ランチェスター戦略で織田さんの桶狭間の戦いを語る!今川さんは凄かった!?

織田信長

小学校6年生以上の誰しもが知る織田信長。最近、NHKの大河ドラマ好きのわたしは、最近、織田信長のイメージはこちらです(笑)

織田信長 大河

それは、さておき、前回はAKB48からランチェスター戦略を軽く解説しました。でも、最後の方は、聞きなれない言葉を羅列し過ぎて、アイドル好きではない方々には最後まで読むに堪えなかったのではないでしょうか(苦笑)

そこで、今回は、歴史好きの方々に、ランチェスター戦略に興味を持って頂きたいと思い、織田信長の桶狭間の戦いから、ランチェスター戦略の差別化戦略を見ましょう。→偉そうな記述ですwww

改めて、桶狭間の戦いをざっくり伝えると、

桶狭間の戦い

こんな感じで、こんな感じで倒しました。

桶狭間の戦い2

ひどいくらい、ザックリし過ぎですよね。。。歴史は当然、見方に大きく変わります。史実が真実とは限りません。あくまで、推測であり、残っている文献から紐解くしかありません。大抵の場合は、勝った方の良いように史実は作り変えられます。個人的に桶狭間の戦いを上手く表している!と思うのはこちら

桶狭間の戦いを整理すると
織田信長軍3,000~5,000/尾張1国すら制圧出来ておらず
今川義元軍25,000-45,000/3国以上治める

つまり、無謀な勝てる訳がない無謀な戦いでした。意外に、ドラマなどの影響で、今川義元はバカな戦国武将のように映っていますが、そうではありませんでした!きっと!名家なのでしっかりとした教育を受けて育ちました。

今川義元は、実は優れた領国経営能力と家臣・太原雪斎(たいげんせっさい)の後ろ盾によって、米の生産量が多いとは言えなかった駿河・遠江・三河を豊かな国にすると共に、軍事力・外交力を用いて領地拡大に成功した手腕の持ち主。「今川義元」はその実力から、「海道一の弓取り」と呼ばれていましたと言われています。

あーーーっ、ダメだ。歴史が好きなので、変に語り出してしまう…ランチェスター戦略に行き着かないので、調べてください。投げやりですwww

まずは、いきなり、ランチェスター戦略の復習。ランチェスター戦略で覚えて欲しいのは、10個だけ!2つの戦略×5つの戦術です。

結論はとても、シンプル。1番手は真似する・真似される戦略のミート戦略というものを使い、2番手以降は、死んでも真似しない差別化戦略を使うことです。立ち位置が違うのに、間違った戦略を使ってしまうと、負けてしまいます。現代社会に置き換えると、倒産しちゃう可能性もある!っていう話です。

売り場ランチェスター戦略を活かす

そして、1国も制圧できていない織田信長は、当然、今川義元と比較すると、2番手の弱者。だらか、左の円グラフの差別化戦略を選択することが重要です。

差別化戦略
①局地戦・・・限定した場所での戦う
②陽動戦・・・1番手を含めて他がやらないことをやる戦い
③一点集中主義・・・ひとつに絞り切って戦う
④接近戦・・・近づいて戦う
⑤一騎打ち戦・・・戦いたくない敵を1つ決める/戦う敵を1つに決める

つまり、桶狭間の戦いなので、ハザマで戦うというのは限定された場所での戦い①局地戦です。

では、ここで考えなければならないのは、今川義元はバカだったのでしょうか?アホだったのでしょうか?いえいえ、先程述べた通り、凄い武将です。そして、凄い家臣を引き連れています。

では、なぜ、①局地戦で戦わざるを得なかったのでしょうか?

それは、織田信長がランチェスター戦略で捉えると、今までの戦国時代の戦闘スタイルを大きく変えたからだ!と見ています。

まず、③一点集中主義。戦う敵を今川義元ひとりに決めました!

うんん?ええええええええええええっっ?当たり前でしょ!?と言われそうです。戦国時代、織田信長軍と敵軍が闘っている時、大将首を狙って戦うひとはごくわずかだったと言われていました。兜首を討ち取れば、褒美がもらえたので、「俺、足軽で武器大したことねーし、大将首なんて取れないから、その辺の、兜かぶったやつ探して、討ち取るね!」的な感じです。

しかし、この桶狭間の戦いでは、織田信長は「今川義元の首しか褒美ださないよ~~~ん」と言ったらしいです。※本当か?

そのため、皆が今川義元のみを目指しました。

でも、これでは不平等が発生して、やる気なくしちゃいます。だって、馬乗っているひとのが有利ですよね。戦国時代は1騎馬5足軽スタイルと言われ、馬を決して早く乗りこなして、戦うものだ!とは捉えていなく、武将が疲れないための乗り物程度でした。そのため、1騎馬に1人の武将が乗り、その周りを足軽5名で取り囲み、武器持ってたり、お水やおにぎりもっていたり、補助していました。

そこで、織田信長は、ここでも戦国時代の戦闘スタイルを変える訳です。どう変えるかって?足軽含めて2,000名に馬を与えて、これ乗って駆けろ!と命令しました。※乗りこなすための訓練は必要ですよね。きっと。

これは何かと言うと、他がやらないことをやる戦いの②陽動戦を使った訳です。

当然、こうなると、今川義元のみを目指して、我さきへと馬を必死に駆けまくったということです。なにやら、莫大な褒美が貰えるとか、もらえないとか。

そのため、今川義元の素晴らしく優秀な家臣ですら想定できない速さで、桶狭間に到着して、待ち伏せされられちゃったという訳です。

そして、桶狭間の戦いで銃を使ったとも言われていますが、個人的には、武田との戦いまでは、武器として銃は機能できていなかったはずです。そのため、刀や槍などで、近づいた戦い④接近戦を駆使しました。

そして、ここまでの流れを見ると、今川義元の戦い方を真似しない戦いを具現化しているので、⑤一騎打ち戦で戦っている訳です。もう少し丁寧に話すと、一対一に持ち込めるように、周りの国々と密約を結んだとも言われています。

つまり、差別化戦略の全てを使い切った織田信長は、たまたま!?この戦略を完璧に使いこなしていたので、桶狭間の戦いで、あの今川義元を完膚なきまでに討ち取れた!という話しです。

ランチェスター戦略の差別化戦略は、全て5つを使い切ってこそ、強靭な効力を発揮します!AKB48しかり、差別化戦略を制する者は、生き残れるのです!

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織田信長、凄し!今川義元も、凄かった。

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