四十八文字の話『ツ』「繋がり」(つながり) 地名における「栃木」と「アイヌ」との繋がり
皆さん、今回は地名における「栃木」と「アイヌ」との繋がり、関係性ついて述べさせて頂きます。
ですが、最初は、青森の「津軽」(ツガル)の話となります。何せ今回の「話」は「津軽」が発端となったからです。
日本三大海峡(対馬海峡、津軽海峡、宗谷海峡)の一つ、「津軽海峡」に位置するため、古代より「蝦夷」(エゾ)と呼ばれていた「北海道」、そして「日本海」を横断する事で大陸との行き来が盛んだった所です。
◯漢字は「当て字」
「津軽」は、古代から天然の良港、漁獲、海上貿易が盛んでしたから当然「古文書」にも多く出てきます。
津軽 古代から天然の良港である「十三湖」(十三湊:とさみなと) (「のんびりとじっくりと!」より)
ですが、地名である「ツガル」、それが表記されている昔からの文書で書かれている漢字には幾つかのパターンが有ります。
例えば「津刈」や「都賀貿」、そして有名な古文書においてお馴染みの「東日流」等々。
でもどうして同じ地名を表す「漢字」がこんなに複数有るのでしょうね?
これは何も「ツガル」だけの現象ではないですが。
この日本において漢字で書かれた「地名」と言うのは所謂「当て字」だと思われます。もともとそこの土地が呼ばれている「音」に対して、適当な「漢字」が当てられたもの、になります。
例を上げれば、「大和」。皆さんだったらこれは「ヤマト」と読めますよね?ですが、改めてこの漢字をみると、どうして「ヤマト」と読めるのか、日本語勉強中の外国人から「ヤマト?、どうして?」と聞かれたらどう説明します?彼ら外国人の殆どの方はおそらく「ダイワ」、と読むでしょう。
これに関しては幾つかの定説が有り、何が正解なのかは解りませんが、その定説の一つに、古代、現在の奈良県に拠点を置いた朝廷が、「ヤマト」と呼ばれていたこの地を、「【大】(おお)いなる平【和】(わ)な国にしよう」という想いから「大和」との「漢字」を当て、「ヤマト」と呼ぶようになったと言われています。
この様な例は多数有りますので、同じ「ツガル」に当てられた「漢字」も幾つも有り、またそれはその時代によっても変化します。
ですが、「漢字」を当てられた、その土地自体にはもともとの呼ばれていた「音」自体は存在してます。じゃ、その「音」の意味するところは何なのか、これが解れば、その土地が古代、どんな存在だったのか、他の土地の人々からはどう観られていたのか、が推測出来るかも知れません。
◯「青森の津軽(ツガル)」と「栃木県都賀(ツガ)郡」
なぜ今回こんな話をしているのかと申しますと、以前私が何かの調べものをしていた時に、先程述べさせて頂いた通り「【津軽】が一時期【都賀貿】と表記されていた」事を知って、ちょっと気になってしまいました。
何故なら、私の出身地である「栃木県」にも同じ漢字で表記される土地が有るからです。
それは、栃木県上都賀(カミツガ)郡、下都賀(シモツガ)郡です。また栃木県栃木市には「都賀町」(ツガまち)と言う所も有ります。
平成の市町村合併により現在はとても狭い「郡」となりましたが、嘗ては栃木県のほぼ中央部を東西に跨がる広い地域でした。
まっ、漢字は当て字の場合が多いと思えば、単なる偶然かな、とも思いました。どうしてかと言うと、どうせ当てるのなら絶対「縁起の良い漢字」を当てるでしょうからね。
🌕「都賀」……「都」は「みやこ」「賑やかな所」、「賀」は「祝賀」「賀正」などお祝い事によく使われますよね。
◯「日光市久次良(クジラ)町」
話は変わりますが。
今でこそ「世界遺産」となっている、「日光二社一寺」などで有名な「聖地」栃木県日光市。
嘗てこのシリーズのブログで述べさせて頂きましたが、この「二社一寺」の手前には「大谷川」(ダイヤガワ)と言う川が流れています。そして川沿いに「久次良」(クジラ)と言う地名が有ります。
私は初めてその地名を知った時、半分冗談の気持ちで「クジラ?、【鯨】の事かな?」と思いました。
