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努力ではどうにもならないことにも希望を持ちたい

世の中努力だけで全ての希望が叶うわけじゃないなと思う。
やっぱり、どうすることもできないことってあるよね。
もちろん大半のことは努力無しに成し遂げられないけれど、というか行動無しには成し遂げられないけれど、どうにもならないことは多い。

前回の記事でも書いたし、たびたび言ってはいるが、LGBTQであり、精神障害を持っている複合的マイノリティがあたしだが、だいたい30数年生きてくると、そこで何度も躓くんですよ。
差別や偏見はあるわ、「普通」に擬態するのは大変だわなにやらなにやら。
自分がLGBTQであることは覆せないし、精神障害も寛解と言って、完治はしないので、お手々繋いで墓場まで仲良くしなきゃいけない。
その2点に関して言えば、あたしの人生の呪いのようなものだが、こう何年も一緒に生きていると、同じ仲間に出会ったり、声を上げることで多少なりとも環境が良くなったりと言う経験も同じようにすることもある。
それでも、そんな努力ではどうすることもできない自身の苦しみを多少なりとも緩和し、自分の機嫌をポジティブに保つ術を、もう少し持っておきたいなと感じた。
なんとなく手詰まり感もあったので。

さて、この状況を脱出するためにあたしはどうしたかと言えば、宝くじを買った。
唐突だけど、宝くじを買った。
しかも3枚だけ。

整理をしようか。

宝くじとは、買ったら自分がいくら努力しようとも当たるときは当たるし、当たらないときは当たらない。
ナンバーズみたいな、自分で数字を選ぶものや、競馬などの賭け事は、勉強次第で稼ぐことも可能だが、純粋にくじだけだと、完璧に努力の及ぶところではない。
ゲン担ぎをしようが、善い行いをしようが、大量に買わない限りは当たることはない。
でも、当たるときもある。
その程度のものだ。
でも、買えば全く買わないときとは違い、希望をもてる。
1枚300円で、1か月近くは夢を見られるのだ。
努力ではどうすることもできないことに、希望を持ち続けるためのひとつのツールとしていいのではないかと、白羽の矢を立ててしまったのである。

つまり、あたしはこの、宝くじというものに自分を重ねた。
宝くじというツールを使い、自分の人生に絶望して、覆せない自分のマイノリティさを憂いたとき、努力ではどうしようもないことに希望を持つにはどういう心持ちでいればいいのか、訓練しようとした。

よくよく考えれば、落選しても宝くじの売上金は公共事業に還元されるし、当たるつもりで買えば(当たること前提で話を進める)当落が出るまで希望がもてる、当たればハッピーという、3大ハッピーなんだから、300円で済むなら安いものである。
もちろん、現状的に金銭面がカツカツなら、真面目に働くか、働けるようになるためにしっかり療養することをオススメするし、当てに行くのではなく、当たること前提で買うので、何十枚、何百枚と買う必要もない。
ただ、当たること前提ではあるが、あくまでも思考や考えをポジティブに保つためのツールでしかないので、当たるからいくら使っちゃおう!はご法度である。それは破滅に向かうからダメだよ。

そんなこんなで、3枚購入したあたしだが、900円を支払って良かったとかなり思った。
3大ハッピーもあるが、案外話のネタにもなる。
宝くじ買ったんだよね、一攫千金狙っちゃった〜!みたいな。
たった3枚だけで当たるかよ!っていうツッコミや冷笑にも、や、当たる気しかしないわ!と明るく言えるんだから、ある意味おもしれーヤツ枠にも入れる。
バカを演じるよりも、マジで信じて買ってるから、何も嘘はないのに、その場でおもしれーヤツ認定されたらちょっと嬉しい。
そんな小ネタなんかもはさめる。

買ったらあとは結果を楽しみに生きるだけだ。
同じ「努力の及ばないこと」なのに、ツールや状況が違うだけで、こんなにも心持ちが違うのかとビックリしている。

あたしが、当たること前提で買ったというのは、たとえば「どうせ当たらないけど買っとくか」が、今までの人生で、「どうせ努力しても変わらないけど一応あがいてみるか」みたいなもんだと思っている。
当たることが初めから想定されている人生は、「努力してもどうにもならないけど、希望だけは持っておくか」な感じとなる。
その思考パターンをネガティブなあたしに刻むためのスイッチ、それが宝くじを買うことに至った経緯だったりする。

落選したらどうなるか。
つまり900円がおじゃんとなるが、先述したとおり、この微々たるお金でも社会のためになるのだ。
そんなん、「あたし社会貢献したな〜いいことしたな〜」と自己肯定感が上がるだけである。
人生で言えば「とりあえずやってみたことが、たまたま社会のためになった」という所だろうか。

では逆に、目論見通り当たった。
そんなの、ラッキー!の1言で終わりだ。
なんとなく、人生の希望も爆上がりする。
たとえ1枚300円ぶんの賞金でも、10枚買わずに当たるのだからラッキーというヤツである。
その300円が今日のあたしの血肉となるのだから。
「どうすることもできないことでも、希望を持っていて良かった」と思えることを、人生でコツコツ学べるいい機会だ。

ただ、人生そうそうラッキーなんて起こらない。
でも、起こらないからこそ、自分でコントロールできないことが世の中にはあるので、そのなかで希望を持ち、前に進み続けられる訓練として、宝くじというものは悪くないと考えている。
だって当たるって希望持っても、ハズレることのが多いじゃん。人生ってそんなもんじゃん。
だから、努力でどうにかなることは一生懸命努力し続けて、どうにもならないことは、宝くじするみたいに希望を妄想して、天命に任せて気楽に生きよう、とか思うよね。
絶望の中で、生きるために…や、しにたくなる時も多いけれど、それでも前に進もうという希望を持つなら人生の宝くじを買うのは悪くないと、あたしは感じました。

どうすることもできなくても、幸せに生きたい。
だからあたしは宝くじ戦法で生きていきます。

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