ヤベェ人に遭遇した話

どう見ても一人なのに
「だから!なぜ!天皇制に!問題があるのかと!言うと!」
と大声で怒鳴り続けるガタイのいい男性と共に満員電車に押し込められる恐怖と緊張感は、筆舌に尽くし難いものがある。怖がるなと言われても土台無理な話だ。
そうだ、あのときは確か急行に乗っていて、なかなかその場から動くことができず最悪だった…



昨日「閑話休題」と無理矢理切り上げた「電車内で遭遇したヤベェおじさん」の話だが、当時の恐怖を思い出すうちにうっかり筆が乗ってしまったのでこちらの記事に載せる。




ハー疲れた帰ろ帰ろと始発駅から下りの電車に乗る。既にかなり混み合っておりもう座れないことは確定しているが、どうせ私は次の停車駅で降りるので立っている方が都合良い。
急行停車駅まで約10分、そこでどっと人が減るまでの間この芋洗いに耐えるのだ。

隣接する人が独特の臭気を発しているだとか、くくられていないロングヘアがバサバサ顔にかかるとか、そういうちょっとした嫌なことさえなければそれほど苦痛でもない。特に冬はおしくらまんじゅうをしているようで温かい。もう慣れたものである。

ただの満員電車には慣れるが、時々「ヤベェ人」とご一緒することがあり、それは正直言って慣れない。慣れるほどの頻度でご一緒するようならもう路線か住所か勤務先を変えたいし、できることなら通勤自体遠慮したい。





コロナが流行るよりずっと前の話だ。
その日は「ヤベェ人」とご一緒してしまった。
ヤベェ人はドアの前に立っていた。おそらく発車する直前に乗ってきたのだろう。こんなこと防ぎようがない。

電車が動き始めてすぐに大きい話し声が聞こえてきた。まだ小声で喋ることを覚えていない子供が発する遠慮のない大声と同程度の声量だ。子供より通らないしかすれてはいるが、うるさいことに変わりはない。



「だから!なぜ!天皇制に!問題があるのかと!言うと!」

冒頭に記した通り、彼は一人で喋っていた。どうやら天皇に対して思うところがあるようだ。
そんな主張はTwitterかヤフコメでやってほしい。せめて街頭演説ならこちらにも通り過ぎる自由がある。皇居周辺で開催すればきっと警備員がなんとかしてくれるだろう。


身動きの取れない状況でそんなものを聞かされるのはストレスでしかない。
この人はそもそも人に聞かせるつもりで喋ってはいないのかもしれない。何を考えているのかわからないし、話している内容もよくわからない。怖い。うるさい。



乗客は皆「マジかよ…」とうんざりしていたように思う。最初は喧嘩か?どうした?酔っ払いか?と空気がざわついたが、皆大人だ。
すぐ「ああそういう感じの…」と察したのか車内は静かになった。
わざとらしい咳払いやため息は聞こえるが、自身の声にかき消されるため当の天皇制批判おじさんには届かないだろう。

私は天皇制批判おじさんの顔を確認できる距離にいたので、目を合わせて絡まれでもしたら最悪だ…と中吊りを読むふりをしていた。
満員電車の一車両、天皇制批判おじさん以外の心は一つになった。下手に刺激しないでやり過ごす、これだけだ。



痺れを切らした男性が声を荒らげた。


「うるせえ!電車だぞ!
何考えてんだこの〇〇〇〇!」


どうやら心は一つじゃなかったらしい。
初手から放送禁止用語を交えて怒鳴りつけるも、天皇制批判おじさんの独り言は全く止まなかった。


「だーかーら!日本書紀には!ホニャララ(忘れた)と!あるのだ!それなのにだなー!」

「お前いいかげんにしろ!黙れよ!」


二人の間にはある程度距離があり、乗客全員移動が困難なので掴み合いになることはない。

天皇制批判おじさんは放送禁止用語おじさんを気にせず大声で喋り続け、引っ込みがつかなくなった放送禁止用語おじさんは天皇制批判おじさんに向かって怒鳴り続ける。
少しして放送禁止用語おじさんは怒鳴り疲れたのか、舌打ちおじさんにジョブチェンジした。

「チッ…はぁーあ」
「チッ…なんなんだよ…」
「アッタマおかしいんじゃねえの…?チッ」

威勢よく怒鳴りつけた手前、黙り込むのもバツが悪いのか「俺は一応注意したぞ」と周囲に伝えたいのか、大きめの独り言を連発している。
放送禁止用語おじさん改め舌打ちおじさんには申し訳ないが、傍から見たら〇〇〇〇が二人になっただけだった。


もう車両内の雰囲気は最悪である。元気なのは天皇制批判おじさんだけで、他の乗客は疲弊しきっていた。放送禁止用語おじさん改め舌打ちおじさんもいつのまにか静かになっていた。
そりゃそうだ。大半の人は一日の労働を終え最も疲れている時間だ。労働地獄から解放されたと思った途端、残り僅かなHPのまま新たな地獄にぶち込まれるなんて予想外だっただろう。この状況を脱するため何かしようだなんて余力はない。
私だって一仕事終え浮腫んだ足を引きずったままこんな規模の小さい地獄絵図に参加するハメになるなんて思わなかった。


ああ嫌だ…なんだこのプチ地獄は…プチ地獄…ミニ地獄…?あっポケット地獄…?ほらポケット六法みたいな感じでアハハ…こんなに小さくなりましたってデジカメのCMだっけ…?愛情サイズ?パスポートサイズ…?

天照大御神がどうしたこうしたという大声をBGMに、しょうもないことを考えて時間が過ぎ去るのを待った。


『…××  ××にィ 停まります
左側の扉がァ 開きます』

もうすぐだ。もうすぐ解放される。やっとこの地獄に終わりが見えてきた。

天皇制批判おじさんがここで降りるのかまだまだこの車両で演説を続けるのか、知ったこっちゃない。他人の地獄の心配までしてられない。とりあえず私はさっさと離脱させてもらう。
まさかこの後乗り換えた先でまた同じ車両に!?なんてズッコケオチはないだろう。
念には念を入れて一本見送れば、そんな吉本新喜劇みたいなことは起こらないはずだ。

電車が静かに停まったので、よし降りようと体を捩り左側のドアに目をやった。




『停止信号でェ…す』


やる気のない車掌の声が響くと同時に「…ッフーーーーゥ」と鼻から大きく息を吐く音がいくつか聞こえた。おそらく私と同様ぬか喜びをしたアンポンタンが複数いたんだろう。

停止していっそう静かになった電車の中では天皇制批判おじさんの声がよりクリアに聞こえる。クリアになったところで余計耳障りなだけだ。電車はまだ停車駅に着かない。

嫌な時間は長く感じられるものだ。ほんの10分程度なのに、数時間この車両にいるように思える。
時間の相対性とはこのことか?それかこの車両は地獄じゃなくて精神と時の部屋だったんだ。この短時間で相対性理論について理解が深まるなんて、きっとそうに違いない…あー私ったら賢い…なーんちゃって…へへ…


ぬか喜びしたせいで余計に時間が経つのを遅く感じる。お得意のしつこい妄想で必死に脳を騙し、ストレスの軽減を図るしかなかった。

地獄絵図から抜け出した後のことは全く覚えていないし、おじさんたちがどうなったのかは別に知ろうとも思わない。


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