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四十八文字の話『エ』 叡山

(比)叡山は、二つの主峰からなる山々であります。    古くから山岳修行場の聖地であり、          そこに788年、伝教大師『最澄』が一乗止観院を置いたのが「比叡山延暦寺」の始まりであります。

入唐して「仏教」を学んだので勿論でしょうが、当時の 先進国「唐」から持ち帰った数々の物品などは、日本の人々を魅力した事でしょう。また、仏教以外(他の学問、 統治機構のしくみや政治制度等)の知識も有ったと    思われ、 その当時のリーダー層であった時の皇族方や 公卿ら為政者達は、最澄が持ち込んだ品々や話題に魅力 された事でしょう。

また少し話が逸れて申し訳ないですが、後の空海(弘法大師)と同様、まず唐留学僧に選ばれる事自体が凄い事ですし、他に沢山の留学僧がいたのにも関わらず、日本仏教界の 代表者の様になれたのは、伝教大師の見識の高さ、熱心さだと思いますが、どうしてもいつもの癖で「なぜ、伝教大師だけ飛び抜けているのかな~?」と、勘繰ってしまい ます。やはり、それなりの「血筋」の方なんでしょうね。

話を戻します。丁度今NHK大河「麒麟が来る」で   「天台座主」が出てくるのですが、当時の天台座主は、 時の天皇「正親町天皇」の弟です。

これだけでも、いかに当時の「比叡山延暦寺」が    とてつもない権威、権力を持っていたか、偲ばれます。

その延暦寺にキバを向いたのが、あの「織田信長」公  であることは、皆さん、ご存知かと思います。

「延暦寺の焼き討ち」、歴史上「悪魔の所業」と言われるくらいの大事件だと言われています。確かに多くの僧達が殺され、聖性な場所での殺生は憚るべきだ、との声が  聞こえて来ます。比叡山の一件は、「宗教弾圧だ!」との話が歴史専門家等の人達の間では扱われている様です。

でも敢えて言わして頂きたいのですが、この大事件、 「宗教弾圧」と言えるでしょうか?


「宗教弾圧」とは、ある宗教の布教、活動の一切を禁止し、もし活動を行っていたら厳罰に処される、と言った事だと思われます。                  (後の江戸時代に行なわれたキリシタン弾圧を想像して  下さい)

「織田信長」公が行った事は、あくまで「比叡山延暦寺」のみ❗の焼き討ちであって、「仏教」そのものを禁止したわけではありません。あの当時、信長公の領内にあった 幾多の寺院を全部焼き討ちしたわけではないのですから。

では、何故延暦寺を焼き討ちしたのか?

それは、信長公にとっての「敵!」になったからです。


皆さんはおそらく寺院という所が、しっとりして清閑な 場所、落ち着ける尊い所だとのイメージを持っていると 思います。ですが、全てとは言いませんが、戦国時代の 寺院、そして当時の「比叡山延暦寺」はそのイメージとはかなり違っていたと思われます。

職にも付かず、ぶらぶらしている無頼の徒を多く「僧兵」として雇い、平和に暮らしていた人達をその土地から  追い出したり、自分等の物にしていたであろうその所業は、現代の寺院とは比較になりません。        

そんな僧兵達をテレビでは人々を威嚇したり、襲ったり しているシーンでよく見受けられますが、何故か?、 「比叡山延暦寺の焼き討ち」のシーンになると、    どても「か弱き純粋な被害者」として描れています。

今まで沢山のテレビ番組を観てきましたが、みな同じで、あまりにも、紋切り型で創造性がない❗、と思います。 

あの頃、多くの僧兵を抱えたであろう「比叡山延暦寺」は、大袈裟に言えば、その武力を考慮するだけで、一つの「戦国大名❗」です。

合戦において「敵の城を焼く」のは、常套手段ですよね?

信長公はただ「自分等の敵をやっつける」ために焼き討ちしただけなんだと思います。だから「宗教弾圧」には当たらないと思います。

あの『伝教大師』が、そんな寺にするために創建されたとは思いませんがね。

では今回はこれくらいにして失礼します。






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