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非言語コミュニケーション

猫は人間の言葉は話せない。

人間もまた、猫の言葉は話せない。

私が、てんをよく観察するように、きっとてんも私をよく観察しているのだ。


生後5ヶ月になったてん。体こそ大きくなってきたものの、まだまだやんちゃ坊主で、目に入ったもの全てをおもちゃにする才能がある。

なので、ゲージ暮らしはまだ卒業できないのだが、これがまたなかなか入ってくれない。

抱っこしようものなら一目散に走り出す。おやつで釣ってみても、そんなことより遊ぶ、遊ぶ。

満足するまで遊べば、水を飲むべく、水を置いてあるゲージに戻ってくれるのだけど(偉い)、それまで見張り続けるのも大変なものである。

ならば遊びの延長で気づいたらゲージに居た作戦はどうだろう。

音の鳴るねずみのおもちゃで注目させ、それをゲージに投げ入れる。するとそれを追いかけゲージに入る。扉を閉めて完了!

「えっ?」と言いたげな顔をするのが心苦しい……。ごめんよ、家事をしたいのよ。

しかしその作戦を編み出した時点で、この作戦もいつまで持つことやら……と思っていた。

彼らもパターンは学習できるのだ……。もうその手には乗らんと、回数を重ねてしまった今では通用しないので、嫌われるのを覚悟で頑張って捕まえて強行突破する今日この頃。


人間にもルーティンがあるように、猫にもルーティンがある。しかし猫のルーティンは、人間の暮らしに合わせざるを得ないので、それに沿ったような日課になっていると気付いた。

このくらいの時間に人間はいつもこうしている。お腹が減ったら呼べばご飯を入れてくれる。人間のご飯が終わったらゲージから出られる……など。

猫もちゃんと理解しているんだろうなと、一緒に暮らすとわかる。人間のご飯の時はゲージからじっと見たり、寝たりして、何か訴えるような鳴き方はしないし。食べ終わったころに遊んでと訴えるし。

よくよく行動やパターンを見ているんだろうな。わたしも、そんなてんのルーティンをよく観察しているのだけど。

言葉を持たない者同士、行動や仕草から察知したり、また、今の行動はどういうことだろうと知ろうとしたり、ある種「非言語コミュニケーション」を日々取っている。

猫は人の言葉が分かっている、という声もよく聞くが、様々な条件が揃った上でのその発音に反応を示している様子を見ると、いかに人間を観察しているかがよく分かる。

通じ合うとは、相手をよく見て理解することなのだ。

猫に、言葉で気持ちを聞いてみることができたらどんなに楽だろうと思うこともあるけれど、言葉が無いからこそ本当の配慮が生まれて、行動にも本音が見える……気がしている。

さあ遊びは終わり!ゲージに戻ろ!で戻ってくれるほど物分りは良くないけど、そこから工夫を編み出す毎日はとても面白い。

これからも続いていく、わたしとてんのお互いを研究し尽くす日々。人間同士も、そんな風に仲良くなることができたらいいのにね、なんて、言葉を持つ生き物としては複雑な気持ちになるのでした。

「ちょっと疲れたから休憩ね」のてん

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