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リィン・シュバルツァーの心理分析前編~リィンの存在証明 軌跡シリーズ~

「自分の道を見つける──まずはそれからだ」

 日本ファルコムさんが創る英雄点説 軌跡シリーズにおいて、閃の軌跡4作の主人公と、そして創の軌跡の主人公の一人を努めた青年、リィン・シュバルツァー。

 仲間たちからは中心人物ならぬ《重心》と頼られたり、朴念人と呆れられたり、プレイヤーからは二代目攻略王だとか混浴王だと言われたり。色々と愛されてきた彼ですが、物語の中では《帝国編の主人公》として、常に暗い闇と宿命に抗ってきました。
 仲間のこと、祖国のこと、何より自分自身のこと。それらと向き合うリィンの心は常に激動にさらされていましたが、彼の心は、その超常の異能や生死を取り除いた《揺れ動きと葛藤》のみに注目すれば、意外と現実のどこにもあり得るのことなのではと思うのです。

 ここでは、リィンの《自我》や《無意識》といった部分に注目し、現実とリンクした考察をすることで、彼の成長が英雄として以上に《人》として意義あるものだったかを、考えていきたいと思います。
 心理学という分野については学が浅く素人の筆者ですが、それでもいちシリーズファンとしての熱意を加えつつ、考察していこうと思います。

※本稿は軌跡シリーズの《創の軌跡》までのネタバレを含みます。

全編目次

前編
0.前提条件、ゼムリア大陸と帝国の文化
1.自我確立を阻む『浮浪児』
2.《心》にとり憑くリィンの影
3.己を片付くる《剣》と《仲間》
4.表裏一体、合一する意識と無意識
5.偽りの英雄、偽りの自分

後編
6.牙を剥く無意識と鬼気
7.閃の軌跡Ⅲの旅路に見る、帝国対世界の二律背反
8.縁起~お前の《名》を取り戻す~
9.鬼気解放と仲間たちの関係性
10.幸せになるためには
11.二律背反を受け入れる~リィンの自己実現~

0.前提条件、ゼムリア大陸と帝国の文化

 リィンの心理分析をするといっても、まずはリィンの半生を知る必要がある。さらにいえば、リィンが彼の性格として育つようになった環境というものを、考えなくてはなりません。

 ゼムリア大陸は東方系、(便宜上の)西方系の人物が混在する多民族大陸と思われます。漢字に英字の差や、方言・なまりの差はあれど、恐らく言語体系は同一で、国毎地方毎の通訳のような存在は見受けられません。
 また描写の短縮などはあるでしょうが、百日戦役後のリベールの対帝国感情、移民過多による共和国民の反移民感情、搾取によるクロスベルの対二大国感情など時勢によるものが多く、後で語る帝国内の感情を除けば、現実での黒人と白人の対立や対黄色人種感情のような、《人種による差別感情》は希薄に感じます
 (人種差別も根幹に植民地政策などが関わりますが)そもそもファンタジーで黒髪ピンク水色緑と、沢山の容姿の違いがある世界。あまり人種に対する感情は少ないのでしょう。

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 これは、ゼムリア大陸のほぼ全域が《空の女神》を信仰する一つの宗教が幅を聞かせていることにもよると思います。大崩壊の真相は未だ明かされていませんが、その前後で人々が頼りきっていた《七の至宝》が失われたのなら、当然激動にさらされる人心は乱れていく。そこで拠り所としての空の女神という《宗教》は、ゼムリア大陸の民の価値観をある程度一定のものとして固定させました。

 視野を狭めて帝国に向けると、エレボニアは《地精》と《魔女》の対立の後、皇帝アルノール調停者を象徴とする帝国となりました。古代から中世にかけては豪族――現代の貴族の前身が台頭し、帝国はドイツや日本のような封建君主制の形をとっていきます。
 現実では、多民族の上に広大な領土を持つ国は、『各民族の反乱を防ぐために専制君主制を敷くようになった』という説があります。
 (この説を前提として考察したとき、)この相反する現象を説明するのも、やはり《空の女神》を仰ぐ一神教ゆえなのでしょう。あるいは日本の歴史上どれだけ戦国武将がのしあがろうと朝廷=天皇家を滅ぼさなかったというような、古代のアルノール家の凄まじい求心力も考えられます。まあ……一部「私が正当な皇帝だ!」とか言ってた貴族もいましたが。

