「生命保険」の営業は個人事業主だって知らなかったよ

アルバイトですらまともに継続出来なくなって「鬱状態」が半年ほど続いていたところ、おせっかいな「保険のおばちゃん」が「営業職」を勧めてきた。

就職活動自体も、まともに出来ないところに、そういう「手軽な再就職」が出来るならいいかなぁ・・・
と、何も考える事も無く、おばちゃんに言われるがまま
そこそこ遠い場所へ1週間の研修に行きを「保険営業職」の美談や実態を聞かされ、生命保険の基礎試験を受け、即日結果が合格となり、気が付けば行われる入社式に居た。

【生命保険「営業職」の基礎知識(1993年時点)】
保険会社との契約は、業務委託契約(個人事業)であり
一応、最低限の収入保証はありますが、最低限、毎月保険契約金額3000万円程度の契約が無ければ、最低保証給がいづれ消滅するという内容でした。

う~~ん??
この仕事って、社員じゃなく?
業務委託契約の「個人事業主」だったのか!?
そんな事も知らずに保険営業を始めてしまうのでした。

営業職を1年ほど続けていくうちに
 「保険の営業は実は難易度が一番高いのでは?」と思うようになった。

ここで私の精神状態は、鬱状態→→→躁へ転換していくのです。

所属1年以内で一定の成績を残すと、「新人賞」を貰えるという事があり、先輩たちのフォローなどもあって、本当に「新人賞」を頂いた。
「これって営業イケル!」という、勘違いが頭の中で巡っている事がまさに、「躁」の状態になっていた時期(当時24歳)でした。

※私が「双極性障害」と診断されるまで、あと23年


改めて考えると、「未来不安に値段が付いている」商品を売るというは、難易度が異常に高い気がして、徐々に私の頭は、混乱し始めていくのでした。

そうか、そうかぁ・・・
月を追うごとに少しづつ給料明細の額が減っていく・・・

躁状態は長続きしない為、当然ながら、やる気が徐々になくなっていく事で、結果的に営業の基本でもある定期訪問をしなくなり、当時は集金があったので、その時期だけの活動になり、結果的に3年目には生活費が底をつく事になった。

その中で、成績が振るわない事を責め立てる「所長」に
決定的な言葉を浴びせられる。

「やる気あるのか!」「一件でも多く回ってこい!!」など・・・

そして、突然頭の中を駆け巡る言葉「キツイ、無理」
その日のうちに、「退職願い」を書いた。

翌日、「やる気は無くなったので、辞めます」と告げた


※私が「双極性障害」と診断されるまで、あと22年


補足:

【1993年~1996年の業務について】
携帯電話の普及が始まった時期で、当時メールなどはありません。
携帯電話は個人持ちの為、業務利用であっても補助などありません。
当然ですが、個人事業だから、「手土産」や「グッズ」などは、全額持ち出しでした。

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