダメージを受けたらしい。
 Kトラはまんまの逃げおおせ、今も運転手が生きていると思うと憎くてしょうがない。言葉は悪いけど、本気でこう思う。「死ねばいいのに」。
 でも、これで死なれても私の中にはモヤモヤが残り続けるだろう。
 煩わしい。

ー6ー

 息子の葬儀が終わって、1ヶ月が経った。
 未だ実感は無い。

 俗に言う汚部屋のソファーで食っちゃ寝て食っちゃ寝て、の生活を送っている。
 ウケる。義妹にはそう言われた。あんなミニマリストで綺麗好きだったお義姉さんが今やコンビニ弁当暮しとはねぇ。と彼女は小馬鹿にしたように嗤った。
 でも、しっかり葬儀には出てくれたし、ご飯作ってくれたりしたし。根はいい子なんだろうな。

 はぁ。
 なんの意味もないけどため息。

 家事でも、しますか。
 そう思った。汚部屋の中にいるのはなかなかに気分が悪い。
 まずは…洗濯から。
 部屋の隅に積み上げられたグチャグチャの衣服類を見て思う。

 服を洗濯機に放り込む。
「って…いやいや私っ!!」
 気づけば地面に座り込んでいたことに気づき、自分に檄を飛ばす。

 『洗濯を開始する』ボタンを押した後、リビングに戻り、いつも通りにソファーに倒れ込む。
 いつもより洗濯物は少ないのに、いつもの2倍時間がかかった。
 ふぁー。
 変な声の欠伸を虚空に放つ。

 そういえば、目薬って飲んだら死ぬんだよな…。
 何故かそんな知識が頭をよぎる。

 そのまま寝た。

ー7ー

 ピピピピピピピーーー。
 電子音が耳に入ることによって、スイッチが押されたかのように目が覚める。
 なんでー? ー洗濯機。
 あぁ、そういえばー。

 脱衣所にある洗濯機のもとへゆっくりと歩いて行く。
 いつの間にか音は止んでいた。

 ふぅ…。
 一息ついてから、洗濯機からカゴに衣服を移し替える。
 それをそのままベランダに運ぶ。軽いな。と、そう思った。
 途中、リビングで小休憩を取ることにした。
 確か、冷凍庫に小さなアイスがあったな。

 小袋を破り、『ひとくちアイス』のいちごミルク味を口に放り込む。
 大して味わうものでもないと判断。ゴクリと飲み込む。後味には人口香料の香り。
 不味…。
 でも、コレ、息子のお気に入りだったな。

 頑張りますか。

 立って、洗濯物を持ち上げる。
 ベランダに繋がる窓を片手で開ける。窓には水滴が着いていた。雨? もしかしてうたた寝してる間に降ったのか?
 ふぅ…。

 そうやって、気を抜いたから。
 転んだ。

「わわぁっ!」

 窓枠に引っ掛け、狭いベランダに飛び入る。
 Fly in。
 なんかそんなふたつの単語が浮かんだ。

 痛。

 痛みに目をしぱめる。そういえば、普通に使っていたけど、『しぱめる』は『よっ君語』だったな。

 目を開けると、目の前には青い植木鉢があった。そのまま上を見上げるとキレイな朝顔が咲いていた。
 青に近い紫…の花の色。若干この土はアルカリ性なんだな。

 なんてどーでもいいことを思い出しながら、まずは立った。

 立った拍子に髪が朝顔の葉にかかる。
 刹那、頭皮に水滴を感じた。
 あぁ、雨降ったらしいからね。

 葉っぱに乗った露(つゆ)と目が合う。

 想い出が蘇る。
 「いい子にして、いーっとぱいお花見るんだー」、息子の声が頭の中で反響する。
 くっ…。涙をこらえる。でも、顔はじわじわとクシャクシャになっていく。

 号泣したのは、これが初めてだった。
 死、を実感したのも、初めてだった。

 葉っぱの上に乗った、一滴の露。
 それは、あまりにも眩しかった。

 それは、私の失った物を持っているようだった。

 それは、キラキラと光っていた。

 サポートは、ぼくの力(おこづかい)になります!  夢に向かって突き進むための原動力です!