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 ドライケルス帝により平民台頭の種が巻かれ、複雑な大陸史によって平民の地位が上がるようになっても、財力と何より平民の『貴族は偉い』という心理によって、帝国では依然として貴族制度が残っていました。
 この帝国内に蔓延る《貴族対平民》の感情は、1200年前に下地が生まれ、250年前に芽生え、現在に最も盛っている根深い《二律背反》ではないでしょうか。

1.自我確立を阻む『浮浪児』

 リィンはギリアス・オズボーンとその妻カーシャの間に産まれましたが、5歳の頃のある出来事によって、記憶が失われてシュバルツァー男爵家の養子となっています。
 理路整然と思い出される記憶がなくとも、リィンの全存在ともいうべき『自己』は、もしかしたら当時の出来事を覚えているかもしれない。その意味で、基本シュバルツァー家時代を軸にしつつ、幼少期全体を考えていきます。

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 百日戦役前のオズボーンは、きっと理想な父親であったと思います。逞しく、優しい。そしてカーシャは(これも想像ですが)、優しく芯もあった。
 彼らは共に《平民》でしょう。リィンにとって父母は偉大なれど根底として貴族の下にいる人間でした。
 一方、シュバルツァー家はユミルを治める貴族です。テオの人柄から住人はフランクな接し方が多いとしても、『根底』にはテオに対する、そしてリィンに対する敬意がある。
 物心がついてからは『自分は貴族だが名の知れぬ浮浪児だ』という理性的な表現方法を獲得したと思いますが、きっとそれより前の子供の頃から、リィンは『貴族、対、平民』という一つの矛盾を抱えていたのだと思います。時間が飛んだ十月戦役後、理解ある貴族たちは『やがて貴族制度(自分を形作る小さくない要素)はなくなる』と思うときもありましたが、弱冠5歳の子供でさえ、いや子供だからこそ、物事の本質に敏感に立ち向かわなければならないのかもしれません。

 この葛藤は、質は違えど創の軌跡の《C》が担うことになった課題『己は何者か』という葛藤に似たものを感じます。リィンもまた、《C》のように本質的な自分を探さねばならなかった。これはリィンの「自分の道を見つける──まずはそれからだ」に根付いていきます。

2.《心》にとり憑くリィンの影

 心つまり内的現実に大きな葛藤を抱えつつも、シュバルツァー家とユミルの民は暖かく、外的現実つまり現実での日々は穏やかに過ぎていきます。8歳、9才の頃は、義妹のエリゼもなついて後ろをついてくるようになりました。
 ただ、そこは帝国の闇に選ばれてしまった《真なる贄》リィン・シュバルツァー。彼の平穏は脆くも崩れ去ります。
 町の外で出くわした獣に抗えなかったシュバルツァー兄妹。この時、リィンは後に《鬼の力》と呼ばれる異能を初めて解放、暴走させました。
 設定としては鬼の力は帝国の呪いと関係している。マクバーン曰く混じっているのはリィンの心の臓。
 ただ、創の軌跡で明かになりましたが、帝国の呪いが消えても、培ってきた《神気合一》の力は残ってています。
 言ってみれば、呪いによってブーストがかかっていただけで、力そのものはリィンあるいはドライケルス帝の生まれ変わりだというオズボーンの心臓に元からあった素質なのかもしれません。

 ところで、人間の性格というものは優しいとか厳しいとか一定の分類付けがされますが、ふとしたときに変化することもあります。下の文章は自分の別記事より引っ張ってきたものです。