ですが、皆さんご存知の通り栃木県は海に面してません。なのにどうして「クジラ」という地名が有るのか?と思い、自分なりに調べましたが、納得のいく情報、説明には出会わず、この「久次良」は「鯨」とは全く関係がないのかな、と思う様になりました。
でも下の地図に出会い、この疑問が解決した様な気がしました。
平安時代の関東です。
現在の「利根川」は茨城県と千葉県の境を流れていますが、それは江戸時代以降の事であり、江戸時代以前、遥か平安時代の「利根川」は直接東京湾に流れていました。
上図にも書かれている「鬼怒川」(キヌがわ)。
実はこの「川の名前」も後々重要になりますが、この川は「日光」の、先程記した「久次良」(クジラ)という地名の手前を流れる「大谷川」(だいやがわ)の下流に位置します。
「大谷川」というのは「奥日光」にある「中禅寺湖」(ちゅうぜんじこ)から流れ出た川であり、途中に日本三大名瀑の一つ「華厳滝」(けごんのたき)が有ります。つまり上図を見ると「中禅寺湖」からの清水が、「大谷川」~(華厳滝)~「鬼怒川」を通り、茨城県の霞ヶ浦に流れ着き、そのまま太平洋まで繋がっていました。
「中禅寺湖」と「華厳滝」
という事は、嘗ての「下野国」、それも遥か山奥である日光から川沿いに下れば、霞ヶ浦を経て太平洋まで行けた、と言う事です。
🌕時期と場所は多少違いますが、嘗て「都賀」郡の一部であった現在の「栃木県栃木市」の商人は、江戸時代、川の舟運を使って江戸の人達と商いをしていました。
そういう事象が有るなら、一見山奥と思われる「日光」にも「海」にご縁が有るかも知れず、「久次良」「鯨」(クジラ)と言う地名があっても決して不思議ではないな、と思う様になりました。
聖地「日光」に関しての明らかな歴史というのは、奈良時代に「勝道上人」(しょうどうしょうにん)という方が苦難の末開山し、後の江戸時代に「東照宮」が創建されてから発展しました。
この「勝道上人」が開山した時、この「聖地」を守る役目( 所謂「氏子」の様な存在 だと思われます)として日光に移り住んだ一族がいました。この一族、名を「久次良」(クジラ)と称しました。
という事は、地名が先なのか?、族名が先なのか?、どちらなのか?
ハッキリなどしませんが、遥か古代からその辺りの地名は「クジラ」だったのでしょうね。
「日光市久次良町」(「日光市観光パンフレット」より)
また「日光」を開山した「勝道上人」。この方自身も「栃木県都賀郡」に深いご縁がある方です。
勝道上人像(「蔭にも日の光」より)
◯「京都」との関係性
そしてもう一つ意外な発見をします。
それは聖地「日光三山」の一つに祀られている一柱の神が『味鋤高彦根神』(アジスキタカヒコネノカミ)です。別名を『迦茂大神』(カモノオオカミ)と仰います。京都でも指折り、有名な下上「賀茂神社」の創建した古代氏族「賀茂一族」の氏神です。京都から遥か遠い「日光」において、京都の一族の神様が祀られています。
また日本全国に約三万社も御鎮座する稲荷神社の総本社である同じく京都の「伏見稲荷大社」。
伏見稲荷大社
こちらを創建した方が「秦伊侶具」(はたのいろぐ)という方ですが、その方の父親の名に注目して頂きたいのですが、その名を何と❗「秦(賀茂)久次良」(クジラ)と仰います。
ん~、では「久次良」と言う地名は「賀茂一族」と何か関係があるのかな、遥か古代に日本の西側から関東の山奥「日光」までやって来たのか?とも考えられます。ですが、一体どれが正解なのか、訳がわかなくなってしまいました。
「あっ~、【クジラ】っ何だ? 由来は何だ? 語源は何だ?」
◯「クジラ」の地名探求
私の実家は「栃木県宇都宮市」の中心部からやや南の方角にあり、地名は「江曽島」(えそしま)と言います。
この「江曽島」、勿論海に浮かぶ「島」ではないです。昔から田んぼが広がる田園地帯であり、そしてその田んぼの所々にちょっと高め土地が幾つか有ります。田植えの頃、水が満々ちている季節には、その高台がまるで、海の中に浮かぶ「島々」に見えるところから名付けられた様です。
そんなある時、ふっとあるブログを読んでいると「江曽島」の事が語れていました。
そのブログの作者は、こう述べていました。
「【江曽島】の語源は【蝦夷(エゾ)島】ではないか?」と。
ん~、どうだろう?
