うりころん

45歳で「双極性障害」と診断され 巻き戻す事の出来ない30年分の負の連鎖を、「失われた…

うりころん

45歳で「双極性障害」と診断され 巻き戻す事の出来ない30年分の負の連鎖を、「失われた30年」と同じ時間軸で 書いていきたいと思います。 昭和の精神論で心を壊されたリアル

最近の記事

気付いた時には遅かった

システム開発の仕事を紹介して貰いながら、実績を積み上げている中 スタッフとして参加してくれるメンバーと共にスキルアップを目指して設備の拡充や、取引先から預かった機器で様々なテストをしながら、情報収集に明け暮れていた。 最初はボランティアのような感じで遊んでいたメンバーにも実力が付き始め、徐々に専属スタッフとなっていった。 当然の事だけど、給与も支給しなければいけない。 固定経費が発生し始めたところで、自分の経営に関する知識や感覚がなく、とりあえず、手元に入ってくる契約金

    • 唐津湾に浮かぶ神集島の風景

      • 「鬱」の入り口には自己嫌悪になる出来事が勝手に増えるんです

        【ご注意】 記憶の中にある出来事を振り返りながら記載していますが 本来あるべき詳細な情報が抜け落ちています。 生々しい部分はあえて記載しておりません。予めご了承下さい ・25~26歳まで(鬱の入り口→→鬱状態→→回復期) 営業職の難しさと厳しさを経験しながらも、耐えていた時期にとどめを刺す精神論発言に嫌気がさして、半年と持たず、離職してしまいました。 とり急ぎ、雇用保険の手続きに向かいましたが、約2カ月間は無収入になってしまうという事で、手続きの途中であきらめてしまいま

        • 「生命保険」の営業は個人事業主だって知らなかったよ

          アルバイトですらまともに継続出来なくなって「鬱状態」が半年ほど続いていたところ、おせっかいな「保険のおばちゃん」が「営業職」を勧めてきた。 就職活動自体も、まともに出来ないところに、そういう「手軽な再就職」が出来るならいいかなぁ・・・ と、何も考える事も無く、おばちゃんに言われるがまま そこそこ遠い場所へ1週間の研修に行きを「保険営業職」の美談や実態を聞かされ、生命保険の基礎試験を受け、即日結果が合格となり、気が付けば行われる入社式に居た。 【生命保険「営業職」の基礎知識

        気付いた時には遅かった

          22歳で社会との繋がりはアルバイト

          社会人1年目で挫折を味わい、2年目は、コンビニのアルバイト生活に突入 周辺の社会は、まだバブルの余韻が残る雰囲気があり、ハローワークで就活とか考えもしなかった。 (当然ながら、雇用保険の申請もしていない。) アルバイトは毎日ではない為、収入も不安定なまま数カ月 仕事中に友人が来てくれても、あまり嬉しくないと思う自分に自己嫌悪 顔で笑っているだけの自分が嫌になり、そういうストレスが徐々に溜まっていき、アルバイトを辞めるきっかけがある失敗だった。 お客様に頭を下げて謝るだけ

          22歳で社会との繋がりはアルバイト

          精神論≒武勇伝「躁状態は気付けない」

          1991年 晴れて社会人となった。 すでに始まっていた「パワーハラスメント」研修会 今、振り返ると「やるぞ!! がんばるぞ!!」といった叫びに近い掛け声を、のどが枯れるほど、数十回、研修所で叫ばされた。 テンションが上がったまま、その後のオリエンテーションという名のサバイバルゲーム(夜間スタンプラリー)にチームで屋外へ出かけていた。 今、思えば双極性障害の「躁状態」であったと思う。 無駄にテンション高く、何をするでもリスクをリスクと思わなかった。 昭和の精神論が新

          精神論≒武勇伝「躁状態は気付けない」

          あなたは「双極性障害です」と言われて

          数年前、職場に行けない。 そんな気分の落ち込みから最初は「うつ病」と診断された。 服薬治療を続けながら、半年間、診療内科に通い、日常の会話を続けていたら、ある日、医師から、あなたは「双極性障害です」と言われた。 「双極性障害」かぁ 私は、なんとなく、そんな気がしていた。 それが、客観的に見て、現実になった。 それだけ・・・ 医師の判断としては、過去の経験や行動履歴を分析してしていただいた結果の結論だそうです。 診断結果が分かったところで、時間を元に戻す事は出来ないわけで

          あなたは「双極性障害です」と言われて