 ここからは心理学の話になるのですが、エリーの自我、つまりエリーの通常の意識下で現れる価値観と、エリーが精神的に高ぶり脅かされている時の無意識下での価値観は、違いがあると考えています。
 これは現実の人間でも現れうることです。几帳面な価値観で冷静な自我の人、おおらかな価値観で感情豊かな自我の人。これはどちらも良い悪いということはなく、正反対なだけです。ただ、冷静な人が怒ると急に激昂したり、おおらかな人が怒られて無表情になったり、普段と真逆の性質を現すことは珍しくないと思います。
「A型だからこう、B型だからこう」というような分類づけではなく、どんな人も強弱はあれど全ての傾向を持ち、その時々によって強弱が変化する。そのなかで個人個人が生きていく上で取捨選択した価値観や性格が、自我には現れているのです。自我の秩序を保つ規範として。
 ただ、生活環境や対人関係が変わることで、今までの自我の価値観だけでは太刀打ちできなくなることがあります。進学、転職、新たな仲間、そして近親者の死など。
 真面目で働くばかりの人が、体のためにいい意味でサボることを覚える。女性ばかりの職場に就職した男性が、その価値観を学んで順応する。
 無意識には、そうした今までの自我では許容出来なかった価値観が眠っていて、ふとした瞬間に前面に出たり、あるいは過激に出現して襲いかかることがある。自我と無意識の両者の折り合いがつかなくなると、精神の病となる。その状況に陥る人は少なくありません。精神病でなくとも、体に失調を来す人だっています。
(『エリーが罪を許した3人目の人物~THE LAST OF US PARTⅡ~』より引用)

 リィンの周囲から信頼され、優しく思いやりがある自我……その価値観が受け入れることのできなかった価値観とは、なにか。
 愛を受け取りながら自分を捨てた(としか当時の環境では考えられない)実の両親への怒りや寂しさ、優しさの対極に位置する破壊的衝動なのではないでしょうか。

 また、リィンの心理的葛藤に対して、シュバルツァー家という外的現実は余りにも《平和すぎた》ようにも思えます。だからこそ葛藤とストレスは小出しになることもなく、あるとき溜まりにたまって暴走し、鬼の力とリンクする形で、解放されたのではないか、と思うのです。
 優しい自我に対する、無意識に巣くう影のおぞましさ……これも、リィンという人間にとって矛盾する存在です。

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3.己を片付くる《剣》と《仲間》

 自分の異形の力を恐れたリィンは、対処方法として力を《制御する》方法を模索します。この時点ではリィンにとって力は《自分のものとは認めたくない》存在で、受け入れられないものでした。

 私たちプレイヤーの現実において、西洋の精神が『自他を区別する』ものだとすれば、東洋は『全てが影響し合う』もの(おっそろしく端的に、語弊を覚悟して言ってます)。その意味で、『一は全、全は一』『我は彼、彼は我』の精神に近い東方の八葉一刀流を修めることは、リィンにとって一つの筋道ではあったと思います。まだ自分という存在を確定できていないリィンは自己否定も多く、表面上修行を打ち切られたりもしましたが、老師はリィンに期待もしていたし、実際リィンは閃の軌跡Ⅳ終盤に八葉の剣聖となりました。

 まだ悲観的な17歳のリィンは、トールズ士官学院の門を叩きます。まだ自分の道はおろか、自分の存在すら見つけられてはいません。
 ただ、リィンは学院生活を通して、自分と同じ『貴族対平民』の二律背反に揺さぶられる帝国と、そしてそれぞれの矛盾に抱える仲間たちと出会います。

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 家族の在り方に悩むアリサ、ユーシス。
 正道邪道に翻弄されるラウラ、フィー。
 帝国男児の姿に立ち尽くすエリオット。
 貴族への怒りと理解を抱えるマキアス。
 秘密と仲間の間で迷うエマ、ミリアム。
 外敵を知るためにやって来たガイウス。
 そして何より、おちゃらけた表面の影に、大きなオズボーンへの怒りを湛えるクロウ。

