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デジタル懐古〜タイムカプセル〜

日記。

もう人を好きになれない気がしていることを、この世の誰にも話していなかったことを、打ち明けた。

そのことでいつも思い出すのが、初めて好きになった人のことだった。これはもうむしろ記憶などではなく、ただの創作なのかもしれないと哀しくも思いつつ。

思い出す行為を繰り返すたびにその記憶が儚く尊いものになっていく気がするけれど、これが美化"する"ということなのだろうか。

少し前に、中学校からの心友みっちゃんが昔のSNSのアカウントを取り戻したことを話していた。
みっちゃんと私は、私が中学3年で転校した先で出会い付かず離れず、互いの心を分かり合えるパートナーだ。

高校は別だったけれど高校時代のみっちゃんとの思い出はとても多くて、"昔のSNSのアカウント"はその時代に作られた、私とみっちゃんがお互いのみをフォローした謎の非公開アカウントである。
別々の生活をしている自分達が、直接知らせるほどのことではないけれどお互い何をしているか今何を思っているか知れたらいいなということで、深い意味はなく学生の深夜テンションでテキトーに生み出された日記帳だ。

みっちゃんがアカウントを取り戻したということで自分も気になってログインできるか試したところ、すんなり成功した。


開いた瞬間、どばどばと溢れた。
直筆でもないデジタルの活字でそう思うのは不思議だけれど、たしかに、あのときの、あの日の自分が、自分の言葉と文体で綴られていた。
(最後の更新は2018年の2月になっていた。大学時代まで使っていたらしい。)


読み返してみると、そこでの自分は悩んでばかりだった。
生活のひとつひとつ、身体のこと、好きな人のこと、学校のこと、バイトのこと。気持ち悪いほどに確実な自分だった。
これをたった1人にでも見せていたのかと思ったら恥ずかしくて頭が噴火するかと思った。
思った。
けれど、タイムラインを見てみたらみっちゃんのアカウントの内容も同じように恥ずかしい感じだったので、絶対に墓場まで守り抜こうなと心に誓った。【友情】

私はものごとを完璧に納得しないと次に進めない性分(納得できないことが連続するとパンクして体調を崩す)なので、その時の自分はそこに本当の気持ちを綴ることで自分を納得させていたのだと思う。

世の中では、ネットの海に築き上げた恥ずかしい自分史を、「デジタルタトゥー」と言ったりするらしい。他人の目に触れたその瞬間にもうそれは自分のものではなくなり消すことができなくなるし、どれだけ自分が変わっても昔の記憶を掘り起こされて一生"あの時"が自分に付き纏うことを考えたら、よく表現されたものだ。

私とみっちゃんだけが知るそのアカウントはデジタルタトゥーにまではならないけれど、気持ち悪くて清々しいほどに当時を思い出すことができる"激痛タイムカプセル"なのである。

その中に、好きな人との別れのきろくがあった。
思い出す行為を繰り返すたびに美しく儚くなっていたその記憶の、現実を知る。

そうだ、そんなことがあってそんな風に思って、それであぁなったんだ。

正直、綺麗なことばかりを手に持ち続けていたおかげで、どうやって(どうして)お別れしたのかちゃんと思い出すことができなかった。でも、ちゃんと、記されていた。

悩んでいる昔の自分を差し置いて、あれで良かったんだと初めて本当に思えた気がしてしまった。


考えると、今の自分を見ていると思いながら過去に縋っていたのかもしれない。
過去を握りしめて、大丈夫だと言い聞かせて歩くことに慣れすぎていた。


繰り返し思い出すこと(=忘れないこと)が、過去を見つめて大切にすることだと思っていた。それが愛することだと思っていた。
でも、もう動かない過去を思い出すことを繰り返して歩いていくのは、幸せなようで虚しい。

いつのまにか過去をあたらしいものにして、一緒に歩いてしまっていた。初めて好きになった人のことがいつも何気なく思い出されて、もう人を好きになれない気がしていた。十分幸せだから、気が付かなかった。

デジタル激痛タイムカプセルによって現実を知らされた今、もう人を好きになれない気がしていることが何のせいでもないことに気づく。あの人のせいでも、自分のせいでも、何のせいでもないのになぜそんな気がしているのか。
すっきりはしないが解き放たれた感覚がある。宙ぶらりんだ。

過去は過去、今は今。知っていることはそれだけ。

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