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四十八文字の話『キ』 北関東人が出会った「奈良吉野町」より③ まずは【滋賀県人の素晴らしさ】

そしてその方、最近有った出来事として以下の話を始めました。

○その方
「当神社の御祭神のお一人である「楠木正成」公。
そのお名前を読めない観光客が多いんですよ。
『ねぇ~、【楠木まさなり】 ( もちろん正成 : まさしげ公の事 ) さんって何をした人ですかね? 』と私に聞いてくる方がいらっしゃいますわ。
やれやれ、一体どんな【歴史教育】を受けて育ったんですかね。」

それを聞いて
○私
「それはとても残念ですね。ですが現在の【 自虐的な歴史教育 】 ではやはり駄目だと思います。
実は私も戦後の教育においては、日本の歴史の【正統な営み】が引き継がれていないと思っています。
ですが『歴史は繰り返す』、と言うじゃないですか? 
いづれまた、きっと楠木正成公が再評価される時代が来ますよ。」

と返すと、大変柔和なお顔になりました。



暫く立ち話が長引いているうちに、もう帰りの電車の時間が近くなってきたので、私はそろそろ帰ろうと荷物を持つと、その方は「次はどちらへ行きなさる?」と聞いてきました。

○私
「帰ります。栃木の宇都宮へ帰ります」

○その方
「え❗宇都宮❗」

まるで昨日の旅館の中居さんと同じ様な台詞が返ってきましたが、明らかに反応の度合いが違います。

○私
「どうしたんですか? 」 (  もしかして【餃子🥟】が好きなのかな😉? ) 

とその方に聞き返しました。

するとその方はこう言うのです。

○その方
「私はこの日本の中で本物の日本人は『北関東の人達』だと思っております」


○私
「へぇ😮?」
【目が丸くなる】、とはこういう事ですかね?

○私
「それはどういう事ですか?」

そしてまたその方の「 有難~い長いお話 」が始まりました。( 電車、間に合うかな~ )


○「北関東」の前にまずは「滋賀県」( 奈良吉野町より)

先程書いた通り吉水神社はあの軍記物「太平記」にも出てくる由緒の有る有名な神社です。ですから毎年、日本全国から観光客や修学旅行生達がやって来ます。

○その方
「長年日本中から来る人達と接していると、私はこのお客さん達は日本のどこら辺からいらっしゃっているのかが大体分かります。その方達の【雰囲気】や【振る舞い】で大体分るんです。
そしてその中でどういうわけか、【北関東】から来る方々の『立ち振る舞い』が、日本の他の地方から来る方々とはどこか違うのです。
例えば簡単な例で言うと、北関東から来る修学旅行の生徒さん達は、皆さん、脱いだ靴の靴先を前にし、ちゃんと揃えて置くんです。それと宝物館内では一切無駄口を叩かない、など。」

●確か私も宇都宮での中学校時代、修学旅行で行った京都広隆寺の宝物館を見学しましたが、その時もお寺の方が「今日の生徒さん、皆さん静かに真剣に観てましたな~」と誉めていたと、後から担任の先生から聞いた事が有ります。

○その方
「また同じ関西圏の中でも、滋賀県から来る方々の振る舞いがとても素晴らしいです。
これは一体どうしてか?と思い、長年私なりに調査、研究していました。
それで分かった事は、これはおそらく、江戸時代に当時の近江国 ( 現在の滋賀県 )にいた、陽明学者『中江藤樹』(なかえ とうじゅ ) の影響だと思います。
この人物、身分制度が有った江戸時代の世で、武士から商人、農民達を分け隔てる事なく平等に「教育」をつたえました。
別名『近江聖人』( おうみのせいじん ) と言われ多くの人々から慕われました。
この方の教えが、現在でも滋賀県に伝わっているのではないかと私は思います。
今滋賀県の例を上げましたが、これ一つだけ取ってもいかに【歴史教育が重要か】が分かります。」 




確かに中江藤樹は教科書にも出てくる、農民や町人達にも愛された有名な陽明学者です。

「では北関東はどうなのかな?」


( 続く )

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