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 これら全てを何かしらの形で抱え込む、まさに重心とも言えるリィン。仲間の葛藤に向き合うなかで、少なからず自分の矛盾に立ち向かう強さを得たと思います。
 そして八葉の教えを再認識していき、いつしか仲間たちは『自分という存在を規定する存在』になった。『トールズ士官学院Ⅶ組、リィン・シュバルツァー』という存在を確立した瞬間です。これは、クロウの一時の裏切りやミリアムの散華を除き、まったくその存在性が揺らいでいない。だから、説得力のある存在証明だと思います。

4.表裏一体、合一する意識と無意識

 己の存在を見つけ出すことのできたリィンですが、まだ内に潜む強大な自我は制御しきれていません。
 内戦開始から世界大戦に至るまで、リィンは力の制御の成功と失敗を重ねていきます。
 内戦においてキーパーソンとなるクロウは、オズボーンという存在への怒りを抱えている。対してリィンは無意識の中の偉大な《父なるもの》に対しての怒りを抱えている。※オズボーンは革新派として貴族の存在価値を殺し、帝国の中の相反するものを一つに統合しようとている……この《断ち切る》という意味において、帝国の中の《父なるもの》に近いイメージです。

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 この意味で似た者同士だったから、リィンとクロウは親友となれたのでしょうか。
 やりかたの是非はともかく、クロウは偉大な《父なるもの》を殺すことで己の心の葛藤を解消しようとします。これは八葉に連なるリィンとは対極的な解決方法でした。
 Ⅶ組という自分と一蓮托生の精神的輪の中で、受け入れられない《影》の解決方法を背負うことになったクロウを、いかにして受け入れるのか……それが、閃の軌跡ⅡにおけるリィンたちⅦ組の課題であったと考えます。
 外的現実とリンクする内的現実において、リィンはアルフィンの説得もあり、1度目の受容を成し遂げました。神気合一の瞬間です。
 だから、元から仲間として受け入れられるにしても、閃Ⅰのエンディング以上にクロウを迎える素養ができてきたと思います。

5.偽りの英雄、偽りの自分

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 ただ、不幸なことに、Ⅶ組が己の一部として受け入れたクロウは、心臓を貫かれ死ぬこととなりました。それどころか、クロウは逆に《父なるもの》オズボーンにその存在意義を食い殺されてしまった(リィン「あいつのしたことが、全部無駄だったっていうのかよ!?」)。クロウ・リィン・Ⅶ組が乗り越えた心理的葛藤は、さらに大きな葛藤によって再び窮地に立たされることになったのです。
 この閃の軌跡Ⅱの終盤辺りから、Ⅶ組に纏わる心の揺れ動きは、『帝国内の二律背反』から『西ゼムリア大陸全体の二律背反』である《帝国、対、世界》《帝国本土、対、属州》へと広がっていったように思えます。当然二律背反の強度は強まり、深まっていく。変化する世界情勢と課題を前に、リィンたちも生き続けるために更なる進化を求められることとなったのです。

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 このように、内的現実と外的現実の課題が絶妙にリンクして襲いかかるということは、現実であれ創作であれ割とよくあることだと思います。だからこそ現実の私たちも、外的現実に対する内的な葛藤を物語るべく、創作を生み出し、同じ葛藤に出会って創造の出来事にこれ以上ないほどに感動する……。

 いずれにせよ、リィンはクロウを内的現実で受け入れても、外的現実では受け入れることができず、彼の死を見届けてしまった。
 冠される灰色の騎士とい受け入れられない、偽りの自分。けれど、旅を経て確かに得ることができた自分の存在証明。
 新たな力を糧にして、リィンは再び帝国と、世界と、自分の闇に立ち向かっていきます。

 リィンの出生~閃の軌跡Ⅱまでの心理考察をしてきました。
 後編では、閃の軌跡Ⅲ~創の軌跡までの彼の軌跡を、考察していきたいと思います。



記事を最後までお読みいただきありがとうございます。 創作分析や経験談を問わず、何か誰かの糧とできるような「生きた物語」を話せればと思います。これからも、読んでいただけると嬉しいです。