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現代草子〜春はあけぼの〜

わたしは春が好きだ。この暖かな季節がわたしを朝早くに目覚めさせる。
「ん…んーふぁああ」
まだ日も昇りきっていないような早朝。年頃の女子がこんな朝早くから起きて何をしようというのか。それは陸上部の朝練だ。
というのは名目上のことで、わたしの目的は別のところにある。それはーーーー
「おはよう清原」
「みっちーおはよう」
「誰がみっちーだ。先生と呼びなさい」
「もーやめてよー前髪乱れちゃったじゃん」
「おまえが変な呼び名で呼ぶからだ」
そう言ってわたしの髪の毛をくしゃくしゃする彼の名前は橘則光。わたしの目的である意中の人てである。
家を出たわたしは通学路を少し遠回りする。
それは、先生の通勤経路に偶然を装い出会って一緒に登校するためだ。
そう、わたしは担任の先生に恋心を抱いている。
先生との出会いは去年、教育実習生としてこの学校に来たのが初対面だ。
初めはただの教育実習生としてしか見ていなかったが、先生のやさしさに幾度となく触れたわたしは、先生のことを異性として意識するのにそう時間はかからなかった。
川沿いを歩いて進むわたしたち。先生は自転車通勤だが、わざわざ自転車から降りて、わたしの徒歩に合わせてくれている。
それはまだ新任の先生ゆえの行動であり、わたしという一生徒と親睦を深めるのが目的なのだろう。ハァー。思わずため息がもれる。
「どうした?」
「何か悩みがあるなら俺でよければ話くらい聞くぞ?」
その悩みの種というのが、あなた自身なのだからどうしようもない……。
「いえ……なんでもない…です」
「?」
少しよそよそしい態度に先生は首を傾げる。
その瞬間、春の風が吹きすさぶ。
激しいユーロビートに乗せられたようにタンポポの綿毛が空に舞い踊る。舞い上がった綿毛が徐々に空を白く染め上げる。綿毛を追っていると、遠くに見える山の稜線が少しだけ明るくなり始めている。その周りには赤紫がかった細い雲がたなびいてる。
(なんだか枕草子の一節みたい)
その様子を見ながら、私は春の趣きを感じていた。陸上一筋なわたしがそんな風情を感じられるようになったのは先生の影響だろう。
とそんなことを考えていると。先生が独り言のように小さく呟いた
「春はあけぼの、やうやうしろくなりゆく山ぎはあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる」
「これは三百段からなる清少納言の有名な文学作品『枕草子』の一節だ。清少納言は身重の定子のことを励ますためにこの枕草子を書いていたが出産の折に定子は亡くなってしまった。清少納言は悲しみに打ちひしがれたが……だからこそ、自分が仕えたお姫様のことを最期まで書き上げ完成させた、そんな彼女は本当に定子のことを敬愛していたんだろうな」
「どーしたボーッとして?」
「え?あー私もおんなじこと考えてたなーって…」
「文学の文の字とも縁遠そうなおまえが?」
「どーせわたしは体育会系で文学少女じゃないですよーだ」
「怒るな怒るな」
「でも、わたしにだって清少納言のように敬愛する人ぐらいいますよ」
「へー初耳だな、その敬愛する人ってのは同じ学校の先輩とかか?」
質問してくるせんせいに対してわたしはこれまで以上にない満面の笑顔で答えた。
「ひ・み・つです!」
「急がなきゃ遅刻しちゃいますよ」
今のタイミングで告白していたら先生はどーした?
先生は真面目だから、やっぱり生徒と恋愛なんてできないっていうかな?
答えはわからないまま時が季節を導いていく。桜の木が花びらを散らせ若葉を芽吹かせるように…。

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