恐ろしきシンデレラ

 シンデレラが怖い。

 あんな人畜無害なお姫様のどこが恐ろしいのだと思われそうだが、小さい頃から、何とはなしに好きになれなかったのである。そりが合わない、というやつだ。

 理由がはっきりしたのは、2015年公開の実写版『シンデレラ』で、意地悪な継母に向かって、王子と結ばれたシンデレラが言い放つ「あなたを許します」だった。

 許しとは、上から下に与えられるものである。社会的立場などの上下関係ではなく、ある一点において、許される側が許す側に何か貸しがある状態でなければ、許しなど発生しないのだ。
 『シンデレラ』の場合、継母とその娘たちはシンデレラに酷い仕打ちをしていたのだから、シンデレラが許しを施す側であるのは、構造的に見て理にかなっている。

 けれど、「あなたを許します」と言ったシンデレラの表情に、ゾッとした。
 見る人によれば、ただの清々しい笑顔だったのかもしれない。だが、わたしの目からは、長年自分を虐めてきた人間を遂に見返してやった、という勝ち誇った顔にしか見えなかった。

 わたしが彼女の立場にあったら何と言うだろう。
 「もう二度と会うことはないな、せいぜい長生きしやがれクソビッチ」くらいは言うかもしれない。

 でもシンデレラは、どんなに辛い環境でも親切で心優しく努力家のディズニープリンセス、「お継母様も幸せになってくださいね」くらい言いそうなものである。

 それが、あの一瞬で出てきた言葉が「許す」だ。

 王子に出会う前の日頃から、押し付けられた家事を表面上は従順にこなしつつも、内心では継母とその娘たちを常に見下していたからこそのセリフだとしか考えられない。

 彼女は心の中で、遂にこれを言う日が来たか、とガラスの靴を履いて小躍りしていたのではなかろうか。あのプライドの高い継母がシンデレラからの許しを欲しているとは到底思えないし、また、それに気づかないほどシンデレラも馬鹿ではないはずである。
 であれば、やはり「許す」という言葉は、継母の矜持を砕く最大の意趣返しだったのだ。

 いや、捻くれているのはわたしの心である。
 友人とこの話をした時、許しは上から与えられるものだと言ったら、一般的に許すのは被害者の方なのだから、そんな訳がないと全く理解されず、少々険悪な雰囲気になった。
 彼女の言うことはもっともである。シンデレラには、継母に暴言を吐く権利も、ましてや寛大に今までの全てを帳消しにしてやる権利も、十分すぎるほどあったのだ。

 それでも、わたしは継母に「許す」と言ったシンデレラが恐ろしい。

 生まれながらにして美しく、けれどその美しさを鼻にもかけず、理不尽な目に遭っても健気に耐え、いつか報われる日が来るはずだと、誰も恨まず、誰も責めず、毎日努力を続けるその眩しさが怖い。

 それが特別なものだと気づきもせず、そうなれなかった、影にいる人間に「許す」と言ってしまえる、傲慢さと表裏一体の純粋さが恐ろしい。

 ガラスの靴には彼女の足しか嵌らない。
 もう履ける靴が残っていないわたし達は、灰だけが残る屋根裏部屋で、どこにも行けないままだ。

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