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四十八文字の話『タ』「単一」民族?「多」民族?日本人の戦い方の面から②

○「山岳民族」グルカ兵

シンガポールの国際会議場において警備を担当するシンガポール警察所属のグルカ兵

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そして皆さんの中にもご存知の方がおられるでしょうが、世界を代表する山岳地帯「ヒラヤマ山脈」の麓、「ネパール国」🇳🇵の兵隊達で編成された、通称「グルカ兵」。

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皆さんもオリンピックや各種世界選手権等、大きな競技会に出場する多くのアスリート達が「心肺機能」を鍛えるのに「高地トレーニング」をしている事、よく耳にしますよね。という事は彼ら「グルカ兵」(ネパール人)は、この世に生まれた正にその瞬間から「高地トレーニング」をしている事となりますよね!

そして、その「身体能力」を高く評価し、今現在まで連綿と続いている傭兵部隊「グルカ兵」を編成したのは「大英帝国」です。


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「インド」制圧後、その次に「ネパール」を植民地にしようと攻め込んで来た「大英帝国」が彼ら「ネパール兵」と戦ってみると、そのあまりにも「精強さ」に舌を巻きます。特に彼らにとっての伝統的な「ククリナイフ」を用いた「白兵戦」(接近戦、肉弾戦)では正に無敵でした。


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これに懲りた「大英帝国」。

「こいつらとは絶対に戦わない方がよい。いっその事、お金で雇って味方にした方が得策だ」という事で編成されたのが「グルカ兵」です。世界最強の「外国人傭兵部隊」の誕生です。

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これ以来、「イギリス」軍の赴くところ、例えばインドで起きた「セポイの反乱(1857~58)」や「第一次、第二次世界大戦」は勿論、「フォークランド紛争(1982)」などの舞台で、必ず先頭に立って戦いました。

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正に「山岳民族」の特徴、身体能力を活かした「戦い方」です。


○日本民族の戦い方 

では我が「日本」はどうでしょうかね?

まず「海」の面からすれば、かつて、ほんの四十年前まで、頭には「ちょんまげ」を結い、腰には刀を差した武士の時代であった「明治時代」の後期。そんな亜細亜の小国にすぎなかった日本が、当時欧州の先進国だった大帝国「ロシア」が誇る「バルチック艦隊」を

世界中が「腰を抜かす❗」ほどに完膚なきまで叩きのめしました。


その後「海洋国家」させて頂いたアメリカ、イギリスと同等レベルの規模、戦力を保持し「世界三大海軍国」と称された『日本海軍』。


連合艦隊旗艦 戦艦「大和」

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そしてもう一方、「陸」の面から言えば、同じく日露戦争において

当時における最新兵器を揃えた欧州の軍隊でも落とすのには「二、三年は掛かる」と言われたロシアの「旅順要塞」をわずか半年❗で攻略。


旅順要塞を攻撃する「日本陸軍」

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そして太平洋戦争後期、兵器や物質などの圧倒的物量を背景としたアメリカの大攻勢に対し、信じられないくらいの防御で苦戦させます。

その対戦相手、「アメリカ海兵隊」の中でも怖い者知らず、正にエース的存在だった❗精鋭部隊「アメリカ第一海浜団」をあっさり戦闘不能状態に陥れます。


ペリリュー島の戦い

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また、「こんな小さい島、三日で落とすわ!」と仰ったアメリカ軍司令官が、実際戦ってみると、その小さい島を制圧するのに実に「一ヶ月以上」も要し、想定をはるかに越える被害を与える程の抵抗を見せた『日本陸軍』。

一体我々日本人は、「海の民」か?「陸の民か?」😁


🌺またまた余談ですが🙇。「日本陸軍」の奮戦は何も南太平洋方面だけではありません。インド、ビルマ方面ではイギリス、そして先程、記させて頂いた世界最強の傭兵部隊「グルカ兵」とも戦っています。😁


○「ビルマの竪琴」

「アルプスの少女ハイジ」の翻訳者でもあり、1952年にノーベル平和賞を受賞した「シュバイツァー」を日本に紹介した、作家竹山道雄さんがお書きになった「ビルマの竪琴」にはその状況が書かれています。

日本のTVアニメにもなった「アルプスの少女ハイジ」

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ビルマの竪琴「・・最もこわいのは、短機関銃を抱えてジャングルの樹上にひそみ、下を日本軍部隊が通ると掃射を加えてくる、草色の服を着た剽悍(ひょうかん)な土民兵であるグルカ兵であり、日本軍はグルカ兵のいる村落を避けて回り道をした」という。………

🌺グルカ兵は「スパイナー」(狙撃手)の役割も担っていた様です。


そのビルマ戦線の悲惨さを描いた「ビルマの竪琴」を映画化 中井貴一さんが主演した「ビルマの竪琴」(1985)

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【内容】現地、ビルマで亡なくなった同胞達を弔うため、一人ビルマに残る事を決心した「水島上等兵」(演 中井貴一)。終戦となり、嘗ては苦楽を共にし日本へ帰還する事となった同じ部隊の戦友達に、「ビルマの竪琴」を弾いて、最後の「別れの言葉」とします。


戦友達「水島~❗、一緒に日本へ帰ろ‼️」

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○「エール」

昨年のNHK朝のテレビ小説「エール」で主人公「古山裕一」氏が、嘗ての恩師である森山直太郎さん演じる「藤堂先生」と再会したのが「ビルマ」でしたね。

そしてその直後、目の前で「藤堂先生」が戦死してしまう場面が在りましたが、「ビルマ」での、そして「グルカ兵」との戦いは、正にあの場面と同じ様な光景だったのではないでしょうか?



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○そして「グルカ兵」の涙 

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「グルカ兵」と「日本兵」の戦いについては、今でも語り継がれている逸話が残ってます。

「グルカ兵」では仲間内だけでの不文律、「暗黙の決め事」が有りました。それは


「たとえ戦闘で仲間が死んでも決して涙を見せるな❗」。


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何も悲壮感を出すつもりはないですが。

ビルマ戦線においてもイギリス軍の先頭に立つ「グルカ兵」。とある戦場において、対戦相手として最初に出て来たのが、日本の支援を受け「イギリス」からの独立を目指す、地元のインド兵やマレーシア人の部隊。ですが予想通り、まるで赤子の手を捻る様に、僅か3時間も経たないうちにこれを破ります。そしてその後に出てきたのが「日本陸軍」。


それで戦いとなりました。が、いざ戦ってみるとこれまでの戦闘とは比べられないほど、彼ら「グルカ兵」自身も経験した事のないほどの「激烈な戦い‼️」となります。

「三日三晩」どころではなく、実に一週間もの間「不眠不休の戦い」❗を強いられ、戦いの最中思わずこう言ったそうです。

「一体奴ら(日本兵)は、いつ寝ているんだ?」


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そして損害も大きくなり、仲間もどんどん減り、戦力が半分ほどになります。ですが何とかこの戦いに勝利し、その後、日本軍の陣地跡に赴きました。

こんな激しい戦いを終えた今現在は、

もう半ば「日本陸軍を尊敬する」ぐらいの気持ちになっていたそうです。


ですが彼らグルカ兵達が陣地跡で観たものは、自分達のそれよりもはるかに粗末な装備、武器、物資、そして、戦う前から「食糧不足」であったであろうと想像出来る日本軍人の「骨と皮だけの死体」。

「こんな状況であんな戦いをしていたのか⁉️」


勿論日本軍は彼らにとっては戦友、仲間ではないですが、この時は、彼ら全員が人目を憚らず号泣した、と言う話です。



(まだ続きます)


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