確かに「北海道の地名」は殆ど「アイヌ語の音」に「漢字を当てた」地名だと、聞いてます。ですが、ここは北海道から遠く離れた「栃木」。この地にまで「アイヌ語」が伝わっているのかな~。
俄には信じられません。
🌕前もって皆さんに述べさせて頂きますが、私は何も「蝦夷=アイヌ」とは決して思っておりません。ただ古代から、互いに北方文化の担い手であり、当然そこには「文化の共有」といったものも有るのではと思います。そこから派生するであろう「言葉の近似性」なども有ったのではないか、と思います。
気にはなってましたが、そうは言っても私は「アイヌ語」は全く知りません。
そこでここはやはり基本に戻ろうと、「クジラ」という「音」に似た、北海道の地名を探す事にしました。更にある情報によるば、こういう場合は「濁音は付けない方がよい」、と聞いた事が有りましたので、「クジラ」ではなく「クシラ」として探しました。
で?、意外な事に、いとも簡単に見つけました。
それは「クシロ」、「釧路」市です。
「クシラ」と「クシロ」です。
◯「久次良」と「釧路」
北海道の道東部に位置する「釧路」市。やはり名前の由来は「アイヌ語」の様です。
語源となるアイヌ語はいくつかある様です。
例えば
◎「クシル」……「越える、道」
◎「クシナイ」…「通り抜ける、川」
◎「クッチャロ」又は「クッチャラ」…「咽喉」 かつて恐竜「クッシー」で有名になった「屈斜路湖」(くっしゃろこ)。この湖を水源とする「釧路川」(くしろがわ)が流れ出す正にその「喉元」に有ったアイヌの「コタン」(集落)を表しています。
「屈斜路湖」~「釧路川」~「釧路市」
私はこれらの中にでは「クッチャロ」「クッチャラ」に引かれました。これはまるで、日光の「中禅寺湖」~「大谷川」~「久次良」との位置関係によく似ているからです。
「中禅寺湖」~「大谷川」~「日光市久次良町」
でもこういった地形は日本全国各地に有りますよね。これに似た地形の名が全て「クッチャロ」「クッチャラ」の音から当てられた地名なのかどうかは私には解りませんが、「釧路」と「久次良」は何か繋がるような気がしてます。
◯「津軽」と「都賀」 やっと繋がった❗
冒頭で述べた青森県「津軽」と栃木県「都賀」。これについてはかなり確定的❗な資料を見つけました。
昭和29年(1954)に著された学術論文に「アイヌ地名から見た古代日本の鮭の分布」(著:木村圭一氏)というものがあります。
これによれば、アイヌ語での「鮭」を意味する「音」を基とする地名が東日本各地にある、としています。その論文には具体的な地名も載っており、その中には何と❗「津軽」と「都賀」についても載っておりました。その内容を抜粋して記します。ぜひご覧下さい。
また「鮭」を意味するアイヌ語は一つだけではなく、何種類も有るそうです。なぜ「東日本」なのか?年代にもよりますが、それは「鮭」の生息域の南限が「利根川」だからだそうです。
「鮭」を意味する「アイヌ語」
◎「ツク」(chuk)… 以下転嫁、派生した地名と()内は意味
「ツガ」…chuk-a(鮭) → 栃木県「都賀」郡
「ツガル」…chuk-kar(鮭を獲る) → 青森県「津軽」
「ツガノ」…chuk-a-nu(鮭が多い) → 青森県「津賀野」
「ツカベ」…chuk-nu-pe(鮭だらけの川)→福島県相馬「塚部」
「シュク」…chuk(鮭) → 日本各地「宿」
「シガ」…chuk-a(鮭あり) → 宮城県名取「志賀」
「スガ」…chuka(鮭がいる) → 日本各地「須賀」
「スケ」…chuk-e(鮭) → 岩手県二戸「助」
「スギノメ」…chuk-nu-pe(鮭だらけの川)→福島県相馬「杉妻」
◎「kene」
「キヌ」…kene(大鮭) → 栃木県「鬼怒川」(大谷川下流)
「ケノ」…kene(大鮭) → 栃木県「毛野」
これはほんの一部です。ですがやっと「津軽」と「都賀」が繋がったように思いました。でも全く想像も出来ない、思いもよらない「鮭❗」で繋がるとは❗
「鮭」(「北海道水産研究所」より)
ですが皆さん、この論文によると「鮭」は兎も角、「鮭」を意味する以外でのアイヌ語が語源とされる地名、言葉が、東日本を越え、西日本も含む日本全国に及んでいます。
◎「難波」…Na-nu-p(水の豊かな所) → 大阪府「難波」
◎「吉野」…I-shiu-nn(大山だらけの大山岳地帯) → 奈良県「吉野」
◎「宇佐」…Osa(砂地) → 大分県「宇佐」
また神話の世界に関する言葉に関しては、「神武天皇の東征」に登場する輩の名前が出てきます。
◎「八咫烏」(ヤタガラス)…Yam-at-gunn → 大和の人
神武天皇の東征を勝利に導いた「金鳶」(金色に輝く鳶)が登場する場面がありますが
◎「鳶」(とび)…Tombe → 太陽、族長
更に地名以外では、「殿軍」(シンガリ)。
◎シットゥカリ……「行き止まり」「山の手前」「山の後ろ」
こうして見てくると、意外にも「アイヌ」という存在は北海道、東北など「北日本」一帯だけでなく、本州全体から九州へも影響しており、そして「原日本語」には「アイヌ語」の名残が、かなり残っていると思われます。
一説によると「アイヌ」の人々は、北海道だけではなく、ある一時期まで日本のかなり南の地にまで暮らしていたのではないか?、と言われています。
以上、「津軽」と「都賀」が妙に気になって調べた「結果報告」でした🙇
下記、観てくださいね。
🌼「ウポポイ」(民族共生象徴空間) 公式サイト
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